人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

ワクチンを巡る人間の心理

今週のお題「575」

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 ワクチンで 揺れる世の中 静観し

 最近テレビを見ていて、連日のニュースでワクチン接種が順調に進んでいるのかのように思っていました。私の知人も離れてひとりで住んでいる75歳の母親のためにワクチンの予約をしたそうです。最初ダメ元で電話をしたのですが、「しばらく経ってからおかけください」としか応答してくれません。それでスマホでしようとしたのですが、何度やっても繋がりません。「アクセス制限中」の画面しか表示されないので、諦めかけていました。それでも、これが最後だと思ってやってみたら、予約の日時や接種場所を選択する画面に行けたのです。それで幸運にも母親の予約を取ることができました。それなのに、「予約ができた」と聞いた瞬間、母親は側にいた友達に「今日はこれから外食に行こうか?」などと言うのでした。母親としたら、これで安心だと錯覚してしまったのです。そんな母親を見ていたら、そのお気楽さに呆れ、自分の苦労など考えない態度にだんだんと怒りが湧いてきました。ワクチンの予約を取るのにどれだけ大変な思いをしたか、察してもくれない母親に怒りが爆発して、思わず「自分の家で食べろ!」と怒鳴ってしまったのです。その後、母親は予約した日時よりも早くワクチン接種を受けることができました。幸運にも市役所から連絡が来たそうで2週間も早くワクチンを打つことができたのです。

 先日ワクチンのことが気になって、田舎に住む叔母に電話をしました。社交的な叔母なら、知り合いにすでにワクチン接種をした人が何人かいるだろうと思ったからです。ところが、聞いてみると予想に反してほとんどいないのです。その理由は電話がつながらなかったり、ネットにアクセスできないからなのかと思ったら違いました。すでに予約を取っているはずなので、自分の番が来ないだけなのでした。つまり、叔母が住んでいる地域ではワクチン接種が遅れているのです。叔母の知り合いはたいてい75歳以上の高齢者なので、私としてはすでに1回目のワクチン接種は完了しているのだとばかり思っていました。予想外の展開に仰天しました。

 叔母も今年75歳なので、すでに役所からコロナワクチンの接種のお知らせが届いています。そのお知らせによると、予約できる日は生年月日によって分けられており、叔母の場合は今月の14日から受付が始まるそうです。電話やネットでのアクセスが集中するのを避けるための対策なのでしょう。でも叔母は「私には関係ないけど。受けるつもりはないから」とワクチンは打たないと決めているのです。なぜそう決めたのか、叔母なりの他人には干渉することができない理由があるのです。そこで、一句読みます、ワクチンで 揺れる世の中 静観し

 どうやら、叔母は自分の経験から世の中の常識を疑ってかかっているのです。ワクチンを打つのが当たり前の世の中、しかもインフルエンザと違ってタダで打てるなら、打たないと言う選択肢はない、そう考える人がいることは確かです。でも、叔母の夫は毎年健康診断をしていて、肺に豆粒ほどのガンが見つかったのに医者は何もしてくれませんでした。早期発見して治療すれば助かるというのが常識のはずなのに。「様子を見ましょう」と言われて、何カ月か経ってから、「この場所では手術はできません」と匙を投げられてしまいました。それで入院して抗がん剤放射線治療をするしかないと言われました。でも夫は病院では自由がないと入院を拒否しました。驚くべきことに、夫は医者から余命あと数か月と告げられるまでの1年間は普通に生活できていたのです。でもある日ふと医者に「あとどのくらい生きられますか?」などと聞いてしまいました。

 「あと数か月持つかどうか」、医者は本人の目の前で余命宣告をしました。そう医者から告げられた夫はそれから食べ物が喉を通らなくなりました。その日から亡くなるまでの3か月ほどはガンとの闘いの日々でした。叔母は今でも診察室で医者が漏らした一言が忘れられないのです。「入院しなくてよかったかも。あなたと同じ病気で入院した人は皆亡くなっているから」

 

