人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

何処か遠くへに行きたい

だが、行きたい場所が見つからない

 私はいつも自分が不機嫌になると、すぐにその理由を見つけようとする。なぜ笑えないのか、なぜこんなにも嫌な気持ちに支配されなければならないのかを考える。自分の感情に向き合い、自分の心の中を総点検することによって、その原因を突き止める。自分の考え方を変えることや、物の見方の視点を変えることで、何とか解決できることもあるが、どうしようもないこともある。考えてもどうにもならないことを考えるのは時間の無駄である。

 それはさておき、私は今とてもモヤモヤし、心の中に嵐が吹き荒れて、身動きが取れない状態だ。4月の声を聞いて、ソワソワしだし、4月の終りともなった今はでは頭の中はそのことでいっぱいになった。そのこととは今年の海外旅行をどうしようかということで、つまり、何処へ行くか行き先が決まらないで悩んでいる。はっきりしているのは、何処へも行かないと言う選択肢はあり得ないということだけだ。もしもどこにも行かなかったら、後悔するに決まっているし、また無理矢理行っても後悔するのなら、それなら行った方がましという考え方だ。

 思えば、昨年のヨーロッパ旅行は今までで最低最悪だった。コロナ禍が終わってすぐの現地はまさに混乱状態で、こちらは「やっと行けた!」と感慨もひとしおだったが、現地はひどい傷を負ってまだ立ち直れてはいなかった。要するに、私はそんな世界の現実など考えも及ばず、自分勝手な思いで舞い上がっていただけだった。パリにしたって観光客で溢れていた頃とはうって変わって、空港から市内へ行くバスが減便されていたり、街中を巡るバスもあるにはあるが役に立たず、移動は地下鉄のみに限られた。一番ひどいのはホテルで、一泊5万円のホテルのサービスには頭をガーンとやられてしまった。正直言って、それなりのサービスを期待していたからこそ、椅子から転げ落ちるほどの衝撃を受けたのだ。それに、まさかトイレの水漏れに一晩中付き合わされるとは夢にも思わなかった。私の貴重な時間を返せ!と言いたいくらいなのに、そのトラブルさえも楽しんでしまったのだから、実におめでたい。今までの旅の経験から、どんなときでも面白がってしまう癖が付いてしまったようだ。 

 それに、「最低最悪だった」と書いたが、今まで露ほどもそんなことは思ったことはなかった。実を言うと、先日毎日聞いているNHKのラジオ英会話の中で、「私は今までホテルでそんなひどいサービスを受けたことはありませんでした」という英作文をした時、ふと去年のホテルでのことを思い出したのだ。それで、あの時の状態はそれに十分にふさわしいかなあと判断して、「最低最悪」と表現したまでのことだ。

 パリにはいつもそう期待してはいないからそれはそれで諦めがついたが、ホッとできるはずのサンセバスティアンのバルが消えてしまっていたのには呆然とした。もう私の至福を味わえる場所は無くなって、定番だったパリからスペインのルートは消滅した。もう行くべき目的がなくなって、これからどうしようとなった。それだけではない、日本にいる時、テレビのニュースで耳にタコができるほど聞かされていた「気候変動」という言葉の意味を身を持って体験した。サンセバスティアンでは今まで見たこともないほど海が荒れ、ウルメニ川も氾濫しそうなくらい水位が増していて、恐ろしかった。また、強風で歩くこともままならず、マドリッドに行く列車が運休にならないかとヤキモキした。あの時、私は世界はもう以前と同じではないのだと痛感した。

 さて、何処に行くかについてだが、発想を大きく飛躍させて、「死ぬまでに行きたい場所」のどれかに行こうと考えた。例えば、ボリビアのウユニ湖とか、ナスカの地上絵とか、マチュピチュとかのことで、歩いて30分の中規模書店に行って、ガイドブックを読み漁った。最初はワクワクして見ていたが、一転、「危険」の文字があまりにも多くて、その場で凍り付いた。「注意を怠らないように観光しましょう」のアドバイスに違和感を覚え、「それでも行きたいのなら行ってください」と言われているような気がした。要するに個人旅行は危険極まりないと言うことで、行くのなら団体で行くのが安全だと言いたいのだ。因みに新聞の海外旅行のツアーの日程を見てみると、8日間というのが普通で、費用は55万円からで、夏休みなどのピークは75万円以上になっている。ツアーで行ったことがない私には、8日間で55万円使うことに物凄く抵抗がある。ましてや、一人部屋だと10万円くらいは追加になるから、到底考えられない。

 

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列車の旅のお供は駅弁

今週のお題「お弁当」

穴子めしが最高!

