人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

憧れのままでいいバイオリン

 

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バイオリンを習うのに意外にハードルは低いのですが

 もう何年も前、ゴールディンウィークに近所の大学の前を通りかかると、聞こえて来たのはバイオリンの音色でした。誰もがこの時期どこかに出かけているとばかり思ったら、熱心に練習をしている人達も居たのです。塀の向こう側に居る人が世間とは別世界に生きているかのように思ったものです。やはりバイオリンの奏でる響きは特別で人を惹きつけてしまうのです。かくいう私もバイオリンの音色が大好きで、以前五嶋みどりさんが話題になったときには、朝はいつも彼女のCDをかけていました。ドラマを見ていても、バイオリンを弾く男性が出て来ると、思わずみとれてしまいます。例えば、昔好きだった米国ドラマ『大草原の小さな家』の父さんやトルコのドラマ『オスマン帝国外伝』のイブラヒムなどです。いつだって弾けたらどんなにいいだろうかと一瞬は考えてみるのですが、実際にバイオリンを習うところまでは行かないのです。それはたぶん、バイオリンをどうするか、つまりお金のことを考えるからだと思います。それと傍から見ていても難しそうで果たして自分にできるのかと躊躇してしまうからです。一歩踏み出すのには越えなければならないハードルが高すぎるのです。

 そんなことを考えていたら、知人が娘さんのことを話してくれました。彼女はどちらかと言うと飽きっぽい性格で、習いたいと言い出した時は長くは続かないだろうと思ったそうです。ちょうど専門学校に通っていた時で、時間だけはあるので本人のやりたいようにやらせることにしました。ヤマハの大人の音楽教室に申し込みに行くと、バイオリンは最低で20万円程度することがわかりました。予想通りバイオリンの値段は高かったのですが、無理にヤマハのを買わなくても構わないと言われました。練習ができれば何でもOKだとわかってホッとしました。親としては、そんな高価なものを買って飽きたらどうするのか。練習に使うのならもっと安いものでいいのだからと思い、試しにネットで検索してみたら、あったのです。ケースに入った練習用のバイオリンがなんとセットで1万円でした。こんなに安くて使い物になるのか半信半疑でしたが、幸運にもこれが十分役に立ったのです。娘さんの先生は清楚な感じがするウイーン帰りの若い女性でした。彼女はこの美しい先生に憧れていたようで、練習よりもおしゃべりするのが楽しかったようです。

 先生のバイオリンはもちろん何百万円もするので、生徒がわずか1万円でバイオリンを手に入れたことに驚きを隠せませんでした。「そんなに安いバイオリンがあるなんて知らなかったわ!」。娘さんがバイオリンを初めてわかったのは、弓は馬の背中の毛でできていて、弦を弓で擦って音を出すのだということでした。それと弦を取り替えたり、あるいは弓の馬の毛を新しくするのには5千円ほどかかることがわかりました。習い事には発表会が付き物ですが、娘さんの出番の時にちょっとしたハプニングが起こりました。それは彼女が「きらきら星」を弾いていたら、突然バイオリンの絃が切れてしまったのです。すると先生がすぐに自分のバイオリンを彼女に手渡しました。「どうだったの?やっぱり先生のバイオリンの方が音は良かったのでしょう?」と興味津々で聞いてみました。でも意外なことに知人の答えは「聞きなれているせいか娘のバイオリンの音の方が心地よかったの」でした。つまり、素人にはその音が何百万円もするのかあるいは1万円なのかは、全く判別できないのだとわかったのです。笑い話のようですが初心者にとってはその程度で、違いが判るのにはある程度の時間が必要なのです。

 知人の予想通り娘さんのバイオリン熱は先生が教室をやめて、またウイーンに戻ってしまったことにより覚めてしまいました。それと就職したことで、時間に余裕がなくなってしまったのも一因でした。知人は、高いバイオリンを買わなくて良かったとつくづく思いました。と同時に自分がやりたいと思ったら、本当にそれを望むのなら壁はたやすく壊すことができるのだとも強調していました。知人に言わせると、日々のレッスンを休みがちなのに、発表会にはちゃんと弾けてしまう人もいるそうで、皆それぞれ楽しんでやっているらしいのです。一方、私の場合は、バイオリンは思うだけで一歩も踏み出せず、依然として憧れのままの存在です。