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忘れ物の憂鬱

今週のお題「575」

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忘れ物 したら大変 居場所ない

 先日、朝日新聞で見つけたのは『紅白帽忘れ 体育参加させず 計4度』というタイトルの記事でした。すぐ隣には「教委 行き過ぎた指導」と副題がついています。私は一瞬、帽子を忘れただけで、4度も体育の授業に参加させないなんてやりすぎだと解釈しました。しかし、記事をよく読んでみると違うのです。つまり、担任の教師の指導が行き届いていないと教育委員会は指摘しているのです。子供が4度も帽子を忘れる前に、何らかの適切な指導をするべきだったと言いたいのです。担任の教師は子供の自立心を育むために自分で気づいて欲しくて親に直接連絡することはしませんでした。連絡帳に自分で忘れ物をしないように書いて、保護者に連絡するようにと伝えるだけでした。そのために子供は4度も帽子を忘れて、体育の授業に参加する機会を奪われてしまった、などと教育委員会は教師の指導の在り方を問題にしているのです。さらに「見学させることは児童が学習に参加する権利を奪うことになりかねない」などと判断していることに仰天してしまいました。それにしても、忘れ物は悩ましい。子供に忘れ物はつきものですが、先生にとっても悩みの種なのだとわかって目から鱗の記事でした。

 この記事で自分の小学生の頃を思い出すと、呆れるほどたくさんの忘れ物をしました。子供の頃からしっかりしている友達は、「忘れ物ってどうやったらできるの?」などと馬鹿にしたような目で私を見るのでした。そんなことを言われても、何かに熱中していると、すっかり忘れてしまうのだからしかたがありません。ある時、音楽の時間にリコーダーを忘れました。当然、ありえない状況です、道具がないのですから、何もできません。クラスの皆が一斉にリコーダーを吹いているのに、私ときたらすることがなく退屈で身の置き場がないのです。まさに集団の中で本物の孤独を味わいました。そこで、そんな状況を思い浮かべて一句、詠みます、忘れ物 したら大変 居場所ない

 小学生の頃、宿題を忘れると何らかの罰はありましたが、忘れ物は自分が困るだけでした。だから、わりと何も考えずにやらかしていました。当時私が住んでいた田舎の村の小学校では、忘れ物をしたら家まで取りに行ってくるのが決まりでした。あたり一面、田んぼや畑の田園地帯を忘れ物を取りに急いで駆け抜けたものです。突然、草むらからヘビがニョロニョロと出てきて心臓がドキドキしたこともありました。怖くて、それでも一気にヘビを飛び越えて走りました。しばらくして、忘れ物をしても家に取りに帰らなくてもいいことになりました。その頃地域で子供の誘拐事件が頻発したとかで、学校で問題になったからでした。「学校に来て忘れ物に気づいても、それはそれでいいから」と先生から言われても、何かと困る状況に陥ることに変わりはありません。忘れ物はしたくてするものではありません。フォアボールを出したいピッチャーがいないように、忘れ物をしたくてする子供もいないのです。

 忘れ物というと、週末に持ち帰った上履きを忘れたとか、あるいは給食当番のエプロンが入った給食袋を忘れたこともありました。上履きの方は自分だけの問題ですが、給食袋はそうはいきません。そうなるとクラスのみんなからの非難の視線が痛くて心に突き刺さります。ちゃんと学校に持ってきたものの、ランドセルに入れたまま寝かせて置いたので洗濯していなかったこともありました。匂いや汚れが付いているので、すぐにバレてしまうのですが、無いよりましです。その点で給食の献立がカレーの時は必ず黄色い汚れが付いてしまうので、初めから誤魔化しが効きません。「このエプロン、洗ってないよ!」給食当番の誰かの声が教室中に響き渡りました。美味しい給食を食べる前に、脇に汗をかいて、穴があったら入りたい気持ちで一杯になりました。

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保育園で流しそうめん

今週のお題「そうめん」

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もし子供に戻れたなら、ぜひやってみたい流しそうめん

梅雨なのに、連日晴天で日傘が手放せない日が続いて変だなあと思っていました。そしたら、気象庁によるとまだ梅雨入りしていなくて、本当の梅雨は来週あたりから始まるのだそうです。実際は平年よりも遅くなると言うわけです。昨日保育士をしている友達に電話したら、「来週はそうめん流しだから晴れて欲しいのに」と嘆いていました。「そうめん流しって何なの?」と聞いたら、勤めている保育園の催しで、子供たちがとても楽しみにしている行事でした。でも、私としては「保育園にそんなスペースあったっけ?」とか「道具はどうするの?」とか疑問がムクムク湧いてきたのです。

 彼女の勤めている保育園は保健所と養護学校がある建物の中にあって、2階は各組の園児の部屋になっているのですが、3階には広々とした園庭があって、自由に外遊びができる空間になっていました。プールの季節になるとビニールプールを並べて、子供たちは水遊びをします。そうめん流しの日は子供が遊ぶ傍らで、器具を組み立てて先生たちは準備をします。流れるプールならぬ、流れるそーめんなのですが、そうめんは手動で先生たちが流します。すると、今か今かと待ち受ける子供たちからワァッと歓声が上がりました。みんなゲーム感覚で競うようにそうめんを掬おうとします。そうめんがなくなると、先生がまた流す、その繰り返しであっという間に時間が過ぎていくのです。