 私が今まで旅した外国、特にヨーロッパの国々に比べると、日本はとてもいい国だと思う。何のことを言っているのかというと、列車の旅に欠かせない駅弁のことで、外国には駅弁に相当するものがない。それにあったとしても、サンドイッチくらいでバリエーションとは無縁だ。外国に行って、目的地まで5時間くらいかかるTGVに乗っても、誰も何かを食べようとはしない。日本なら、列車が動き出すと同時に、あちらこちらから、カサコソと駅弁の包みを開けようとする音が聞こえてくるのがいつものことなのに。そんな周りの静けさを無視して、私は駅の売店やホテルからの道沿いで見つけたパン屋で買い込んだ食べ物にかぶりつく。周りがどうあろうと、空腹に耐えられないので、後ろめたさなど一切感じないでいられる。

 そこで、どうして外国には駅弁がないのだろうという考えても答えが出ない疑問が湧いてくる。そんな不毛な考えが浮かんだのは最初だけで、今では”そう言うもの”だからと、”郷に入っては郷に従え”という格言ですぐに方が付く。日本の駅弁文化は素晴らしいの一言に尽きるが、昨今はあの新幹線の車内販売が終了したとの残念なニュースもあった。だが、心配はいらない、駅の売店にはてんこ盛りに積まれた駅弁がズラリと並んでいて、私たちを誘惑してくる。東京駅にでも行けば、全国の有名な駅弁がいとも簡単に手に入るという特典もある。こんな幸せは外国のどこにもない。

 駅弁の人気第一位は何と言っても幕の内弁当だ。それを証拠に新幹線の車内販売で最初に売り切れるのは幕の内弁当で、白いご飯が皆好きらしく、最後まで残るのは鳥めしか焼肉弁当だった。もっともこれは私が遭遇しただけのことで、一般的ではないかもしれない。あの時、私は車内販売のお姉さんを追いかけて、やっと追いついたのに、もう幕の内は売り切れていた。もう無いとわかると、食べられない現実に出会うと、やたらと食べたくなり、ひもじい思いをするのが人というものである。結局、私は鳥めしも焼肉弁当も買う気にはならず、何も食べなかった。

 そんな悲惨な思いをしたにも関わらず、現在の私は幕の内弁当はもう買わない。なぜかというと、興味が無くなったと言うか、もう嫌になってしまったからだ。それは、以前幕の内弁当を買って食べている時にどうしたことか、その中身が、何種類か入っているうちのおかずがとても食べられたものではなかったことに起因している。例えば、魚の切り身が脂っぽくて、美味しくなかったり、あるいは煮物に入っているにんじんが生煮えでゴリゴリだったりと言った、信じられない事態に遭遇したからだ。考えてみると、幕の内というのはおかずの種類が豊富でいろいろな味が楽しめるから、万人に人気があるのだ。それなのに、その肝心のおかずが美味しくなければ、幕の内弁当の意味がない。一つ一つのおかずがどれも美味しいからこそ、白いご飯と一緒に楽しめるのだ。

 それに加えて、昨今の物価高で、以前は千円も出せば、幕の内弁当は買えたのに、今では高いものなら税込み千五百円もするとなれば、財布のひもは緩まない。一時は家からイクラやスモークサーモンのおにぎりを持参して列車に乗り込んだこともあったが、それでは日常の延長で面白くない。やはり、特別な何かを買って非日常を味わいたいと思った。それで、今買うのはもっぱら穴子めしで、これは千二百円ぐらいで、消費税込みならもっとするが、まあこれくらいならいいか、と納得できるくらい美味しい。

 穴子めしは人気があるらしく、いつもあると言うわけにはいかないが、それでも最後のひとつに出会えた時はうれしい限りだ。行きが穴子めしで、帰りが鰻弁当だったこともあったが、やはり、柔らかく煮あげてあるアナゴめしは最高だった。実を言うと、昔はイクラやサーモンが入っている海鮮弁当の方が好きだったが、今は好みが変わってきたのか、煮魚の方が好きになった。