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リネットのパソコン回収を利用して

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パソコンのことはすべてネットで勉強

 先日やっと心の重荷だった古いパソコンを手放しました。10年も前のデスクトップパソコンの本体がどうしても捨てられなかったのです。住んでいる自治体の粗大ごみのパンフレットを見ても各メーカーに問い合わせるようにしか書かれていません。ディスプレイは捨てられたのに、個人情報が詰まっている本体はどうしても躊躇してしまうのです。忘れてたふりをして、目の届かない部屋の隅に放っておくのがとりあえずの処置でした。根本的な問題の先送りをしていたのです。でもハードディスクを取り出すのも、いざ取り出して、それをどうするのかもわかりません。実は以前このパソコンのディスプレイは廃品回収に出しました。今ではほとんど町で見かけることがなくなった、「ご家庭で不要になったパソコン、電化製品などはございませんか、壊れていても構いません。どんなものでも引き取ります」と言う文句をスピーカーでひたすら流していた、あの回収業者にお願いしたのです。「無料で」引き取ってくれるかと思ったら、そんな虫の良い話はあるわけがないのです。世の中そんなに甘くないですとばかりに1台4千円も取られてしまいました。こちらは使えなくなって用済みとなった不用品を早く手放したい気持ちで一杯なので、お金で解決できるのならまあいいかと諦めたのです。

 今回リネットのパソコン回収を利用しようと思ったのは、ネットで予約すれば、無料で回収してくれるからでした。パソコンを適当な箱に入れて待っていれば、佐川急便の人がわざわざ自宅に引き取りに来てくれるのです。実はもう1年ほどほったらかしておいた壊れているノートパソコンがあったので、それも一緒に出すことにしました。早速パソコンを入れる段ボール箱を捜しました。田舎に荷物を送るために取って置いたリンゴの箱に本体を入れてみると何とか収まりました。ノートパソコンの方はまた別の箱に入れればいいとすぐに思いました。何か別の箱を捜しに行こうとして、その前にリネットのサイトでとりあえず回収の予約をすることにしました。

 サイトで回収日、氏名、住所等を入力して、段ボール箱の数を2と打ち込んだのです。そしたら、料金が1650円と出ました。何かの間違いではと最初思いました。それで試しに箱の数を1個にしてみると無料でした。つまりパソコンが2台であっても、一つの箱なら無料なのでした。ここでの無料と言うのは1箱無料という意味なのだと、さんざん試行錯誤した後に判明したのです。それからは箱探しが始まったのですが、なかなか適当な箱がないのです。でも見つけました、不要な物がいれてある箱の中身を出して、本体とノートパソコンを入れたら余裕で収まりました。それで、やっと回収の予約を無料ですることができました。

 次に取り掛かったのは、ハードディスクを本体から外すことで、これにはネットの記事のアドバイスが役に立ちました。ノートパソコンなら容易に取り出せますが、本体となると面倒なのでやる気にはなりません。リネットもデータ消去にはお金がかかり、1台に付き4千円近く費用が必要なことがわかりました。証明書の発行は3千円ですが、そのほかに郵送費用500円とか消費税370円がプラスされるのです。

 考えてみると、パソコンを買う時はいつだって捨てる日が来るなんて想像もしないのです。役に立たなくなった時にはどう処分するのか、これからは買う前にちゃんと確かめる必要があるかもしれません。というのも、昨日までちゃんと動いて仕事してくれていたパソコンが、突然うんともすんとも反応してくれなくなるからです。私のノートパソコンも、更新プログラムのお知らせを気にせず、何度も無視したことによって画面が真っ暗になりました。私のような素人が「そんなことでどうして?」と疑問に思うようなことで壊れてしまうのです。昔はパソコンはめったに故障なんてしませんでした。でも今のパソコンは自動で更新してくれるわけではなく、自ら手動でやらなければならないのだと悟ったのです。だから、パソコンを長持ちさせるには、画面にわからない表示が出たらすぐにネットで調べるしかないのです。今のパソコンをできるだけ長く使い続けるために、これからもパソコンに関する知識を学び続けていこうと思います。