 子供たちの中でとりわけ元気な声を上げているのが、栗毛のくるくるした髪で目が大きい男の子でした。その子の父親はフランス人で母親は日本人でした。ハーフなのでかわいい顔をしているし、日本人の子供たちの中に居るとどうしても目立ってしまいます。名前もとても長くて、たしか、ガブリエル・ロックトマー・健作君でした。もちろん、健作くんは日本語がペラペラなのですが、母親の悩みはそこにありました。彼には3人の兄がいて、保育園に家族で来た時に見たのですが、みんなとてもよく似た顔をしていました。当然、家ではフランス語なのですが、彼は日本語が好きすぎてフランス語を話そうとしないのです。もちろん、家族の話の内容はわかるのですが、自分からはフランス語を話すことはめったにありません。

 「将来はフランスに帰らなければならないのに、もしその時話せなかったら困ってまう。どうしたらいいのだろう」というのが母親が最も心配することでした。子供をバイリンガルにするのも大変なのだなあとまるで人ごとのように思っていました。新年度になって気づいたのですが、彼はいつの間にか保育園からいなくなっていました。考えてみると、入園の時はみんなに「はじめまして」と挨拶するのですが、いざ去るとなると「さようなら」の一言もなく突然いなくなるのです。お別れ会もなく、保護者に何の連絡もないので、「そう言えばそんな子いたね」で済ませて終わりです。幼稚園と違って、親も何かと忙しいので他人に構っているわけにもいかないようです。

 お盆が近づくと、だんだんと先生たちの機嫌が悪くなります。子供を広いホールで昼寝させるのですが、寝かしつけた後控室でみんなでお昼を食べている時でした。ある先生が「お盆休みくらい子供と一緒に居てあげればいいのに」と言うと、別の先生が「本当よね、子供と一緒に居たくないのかしら?」と同感だというように頷きました。最初は先生たちが言っていることがどういう意味なのか全く理解できませんでした。でも話を聞くうちに先生たちの真意が少しずつ分かってきました。保護者達がお盆なのに皆休みを取らず子供を保育園に預けようとしていることをけしからんと思っているのです。先生たちの立場からしたら、仕事にかこつけて預けっぱなしでは子供が可哀そうではないのかと怒っていました。せっかくの夏休みなのだから、どこかへ旅行に行くなり、近場で過ごしたりして、親子の時間を満喫して欲しいと願っているのです。きっと親たちは保育園の先生たちがこんな風に自分たちを見ていると知ったら、間違いなく仰天してしまうでしょう。

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お盆に友と食べたそうめん

今週のお題「そうめん」

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仲良しの友と複雑な思いでそうめんを食べて

 昨日テレビのニュースで、福岡で最高気温が35度を超えたことを知りました。その後、かき氷屋さんの店員さんが出てきて、「やはりこれくらいの気温になるとお客さんが押し寄せて忙しくなるんですよね」と嬉しくてたまらない様子でした。ガラスの涼しげな器に白い泡のようなかき氷がてんこ盛り状態です。崩れそうで崩れなくて、あんな量が食べられるかと心配してしまう、そのお値段は何と1100円でした。子供の頃、姉が美容院でパーマをかけるのについて行って、その帰りに食べた宇治金時はもっとずうっと安くて庶民の味でした。大人になってからはかき氷で涼むことはめったになくなってしまいました。今の生活で涼を楽しめる食べものと言ったら、文句なしにそうめんです。お湯を沸かして、乾麺を入れたらわずか4分で茹で上がり、氷で冷やせばすぐに食べられる、そんな手軽さが人気の秘密だと言えます。

 子供の頃から本格的な夏になると、どこの家でもそうめんをよく食べていました。高校生になると、美智子さんという新しい友達ができて、彼女の家は学校の近くにありました。私の家は自転車で30分もかかるので、土曜日の学校帰りはよく彼女の家に寄り道をしました。暑くて喉がカラカラだった夏の昼下がりは冷たいそうめんを食べたら一気に生き返りました。美智子さんは中学からの友だちからは「ムツコ」というあだ名で呼ばれていました。不思議に思って、「どうしてなの?」と聞くと、友だちからあんたに美智子という名前は似合わないと言われたそうです。美智子はあの上皇后様の名前なので恐れ多いというか、もったいない名前だと言われてしまったのです。だからミチコではなくて「ムツコ」がぴったりだというわけです。このあだ名の由来に妙に納得した私は、思わず笑い転げてしまいました。