 そう言えば、私は法事のために7月に帰省する予定がある。その時に車内で何を食べようか、もし穴子めしがなかったらどうしようかとあれこれ考えると、今から楽しみでならない。

mikonacolon

 

保険の窓口

親身になって相談に乗ってくれて、大満足

 これから書くのは知人の話である。近所に住む桐原さんは60代の女性で、彼女の夫は6月で65歳になるが、現在も嘱託として働いていた。先月加入している生命保険会社から更新のお知らせが届いた。封を開けて見てびっくり、なんとひと月6千ほどの保険料が2倍になっていた。スワ、大変、この額では、いずれ年金年生活になったら、払えなくなると慌てふためいた。早速担当者に電話をして、解約の手続きをするよう頼んだ。すると、いつの間にか以前の担当者とは別の会ったこともない人に変わっていたので、あっけなく事は済んだ。数日のうちに解約申込書を送付してくれるという。危くのところで契約を解除できて、ほっと胸を撫でおろしたが、すぐにこれからどうしようとなった。

 桐原さんの夫にとっては、保険はお守りのようなもので、やはり何か保険に入っていないと落ち着かないらしい。今までそうやって生きて来たので、その信念はそうやすやすとは変わらない。今までと同じくらいの金額で、葬式代が出るくらいの死亡保険に入りたいと望んでいた。それで、桐原さんは、最近テレビのCMでよく見るライフネット生命や、はなさく生命、太陽生命などの情報をネットで探した。サイトで「簡単見積もり」というものを試してみたこともあり、表示のままに進んだら、危うく契約成立まで行きそうになった。だが、「契約する」をクリックしそうになって、思いとどまった。果たして、この保険で証書はちゃんと出るのかどうか不安になった。もし、ネットの中にだけ証書があって、紙の形態で目の前に存在しないとしたら、どうすればいいのだろう。WEB上にだけ存在する契約というのは、目に見えなくて、アクセスしなければその存在を確かめることはできない。それにこの先何か疑問に思うことがあっても、すべてネットで相談するのが常識である。ネットで契約した保険はネットでのみ対応するというのが前提なのだ。

 桐原さんはそのことを物凄く不安に感じた。はなさく生命という保険会社に資料請求をしたら、コールセンターの人から電話が来て、入りたい保険の詳細を聞かれた。やはり、ネットで入る保険には後から苦情が絶えないので、そうならないための予防策としての電話だった。その時知ったのだが、対面での契約も可能だという。つまり、代理店を紹介してくれて、担当者に相談しながらの保険契約ができるのだ。桐原さんは夫と相談してから後日電話をすると言ってその時は電話を切った。

 その後で、何気なくネットで「はなさく生命」を検索したら、「保険の窓口」というものがあることを知った。しかも最寄りの駅から電車で数分のところにそれはあった。そこでなら、自分たちが望む保険を紹介してもらえるのではと思った。今はあまり見かけないが、以前は俳優の速水もこみちさんがCMに出ていたのを思い出した。当時は他人事で、あまり興味がなかったが、今となっては大歓迎だ。世間の噂によると、保険の窓口は相談だけするつもりの軽い気持ちで行くと、やたらに勧められて困るイメージがあった。だが、桐原さん夫婦の場合は、もう目的が決まっていて、その場で契約してもいいと銀行の通帳と届出印まで持参していたから話は早かった。早かったと一口に言ってもその間1時間以上で担当者が懇切丁寧に説明してくれるので、正直言って相当に疲れた。

 要するに、保険の契約にあたっては契約前に同意と確認が必要なことが山とあるのだった。担当者は当然のことながら口が乾く間もなく喋りづめである。それをいちいち頷きながら聞いている桐原さん夫婦もここぞと言わんばかりの集中力を必要とした。以前と違うのは、保険の契約はすべて、パソコンの画面上で行い、昔のような紙での契約ではないことだ。もちろん印鑑は必要ではなく、タブレットに専用のペンで本人がサインをして終わりだ。それでも、後日ちゃんとした紙の保険証書が届くのは以前と同じだ。帰り際、桐原さんは自分が入っている保険のことを聞かれた。払い込みが終わっているのに、まだ年に一度1万円程度の保険料が引き落とされていると言うと、「それはちょっとおかしい。きっと何かオプションでもついているのですよ」と怪訝な顔をされた。「もしよかったら、その保険の証書を見せてもらえませんか」と言ってくれるので、相談に乗ってもらおうと思っている。

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自家製冷凍弁当に仰天

今週のお題「お弁当」

これってもしかして、私だけですか?