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今本当に学びたいこと

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コロナ禍で一番身につけたいのは心の平安の保ち方

 気が付けば、ついこの間まで裸木だった木々からは新芽が出て、どんどん成長しています。観察していると、日ごとに勢いを増し、あっという間に新緑で満たされて眩しく感じられるほどです。季節は人間の思惑などとは関係なく巡って、新しい春が来たのです。私たちがコロナに翻弄されてから,もう1年も経ったのかとため息が出てしまいした。春なのに、希望に満ち溢れた季節なのになぜこんなに気分が盛り上がらないのか、そんな風に思っていたら、黒のスーツを着た男女の集団と出会いました。彼らの服装からして、入学式か、あるいは入社式かと思われます。マスクをしながらも雑談しながら歩く姿からは、これからの生活への希望の光が感じられました。コロナの感染拡大が危惧される世の中でも、明るい未来を信じて疑わない人達も確実にいるのだとわかって、なんだかホッとしたのです。

 先日、新聞にある大学教授の方が、今の学生には「ガチャ思考」と言うのがあるらしいと書いていました。その先生のゼミで学生がガチャという言葉を多発するのが気になっているのです。ガチャとは誰でも知っているガチャガチャで、お金を入れて、レバーを回すと透明なプラスチックのカプセルが出て来るあれです。中に入っている品物は様々で、当たりかどうかは運しだいで決まる。つまり自分をそのガチャに例えて、生まれた家によって、用意された環境によって、将来がほぼ決まってしまうのだと言いたいのです。いわゆる「親ガチャ」です。自分の将来も運次第で、忍耐だの、逆境に負けないだのと努力の大切さを教えられても虚しいだけなのだと。だからと言って、彼はそういう世の中を否定しているのではなくて、そういった残念な真実があるのを承知で現実を楽観視しているのです。

 さて、もう学生ではない私たちは、これから先どうしたらいいのか。そうだ、今一番学びたいことは、これからの生き方、先行きの見えない現実との向き合い方だとは言えないだろうか。知人のある男性は自他共に認める仕事人間だったのですが、コロナの影響で休みの日が多くなってきました。最初のうちは何をしたらいいのかわからず、戸惑い嘆いてイライラしてばかりいました。彼の仕事はリモートワークができないので電車に乗って出勤するしかありません。でもしだいに気づくようになったのです、会社を休むということは感染から自らを守ってくれることなのだと。今まで目の前の仕事のことしか眼中になかった彼が、思わぬ空白の時間ができたことで自らを振り返ることができたのです。家に帰っても仕事のことが頭を離れなかった自分って、いったい何だったのだろうとあきれ果ててしまった。仕事をしていない自分はまるで抜け殻のようだと感じてしまった。仕事を取っても自分でいられる何かを、心の支えが欲しいと思った。

 では人にとっての心の支えって何だろう。時間だけはあるので、今まで時間が無くて読めなかった本を図書館で2~3冊借りてきて読んだりもした。見たことがなかった韓国ドラマもテレビでやっていたので試しに見てみた。そしたらあろうことが嵌ってしまったのだ。主人公はアナウンサーを目指す女性で、彼女の母親もアナウンサーで自分の番組でMCもするほど有名だった。だが陰謀によって番組を降ろされ、住んでいる家さえも奪われそうになってしまう。自殺未遂もしたが、彼女はアナウンサーとしての誇りは決して失わなかった。苦難の中にあっても、天性の素質と好きと言う気持ちが彼女の生きる支えとなったようだ。一方、その娘も親友の企みによって行く手を阻まれるが、「やられてもやり返さないこと」をモットーにして危機を乗り切った。住む家を失って困ったとき、恋人が狭い家で悪いけどと同居を申し出てくれた。素直に彼の好意に甘えることにした、たとえ自分を嫌っている母親がいる家だとしても。他人に迷惑をかけたくない、自分だけで解決するべきと考えていたが、それは到底無理なのだと悟ったのだ。他人の好意にすがるのも生きていくことなのだと考えを変えた。それでも、自分を惨めだとか、情けないとか、そんなふうに卑屈には考えなかった。店の手伝いや家事に追われ、アナウンサーの仕事とはかけ離れた生活を淡々と送った。でも最後には、願ってもないチャンスが巡ってきて、また本来居るべき場所に戻っていくのだ。