 付き合ううちに、だんだんとムツコさんの家の事情がわかってきました。彼女は父親、継母、5歳の妹、祖母の5人家族でした。彼女の母親は小学生の頃に脳腫瘍で亡くなったので、父親は今の継母と再婚して妹ができたのでした。猫好きな彼女の家は庭にいつも何匹かのねこがたむろしていて、父親が不動産会社を経営しているせいか裕福だったように思います。高校を卒業すると彼女は服飾専門の短大に入りました。そしてさらに専科コースに進み、洋服のパターンナーになろうとしました。私はと言えば、上京して忙しくしていたので、その頃はほとんど彼女と会うことはありませんでした。でも、彼女はきっと夢だったパターンナー、つまり洋服の型紙を起こす人になっているものと思っていました。

 何年かたってお盆に実家に帰ると、兄のお嫁さんから、「不動産会社の社長が飲酒事故で亡くなったけど、あの人はムツコさんのお父さんでしょう」と知らされました。田舎なので噂はたちまち広がって、自然と皆の耳に届いていたのでした。いつもは決して飲まない人がなぜあの日だけ酒を飲んで運転していたのか、誰がどう考えても不思議で仕方がないと皆口を揃えて言っているのだとか。「お父ちゃんは馬鹿だよね」ムツコさんはそう呟きました。父親が亡くなると継母は娘を連れて家を出て行き、その後は再婚したと風の噂に聞きました。だからあの頃は祖母との二人暮らしで、まだ祖母も元気で幸せなはずでした。でも彼女から一つ残念な告白を聞いてしまいました。服飾関係の仕事についているとばかり思っていたのに、「パターンナーにはなれなかった」と言うのです。「どうしてなの?」そう聞いてしまいました。就職活動しようとしたら、「あなたには無理だからやめたほうがいい」と先生から止められてしまったのです。奈落の底に突き落とされた彼女はどんな思いで耐えていたのか、想像するだけで冷や汗が出てきます。彼女にとっては思いだしたくもない過去の話を私は無邪気に聞いてパンドラの箱を開けてしまいました。絶句している私に、「大丈夫、もう過ぎたことだから」と気にしていないと言ってくれました。

 お昼になると台所でそうめんを茹でました。庭に見事に咲いている朝顔を眺めながら居間でふたりで食べました。「今思うと、先生の言うことは正しかったと思う」と明るく言う彼女は近所の繊維関係の会社でパートをしていました。彼女の満足そうな表情を見て、私は思わず「本当にそれでよかったの?」と口から出そうになった言葉を飲み込みました。

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噂の家族のお昼はそうめん

今週のお題「そうめん」

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 家族全員で同じ職場で働くということは

 先日近所のスーパーに行こうとして、小学校の前を通りかかったら、子供たちの楽しい笑い声が聞こえてきました。ふと見たら、植木鉢に植えられている何かを取り囲んで水をやっている姿が目に飛び込んできました。たぶん、朝顔かなんかだなあとすぐに思いました。私たちの頃は子供が育てて観察するものと言ったら、朝顔が定番だったからです。気になって買い物の帰りに学校の柵の隙間から覗いてみました。そしたら私の予想は大きく外れていました。ギザギザの葉っぱのミニトマトと何かはわからないのですが別の野菜でした。もしかしたらナスなのではと思いましたが、紫色ではなく緑色の木なので見当がつきませんでした。何日か経ったある日また覗いてよく観察してみると、何か小さな緑の実が2~3個生っていたのです。まさかのピーマンでした。

 「ええ~?!子供がピーマンが大きくなるのを喜ぶのだろうか」これがその時の正直な感想でした。ピーマンは苦いから子供には嫌われているとばかり思いこんでいたからです。だからミニトマトとどちらを選ぶかとしたら絶対ミニトマトだと決めつけていたのです。でも並べてある植木鉢をざっと見渡して見たら、ピーマンとミニトマトの数は同じくらいでした。考えてみると、世の中にはトマトの嫌いな子供はたくさんいるのでした。そのことをすっかり忘れて、ついつい自分の固定観念でしか物事を見られませんでした。自分が普通だと信じて疑わなかったことが、他の人たちにとってはどうもそうではない、そのことに気づかされた経験をしたことがあります。