 今まで生きて来て、お弁当に関して、一番驚いたのは、知人が作る冷凍弁当だった。冷凍弁当というと、ネットで売っていると噂では聞いたことがあったが、まさか家で作るのだとは思いもよらなかった。あれは果たして、自分で作れるものなのか、それに衛生上問題ないのかと私はあれこれ考えてしまった。そんな不安を口にしても、知人は至って当然のことと、全然動じなかった。

 よく話を聞いてみると、知人の娘さんが家から遠い大学に通っていて、その娘さんに毎朝持たせるための弁当を前の晩に作って冷凍しておくのだそうだ。なぜ、朝作らないのかというと、5時頃起きるのは辛いし、また朝早くから慌ただしいのは嫌だからという理由だった。寝る前に、いや、夕食のおかずを作る際に弁当箱の中にご飯とおかずを詰め、冷凍庫に入れて置けば、一石二鳥で手間いらずだからだ。自家製冷凍弁当という裏技を見つけたことに、知人はとても満足していた。朝忙しい思いをするよりは、夕食時にやっておいた方が効率的だと言わんばかりだった。皆なぜそうしないのかと不思議そうにしていた。

 私が、そんなことをして大丈夫なの、と疑問を口にすると、朝娘さんが出かける時に冷凍庫から出して、持たせると、お昼時にはちょうど弁当が食べごろなのだという。当の娘さんからも不満の声はなく、とてもうまく行っていると満足していた。いやはや、自家製冷凍弁当は大活躍しているようだが、話だけ聞いて、内心は決して真似しようとは思わなかった。それよりも、知人の娘さんのことが気にかかり、とてもえらいなあと感心した。知人の娘さんは当時20代後半だったが、その娘さんがどうして大学に通っているかというと、それは大学に入り直したからだ。薬剤師の免許を取るためだった。娘さんは大学を卒業した後、一般企業に勤めていたが、その中で強く思ったそうだ、何の専門分野も持たない自分はどうやってこれから生きていけばいいのか、と。

 それで、何か武器になるような資格を取りたいと考えて末に、会社を辞めて、薬学部のある大学に入り直そうと決心したという。う~ん、こういうことって小説やドラマにはふんだんに盛り込まれてはいるが、現実にはなかなかハードルが高い行為だ。自分の気持ちだけではどうにもならず、思うことはできても周りの理解がないと相当に難しい。大学受験にしたって上手くいくかどうかにわからないし、その先も視界良好とは行かないのが世の中である。それでも娘さんの勇気ある決断には拍手を送りたいのが本心だ。知人の話によると、弁当の話を聞いた当時は娘さんはあと2年ほどで卒業だと言っていた。あれからどうなったのか、音信が途絶えてしまったので知る由もないが、今ごろはきっと立派な薬剤師になっているに違いない。

 薬剤師でふと思い出したが、新聞などでよく記事を目にする生活評論家の人がいる。名前ははっきり思い出せないが、テレビにも出演したりする有名な人なのだが、生活評論家としての仕事だけでは生活できないらしい。それで、収入を補うために他の仕事をする必要があって、週に何回か薬局で薬剤師をしている。元々薬剤師の資格を持っているその人は病院で働こうとしたが、こちらは空きがなかった。それで、薬局、というよりもドラッグストアと言った方がいい店で働くことになった。病院と違って、ドラッグストアの仕事は調剤のみならず、接客もしなければならない。はっきり言って、最初は接客には戸惑ったが、今ではだいぶ慣れたという。長年デパートのお客様相談室に勤務していたが、定年で辞めたので、次の職場にドラッグストアを選んだというわけだ。その人曰く、今は本来の薬剤師としての仕事は減っていて、あるのはドラッグストアでの販売員のような仕事ばかりだという。「お弁当」から繋がって、知人の娘さんを思い出し、生活評論家の話題にたどり着いた。まさにしりとりのようなもので、なかなか愉快だ。