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数学の得意な人が羨ましい

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世の中の現象はすべて数式で表すことができるらしい

 以前私は自分の無知さ、ダメさ加減を嫌と言うほど感じた経験をしたことがあります。あれはいつものように朝新聞を読んでいて、ある新刊書の広告の欄に目をやったときでした。そこに何やら面白そうな宣伝文を見つけたのです。「夜空に輝く無数の星が奏でる夜話に今宵は耳を傾けてはいかがでしょうか」、こちらの心をくすぐってくるような魅力的な文句に惹かれてしまいました。ちょうどコロナの流行のせいで閉そく感で窒息しそうになっていた私は、そうだ、遠いかなたの星の世界に想いをはせてみたらどうだろうか、きっといい気分転換になるだろうと単純に解釈したのです。未知なる星の物語を堪能する、それもロマンに浸ることしか考えていなかったのですから、お目出たいというしかありません。その本は出版されてすぐに「たちまち重版」になったそうで、それはたぶん専門家が初心者にもわかりやすく書いてくれているからだというのです。

 いったいどんな話なのだろうと早く内容を知りたくて、好奇心で胸がうずきました。新聞の広告文を切り抜き、絶対置いてあるだろうと思われる大型書店に行きました。早速、店の入口にある検索機で調べてみると、在庫ありと出ました。念のため情報を印刷して科学部門の階へと急ぎました。おかげでお目当ての本は簡単に見つかり、ドキドキしながら手に取りました。本の装丁が群青色でまるで夜空のように感じられ、微かに光っているのは星の光のようにも思われました。本を開いたら、時空を超えた壮大な世界が広がっているはずでした、でもここで私の妄想は終わりを告げました。実際にその本を読んでみたら、自分の知らない世界、それも数字がやたら出て来て、理解不能の領域に迷い込んだようなものでした。つまり、数学の知識を持たない者は中には入ることもできないし、先には進めないのです。地球からある星までの距離は何メートルで、光の速さは○○だから、公式に当てはめると云々とかの計算の連続で、星のロマンとは程遠いのです。たちまち私は夢から醒めて、自分の置かれた現実を直視するしかありませんでした。今更後悔しても遅いのですが、思ってしまいました、もう少し真面目に勉強しておけばよかったのにと。当時は数学なんてなんの役にも立たないと決めてかかっていたのですから愚かでした。

 そして、大人になって、もう若くない年齢になって知りたくもない事実を知ってしまったのです。つまり、日常生活で起こる現象はすべて数式で表されるということを。その一つのきっかけとなったのはコロナウイルスによる感染症で、感染者数の予測も簡単にできてしまうのです。数学の力を借りれば、ある公式が生み出されて、それに当てはめればいいのです。私に一番最初にこの厳然たる事実を教えてくれたのは、『コロナの時代の僕ら』の著者パオロ・ジョルダーノでした。もっとも始めは戸惑いだけで、著書を買って何度も繰り返し読んでようやく納得できたのでした。それ以来、新聞でも数学の効用が注目され、話題にされたので、私たちは今まで知らなかった真実を知ることになったのです。天気予報も銀行のATMも携帯電話もすべて数学の力の恩恵を受けているのだとわかったときには目から鱗でした。

 思えば、以前から動画サービスでアメリカのテレビドラマ『天才数学者の事件ファイル・ナンバーズ』を見ていました。その番組の冒頭ではいつも「数学、それは日常の中にある、数式を使えば日常に起こるすべてことが表せる」との決まり文句が流れていたのです。ドラマでは兄のFBI捜査官が弟の数学者の力を借りて、次々と事件を解決していきます。でも私はそれがドラマの中のことだとばかり思っていたのです。だから絵空事としか思えなかったのですが、「数学は日常の中にある」のは現実だったのです。

 いずれにせよ、数学の知識がないことで、自分の世界が深まるのではという期待が錯覚に終わってしまったことは間違いありません。そして学生だった頃のことを思うと、「もっと早く教えてよ」と声を大にして言いたいくらいです。だから私は数学が得意で、大人になってからもずぅっと興味を持ち続けている人が羨ましいのです。それはたぶん、学びたくても今からではどうすることもできない、そんな現実に向き合っている私だからこそ思うことなのです。