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近所を散策するのが楽しい

今週のお題「外でしたいこと」

なにも遠出をしなくても、幸せはすぐ近くにある

 今、外は植物の宝庫と言ってもいいほどに、賑わいを見せている。冬の間殺風景だった世界が最高潮に盛り上がっている。しかも、頬をくすぐる風さえも心地いい。早朝ならまだ暑くもなく、寒くもない最高のコンディションで散歩ができる。もう少し時間が経てば、すぐに太陽の日差しを眩しく、また鬱陶しく感じてしまうのだろうが、幸いなことに、暫し至福の時間を味わえる。冬の間は裸木で、侘しい限りで見るに堪えなかった樹々の葉が繁茂しているのを見るのは、まるで生命の神秘を、何らかの希望の光をみているようで、とても新鮮だ。散歩の途中にある、ハナミズキが青々とした葉で鬱蒼として来たと思ったら、いつの間にか白い花を咲かせている。その花がなんとも清楚で可憐な花なので、足を止めて眺めている。ただの白い花と言ってしまえばそれまでだが、人を惹きつけずにはいられない魅力がある。

 少し歩みを進めると、今度はピンクと白の模様のハナミズキの花が咲いていて、白い花もいいが、ピンクの花もまた葉の緑とコントラストを奏でていてとても綺麗だ。そう言えば、先日朝日新聞天声人語を読んでいて、気づかされたことがあった。それは、「日露戦争の講和で、労を尽くした米国に尾崎幸雄が感謝を尽くそうと、桜の苗木を3千本贈り、その返礼として米国はハナミズキを送ってきた」との記述で、だが、尾崎のそんな事情を知らない日本人は激怒し、ハナミズキを切り倒してしまったという。そんな逸話がハナミズキにはあるのだと初めて知った。

 こんなにも賑やかな今の風景はかつてあっただろうか。さすがにもう桜は散ってしまたが、道路の端っこには桜の花びらがてんこ盛りにあって、思わず「なんてきれいなの」と私などは心の中で叫んでしまう。あちこちにタンポポの黄色、水仙の白も顔をのぞかせているし、あの盛夏の季節に咲くはずの百日紅までが燃えるようなピンクの花を咲かせている。色彩の饗宴とも言える外の風景は今が見ごろで、「ただの花でしょう」などとうそぶいて、無視してしまうのはもったいなさすぎる。続々とつぼみをのぞかせ、今にも咲き誇ろうとしているツツジも、油断すれば、あっという間に枯れてしまうのはわかっている。まさに花の命は短いのだ。だから、せめてその全盛期を見逃さないようにしたい。

 いつも通る散歩コースの道沿いに製菓専門学校があって、入口の脇にある植え込みはいつも季節の花で彩られている。グリーン中心だが、中には黄色の見事な花を咲かせているラナンキュラスもあるし、もちろんマリーゴールドだってあって、冬の間も寒さにも負けず圧倒的な存在感を放っていた。今注目しているのは、私はそれらがどんな名前か知らないが、パンジーに似た花で、紫の色の配色がなんとも絶妙だなあとじっと見つめてしまう花たちだ。そう言えば、以前郵便局に行った時に、玄関にある植え込みにそれらと同じ種類の花を見かけたことがあった。嬉しいことに、色のバリエーションが豊富で、私たち人間の目を大いに楽しませてくれる。冬の無彩色の世界から、やっと色彩のある色づいた町に変貌を遂げた世界は儚ないが、とても貴重だ。それがほんの少しの間とわかっていても、やはり自然のもの、人工的ではない植物は人にとって不可欠だ。

 歩いていたら、何処からともなく、風に吹かれて桜の花びらが降ってきた。思わず、頭上に目をやっては見たが、近くに桜の木は見当たらない。桜の花のシャワーを浴びたら、きっとうちの姉だったら、ここで一句となるところだが、私には残念ながら何も浮かんではこない。ただ、何とも不思議な心地良い気分に一瞬浸るだけで、すぐに現実世世界に舞い戻るだけのことだ。爽やかな余韻に包まれたまま、いつものように散歩を続ける。足が勝手に歩みを進めるからなのだが、間違いなく私は桜の花びらのシャワーで気分転換をしていた。

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一年ぶりに髪を切ったら

 