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難解なロシア語に魅せられて

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気軽に始めたら、興味深い物語と出会って

 ロシア語との最初の出会いはもう十年以上も前のNHKラジオのロシア語講座でした。当時は安岡治子先生が講師で、確か十三番館という古い西洋館を舞台にしたお話でした。今でも思いだすのは先生の落ち着いた優しそうなお声と、十三番館に住む人々の生活と交流を描いているところがとても興味深かったことです。当時はまだ放送時間が20分で、今では信じられませんが「お茶の時間」もあったのです。講座の合間のコーヒーブレイクでロシア民謡や流行りの歌を毎回聞きました。文法が難しかったことよりも、未知の音楽が聴けて楽しかったことしか覚えていません。いきなり難解な勉強から入るというより、初心者向けのロシア語案内というような番組だったのです。

 この「十三番館」の主人公は年金生活者のグレゴリー・ペトロヴィッチと言う男性で、まずは彼の自己紹介から始まります。年金は多くはないけれど、まあ今の生活に満足していたはずでした。でもある事件が起こってしまいました。それは彼の住む建物の自治会長が住民の積立金を使い込んでしまったのです。これって、どこかで聞いたことがありますよね、当時日本でも同じような問題がたびたび新聞を賑わせていました。遠く離れたかの地でもまた人の悩みは変わらないのだと親近感さえ抱きました。さて、急遽集会を開き皆で当の本人をとっちめたら、あろうことか金はもうないの一点張り。謝るばかりで全く埒が明かない。どうやら自分のお金も戻っては来ないのだとわかってきた。こんな時どうして政府は助けてくれないのか。少ない年金でやりくりしている自分たちのことをなぜ考えてくれないのだろうかと彼の嘆きは止まらない。

 そんな彼にはターシャという可愛い孫娘がいて、同じ建物に住むニキータと言う青年と仲がいい。ロシアでは自分の家に人を招くのが普通で、ニキータも自分の部屋の家具を彼女にせがまれて見せてあげた。彼の仕事は当時流行りのすし職人で、普通の仕事に比べて何倍もよい給料をもらっていた。だから彼は年金生活者よりもはるかにいい生活をしていたはずだ。そう言えば、当時のモスクワやサンクトペテルブルグにはすし店が立ち並んでいた。「これが寿司なの?」と突っ込みたくなるくらいの代物が運ばれてきた。ありえないロシア風寿司に仰天したが、”郷に入らば郷に従え”でお面白がることにした。それが今では「あれはいったい何だったの?」とすべてが夢だったかのように思えるほどに見る影もないのだった。あの賑わいは幻だったのか、ブームは去ったのだった。

 グレゴリー・ペトロヴィッチは猫が嫌いだった。でもある日ふと一匹のネコが自分の方に近づいてくるのに気づいた。あれはたしか同じ十三番館の住人で年金生活者の女性のネコに間違いない。そのネコ命の女性と彼は先日言い争いをしてしまったのだ。原因は彼が好きな戯曲の劇作家を彼女が酷評したせいで、我慢がならなかったのだ。このエピソードからは日常生活の中にしっかりと文化の風が入り込んでいるのを感じてしまう。ロシアの庶民にとって芝居を見て楽しむのは当たり前のことなのか。そのことは到底日本人には理解できないことだ。普通の人が劇場に足を運び、芝居や音楽を楽しむのが日常だなんて、そんな世界があるなんて俄かには信じられないことだ。でも実際現地に行ってみると、街角では演劇やコンサートの看板やポスターがやたら目に入って、私たちを誘ってくる。そして次に発見するのはチケットを売っているブースで、わざわざ劇場に足を運ぶ必要もなく至れり尽くせりだった。

 考えてみると、最初は「十三番館」のストーリーからロシア文化に触れて、興味津々でロシア語の世界に入って行った気がします。当時は本当の意味でのロシア語の難解さを知りませんでした。でも、まいにちロシア語黒田龍之助先生の講座を聞いて以来、断然好きになり、ロシア語は面白いとさえ思えてきたのです。私ごときの拙いロシア語でも相手はちゃんと耳を傾けてくれる、そんなすべてを受け入れてくれるお国柄がロシアの一番の魅力だと言えるでしょう。現在の私にとって、ロシア語は灰のような物、でもその灰の中に火種はまだ残っています。だからいつだって火は燃え上がるのです。最後のロシア旅行から1年半が経とうとしています。またいつか行ける日が来るのを励みにして勉強を続けていきたいです。