信じられないような爽快感に包まれて

 昨日ついに髪を切りに行った。ずうっと行かなくちゃとは思っていたが、先延ばしにしていた。髪を切ってもらう美容院は、いつも行くスーパーの隣りという恵まれた場所にあるにも関わらず、行かなかった、いや、行けなかった理由はちゃんとある。たいしてストレスになるような原因のカケラさえ思いつかないのに、それでもやたら抜け毛が多くて、このままではいずれ髪の毛が無くなってしまうのではないかと不安でたまらなかった。抜け毛が一段落すると、今度は頭の猛烈な痒みが気になって仕方なかった。気にすると、余計にジワジワト痒みが襲ってきて、皮膚科に行った方がいいのではと本気で思った。近所には皮膚科がないので、ネットで検索して探していたら、薬局に頭専用のかゆみ止めがあることを知った。私はそんなものがある事さえ知らなくて、頭の痒みで悩んでいる人は意外に多いのだということを初めて知った。

 要するに、皮膚の痒みと同様に、かゆみ止めを塗って症状を抑えるやり方だ。何回か塗って、それでも症状が改善しないようなら、その時は皮膚科に行くしかないらしい。薬局に行って、かゆみ止めの棚をみると、頭専用のかゆみ止めは液体タイプとクリーム状タイプの物があったが、売れている液体の方を選んでレジに持って行った。なんだか後ろめたい気持ちになったが、このまま頭の痒みを放置することはできなかった。家に帰ると、早速箱から取り出して、頭の痒い部分に塗ってみる。シュワシュワとしたメントールの匂いに顔をしかめる。痒みに堪えられなくて、掻いてしまったせいか、液がジーンと染みて少し痛痒い。少し痒みが和らいだ感じもするが、それは気のせいかもしれない。頭のかゆみ止めを使ってみて、この薬は刺激が強すぎて、やたらと使えないと思い知る。それからは、薬はやめて、頭の痒みをあまり意識しないように努めた。はっきり言って、薬を塗っても効果は期待できなかった。

 さて、そう言うわけで、髪を切りに行くのが伸ばし伸ばしになっていた。今回意を決して行こうと思ったのは、7月に実家の法事があるからで、帰省のためだった。いつも、帰省や特に海外旅行に行く前には、髪を切りに行くのが私の儀式のようなものだった。さっぱりした髪の毛で何の憂いもなく旅立つことで、モチベーションがさらに高まった。旅立つ前にやらなければならないリストの中で、髪を切りに行くことは上位に位置していたはず。なのに、私は昨年髪を切りに行った記憶がない。いったいいつ髪の毛を切りに行ったのか思い出せないまま、海外旅行から帰ってから今まで暮らしていた。

 当然私の髪の毛は鬱陶しいほどに伸びていた。15㎝ぐらいは切っただろうか、さっぱりして、世界が変わったように感じるのは無理もなかった。昨年海外旅行の前に髪を切りに行かなかったのにはちゃんとした理由がある。いや、その前のお盆の帰省の前に行っておけばよかったのかもしれないが、できなかった、それどころじゃなくて、というかそんな余裕がなくて。実を言うと、昨年の6月から年末までずうっと不調だった。膝の裏に水が溜まってまともに歩けなくなったのが、始まりだった。もっとも、痛みをこらえて無理矢理歩きまわってはいたが、夏の暑さが一段落したと思ったら、今度は目がおかしくなった。右目の周りに強烈な痛みが出て、まともに顔が洗えなくなった。原因は右目の奥の炎症で外側の炎症よりも深刻だった。9月から眼科に通っていたが、ある予期せぬ事実が判明して、未だに定期検診が必要な状態だ。

 まだ続きがある。海外旅行直前に胃がおかしくなり、物が食べられなくなった。”旅行は健康でこそ楽しめる”がモットーの私には最悪の事態だった。一番大事な”健康”が欠けている旅行が果たして、楽しいものなのか、甚だ疑問だが、それでも旅行を取りやめるという選択肢はなくて、とりあえず行ってみようとなった。病院に行って、何日かぶんの薬を貰い、不安を抱えながらの離陸は初めての経験だった。もちろん、1日に2回の目薬も忘れずに差さなければならない。そうやって何とか自分で決めた日程をクリアーしてわかったのは、具合が悪くてもけっこう旅行は楽しめるということだ。恐る恐る行ってはみたが、案外気持ちは上がるもので、「行ってみて、本当によかった」と旅行中はずうっと思っていた。まさに”案ずるより産むがやすし”である。