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英語に片思い、万年初級の私

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いつだって情熱が続かないのに、取り組み続ける訳は

 私はこれまで、不真面目ながらずうっと英語を学んできたつもりです。確かに、長いブランクもありました。成果があまりにも上がらないので嫌気がさして、「英語の勉強なんかもうやめる」と背を向けたのです。熱しやすく冷めやすい性格の私は、何かをコツコツと続けることができないのです。どうも自分の中にふつふつと沸き上がってきた情熱の炎は、三日坊主ではないにしても、持って3か月程度なのだと、経験から知ってしまったのです。以前このままではいけないと一発奮起して、英語の場面ごとの会話集を買って来て暗記することにしました。毎日必ずやることにして、その本を1カ月で終わらせるのを目標にしたのです。それを3カ月続けたら、スラスラと英文が口から出るようになりました。でも達成感で一杯になった私は、ここらで少しくらい休んでもいいのではと甘い考えを起こしました。正直言って、3カ月間頑張ってきたので少し疲れたのです。もう少しで見たこともない景色を見ることができたかもしれないのに、その手前でやめてしまったのです。不思議なことに、いったん中断してしまうともう元には戻れません。すっかりやる気がなくなり、興味の対象が他のことに移っていくのです。少し前まであんなに熱中していた英語の勉強のことなど頭から消えてしまいました。

 そしてまたある程度の時間が経つと、何かの拍子に思いだしてやる気になる、言ってみれば、そんなパターンの繰り返しです、私の英語に対する取り組み方は。ではなぜそんなに英語に執着するのか、思いを遂げられないのがわかっているのに、気になる存在なのか。たぶん、それは海外旅行に不可欠なものだからです。世界中どこに行っても役に立つ手段としての英語が武器になるから、上達しないのにも関わらず無視できないのです。半ば諦め気味に、何かの時に使えるから知らないよりましという軽い気持ちで、今はNHKラジオの大西先生の『英会話』を聞いています。たまに問題の英作文を作ってみると、これが意外に合ってたりするのです。すると、ダメな自分でも少しは英語のセンスがあるのではとホッとしたりして。でもすぐにもうひとりの自分が出てきて、ホッとしていいレベルじゃないだろうと喝を入れるのです。とにかく英語との接点を無くさないようにすること、忘れてもまた覚えればいいじゃないというくらいの、今の言葉で言うとゆるい感覚でもって淡々と向き合うしか、落胆せずに済む対処法が見つかりません。

 はっきり言って、語学の基本は暗記で、どう言い訳しても覚えていない物は口から出てこないのです。それに基本がしっかりしていないと文が作れません。でも現実は集中して覚えたつもりでも、情けないことに翌日には忘れてしまっている。新しいことを覚えれば覚えるほどうまくいかない、そんな負の連鎖を断ち切るのにはどうしたらいいのか、悩みは尽きないし、またその解消法も容易には見つかりません。そう言えば、以前聞いていたNHKの中国語講座の中で、講師の佐々木勲人先生がこんなことを言われていました。「嘆いていても何も解決しない。だから行動するしかない、つまり勉強を続けるしかない」と。普段は優しい物言いの先生がこの時ばかりはきっぱりとした口調で言われていたのが印象に残りました。

 そんなことを言われても、怠け者の私としては、スポンジのようになんでも吸収してしまう頭が欲しいのです。一度覚えたことは絶対忘れない頭があったら、英語を学ぶのが断然楽しくなってしまうのになどと勝手に想像してしまいます。でもその反面、何もかも覚えていて、嫌なことも決して忘れない頭を持ったらどうだろうかと考えると悪夢でしかありませんでした。でも実際は少し様子が違うのだということを発見したのです。あれはテレビの番組で、普段の生活の中で忘れっぽくて困っている人達を取材していました。例えば、ある女性はスーパーに行く前はちゃんと買うものを覚えていたのに、店に着いた途端何だったか忘れてしまうのです。どうしてそんなことにと不思議で仕方がなかったのですが、私が仰天したのはスーパーに行く途中の出来事でした。ひとりの外国人が彼女に英語で道を尋ねたのです。すると彼女は困った様子も見せず、自然に英語で対処していました。彼女にとっては普通のことで、それに英語は忘れないみたいです。英語に関しては完璧に記憶しているのに、どうして日常生活については忘れるのか、とうてい理解できなかったし、またとても興味深い番組だったので覚えているのです。

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小説の書き方を学びたい

 

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書くことが楽しくてふと思ってしまって

 人なぜ本を読むのか、そんな問いを自分にしてみたら、その答えは「何かを発見したいから」でした。では何を、それは自分の知らない未知の何かであり、これからどう生きたらいいかに対するヒントだったり、ありとあらゆる事項に関する発見でした。実人生で役に立たなくても構わない、それは一瞬でもホッとさせてくれるものでもよかったのです。勉強のためなどではなく、心を満たしてくれる笑いでいいし、一時の気分転換をさせてくれれば十分でした。一番好きなのは、絵画を巡るミステリ―で原田マハさんの小説でした。絵のことなどさっぱりわからない私が、ルソーやピカソの絵画の秘密の迫るストーリーにドキドキしてしまうのです。考えてみれば、そんな昔のことなど、どうでもいいのではとも思えるのですが、そんな好奇心に水を差すような無駄な考えは浮かばないのです。心がワクワク感で満たされているので、できるだけ早く結末が知りたくてたまりません。当然本のページを捲る手が止まらないのです。

 以前スペイン旅行に出発する朝、立ち寄った空港の書店で見つけたのは原田マハさんの『暗幕のゲルニカ』。嬉しくてもちろん買いました、旅のお供として。旅行の行き先としてバルセロナピカソ美術館にも行くはずだったので実にタイムリーな出会いでした。小説に書かれていた「ピカソの今にも飛び立ちそうな鳩」は展示されていませんでしたが、ピカソの鳩のデッサンはいくつかありました。それで私はそれらが本当に生きているかのように感じるのではと期待したのです。錯覚でもいいから、一瞬でもそう思いたかった。でも残念ながら、鳩はそこにいるだけで動いてはくれませんでした。それでも現地のカフェで本を開いて、小説の世界に浸っていると現実を忘れました。ふと気が付いたら、別世界に迷い込んだかのような景色が見えてきて。

 それで思ったのです、こんなに読者を虜にしてしまう作家っていいなあ、と。もちろん、その時は憧れであり、真似ができるわけがない、つまり作家になれるような才能も資質も持ち合わせていないのですから当然です。でも実際になれなくても、思うのは自由ではありませんか。思うだけでもいい、つまり書くことが楽しければ、それでいいのではとだんだん思えてきたのです。時間の無駄という指摘は的を得ていますが、なにも職業にしたいわけではありません。自分が楽しいからやっているだけで、辛くなったらそこでお終いです。何の役にも立たないし、時間の浪費でしかないように見えることが、ちゃんと心の平安を保つのにいい仕事をしてくれている、今はそう感じています。

 作家と呼ばれる人達はいったいどんな生活をしているのか、そのことに興味津々な私はある記事にくぎ付けになってしまいました。それは芥川賞作家の南木佳士さんのエッセイで、彼は医師でもあるのですが、当時は毎日毎日死んでいく人を見て心が壊れそうだった。それで何とかすがるものが欲しくて、どうしようもない思いを文章に書くようになった。書き続けていたら、幸か不幸か芥川賞を受賞してそれまでの生活は一変した。賞を受賞したことによって、文章にさらなるクオリティという無理難題を求められた。医師の仕事との二足の草鞋を履いて頑張ってきた。その結果40代でパニック障害を発症して勤めていた病院を辞めた。その後病気は快方に向かって、60代の今は非常勤の勤務医として静かな暮らしを送っているのだとか。まさに芥川賞作家の赤裸々な告白にほかなりません。世間では芥川賞は新人作家の登竜門で、その後は原稿料が上がるのだとか、いい事づくめのように聞いたことがあります。でも賞を受賞したからと言って、みんなが皆人生がバラ色になるわけでもないし、むしろそれからが大変なのだとつくづく思い知らされました。

 

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