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エジプトという選択肢が消えた理由

エジプトはあのイスラエルと国境を接している

 昨年のヨーロッパ旅行から5カ月も経つと、さすがにお尻のあたりがむずむずしてきた。つまり、立ち上がりたい、ここから再び旅立ちたい欲求がメラメラと湧いてきた。だが、いったいどこへ、もう以前の自分のようには行きたい場所は頭の中に浮かんではこなかった。何処でもいいから行きたいとまでは言わないが、何処か興味が持てるような場所はないものかと思案していたら、そうだ、エジプトに行こうとなった。その発端となったのはNHKのラジオ英会話でのある日のストーリーで、国際カップルのダグと志保が新婚旅行先にエジプトを選んだからだ。普通はイタリアとかフランスとかを選ぶのにどうしてと尋ねる志保に、せっかくだから、エジプトにしようとダグは提案する。

 実を言うと、志保は普通のカップルがするような結婚式はしたくないと自分の正直な気持ちをダグに打ち明けた。それで、ダグは志保の想像を遥かに超えた旅先としてエジプトを選んだのだ。結婚式の費用を将来のために貯金しようと言う志保にダグはそれなら新婚旅行ぐらいは豪華にしてもいいのではないかと意見を求めた。その申し出を聞いた志保は「これでやっとピラミッドを見るという夢が叶うのね」と感激する。ダグは志保が何を望んでいるのかちゃんと知っていた。さすが志保の恋人である。

 この話を聞いていた私は、すぐに「エジプトか、それもいいなあ」と思ってしまった。以前の私なら、すぐに大型書店に行って、7階の海外旅行本コーナーでガイドブックを読み漁るのだろうが、現在ではそのスぺ―スはもうない。ガイドブックが頼りにならないとしたら、船の羅針盤のようにすがるべきはネットの情報だった。むしろ情報が更新されないガイドブックよりはライブ感のあるありのままの情報が手に入る。「エジプト、観光」と打ち込んで、検索してみる。できるだけ最新の情報が欲しいので、日付を見ながら、”エジプトの歩き方”がつぶさにわかる記事を探す。

 すると、ヤフーの知恵袋に「今度、エジプトに観光に行きます。見どころは個人で回れますか、それとも現地のツアーに参加したほうがいいのでしょうか」という質問を見つけた。そのベストアンサーで、「個人で公共バスなどに乗って郊外のスポットを回るのは無理で、タクシーの貸し切りになります」とあったので、これはちょっと勝手が違うぞとようやく気付いた。今まで私がしてきたような気軽な街歩きはできないと思った方がいいらしい。たとえ、観光スポットにほど近いホテルに宿泊しようと、タクシーでの移動が基本なのだという。さらに、「個人でも大丈夫で、観光地を回る限りでは、私は危険は感じませんでした」と付け加えていた。

 そう言えば、昔、エジプトに行こうとしていた時があった。あのルクソールでの銃乱射事件が起こる前だったが、ガイドブックを見ただけで、ギザのピラミッド、ルクソール神殿、その他のたくさんある見どころがあまりにも離れすぎていることにまず戸惑った。移動するのに、恐ろしく時間がかかり、またお金もかかることに気付かされた。日本で言うと、東京、名古屋、京都、福岡というように移動するようなもので、もちろん鉄道などなく、全て飛行機での移動である。これでは見どころの大半を巡るのに10日では足りないのは誰の目にも明らかだ。確かにピラミッドはできる事ならこの目で見てみたい。だが、どうしても、どうしようもなく見たいというわけでもない、それどころかどうしてを追及されると返答に困るほど軽い思いつきだった。

 となると、「もうピラミッドはいいや」となるのは自然の成り行きだ。”死ぬ前に絶対行って見たい場所”のリストに載っているわけでもない。NHKのラジオ英会話に導かれて、エジプトを再び旅行先に考え始めたが、正直言って、迷っていた。ところが、あるサイトを閲覧していると、「今行くべきではありません。イスラエルはすぐ隣の国ですよ」という忌憚のない意見もあって、これには現実を思い知らされて、冷や汗が出た。新聞には、イランがイスラエルを攻撃し、イスラエルも報復を検討していると書いてあった。今後中東の情勢がどうなるかもわからないのに、旅行だなんて悠長なことを言っている場合かと、もうひとりの自分が渇を入れる。そうなると、それほど行きたいわけではない私はエジプトに行くことを断念しない訳には行かなかった。

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