 あれはまだ学生の頃、郵便局で早朝のアルバイトをしていた時のことです。朝一番で全国から局に到着した郵便物を手早く仕分ける仕事でした。学生や主婦や高齢者などたくさんの人が働いていましたが、その中でひときわ目を引いたのは家族3人で一緒に作業をしている人たちでした。最初はあの人達は仲がよさそうだとばかり思っていた私は、職員から家族だと聞かされて仰天しました。「家族で同じ職場で働くなんて、考えられないよね。俺は嫌だなあ」

 職員もそう言っていたし、私も「そんなのありえない!」と拒否反応を起こしました。でも、目の前にはなんら気にすることもなく、おそらく家に居るときと変わらずに振る舞う家族がいることも事実なのです。彼らは職員や私、いいえ、彼ら以外の人たちのようには考えないのです。彼らは役所をすでに定年になったご主人とその妻、結婚していないアラフォーの娘さんの3人家族でした。噂によると、娘さんは局の職員と付き合っていて、結婚するとかしないとか。「でもあの人には奥さんがいるでしょう」と誰かが口を挟んだら、「離婚するから大丈夫よ」と別の誰かが反論しました。そんなありえない家族の話題で休憩の時は盛り上がり、「ご主人もいくら健康にいいからって、奥さんや娘さんと一緒のところで働かなくてもよくない?」と話が途切れることはありませんでした。

 3人の住んでいる家はどう見ても豪邸で、親子3人でアルバイトをしなければならない境遇にはとても思えないと皆が言うのです。皆が噂する一番の原因はアラフォーの娘さんで、プライドが高すぎて評判が良くなかったのです。職場の人たちから敬遠され、彼女の発言や行動はたちまちのうちに噂になってしまいます。「今日は仕事中に3人でお昼は何を食べるかなんて話してたよ」。「奥さんが暑いからそうめんにすると言ったとたん、娘はまたぁ!だって」と仲間のひとりが笑いました。それから「いつもそうめんを美味しいと言って食べるでしょう、じゃあ何がいいの?と奥さんに言われたら返す言葉が見つからないみたいだった」と呆れていました。こんなふうに日常的に家族の井戸端会議を見せつけられているのですから、何か不思議な感覚に襲われてしまいます。何か公私混同をしているように錯覚してしまうのですが、当の家族3人は果たして違和感を感じることはなかったのでしょうか。職場の人にまるで家族のひとときを公開しているかのような、少し後ろめたい感情が人間にはあると思うのですが。

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泣きながら食べたそうめん

今週のお題「そうめん」

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 友達が失恋して食べたそうめんの味は

 上京して一人暮らしをしていた若い頃、私は一人の女の子に出会いました。その子は初めて会ったときはすごく若く見えて、自分よりも年下だとばかり思いました。小柄でショートカットのボーイッシュな雰囲気がそう思わせたのですが、実際は20代後半の女性でした。彼女とは地元の美術専門学校に通っていた友達の紹介で知り合いました。彼女の住んでいる部屋に遊びに行くと、天井からはドライフラワーが垂れ下がり,壁一面にポスターやイラストが飾ってありました。ふと見るとテーブルの脇には描きかけの油絵のキャンバスがあって、絵の具が無造作に置いてありました。自分の部屋が何もないのとは対照的に彼女の部屋はとても賑やかで物で溢れていました。どうやら、お気に入りの物で部屋を飾るのが好きなようで、街で掘り出し物を見つけるとすぐに買ってしまうのでした。ろうそくに火をつけるとメリーゴーランドが回りだす仕掛けになっている燭台もその一つでした。炎に包まれる中を金と銀の木馬が駆け回るのを見て、「綺麗ね」と言ったらとても嬉しそうな顔をしたものです。

 私たちは毎週末彼女のアパートで過ごすようになり、私が遊びに行くといつもご飯を用意して待っていてくれました。料理は大好きなようで、揚げ物や煮物などバラエティーに富んだメニューで私を満足させてくれました。でもしだいに日差しが強くなり、暑さが増してくる夏になると、食欲がなくなりました。火照った身体がどうしても冷たい物しか受け付けなくなるので、そうめんをよく食べていました。扇風機のつまみを強にして、ブ~ンブ~ンと唸り声をあげる中でツルンツルンと二人でそうめんを啜って涼んでいました。幸か不幸か彼女の部屋は北向きで直射日光の洗礼を受けずに済んでいて、風通しもよかったのであの部屋に居られたのです。

 いつだったか、恋愛の話になったとき、彼女が「年下しか好きになれないの。おじさんは無理」と言ったので仰天してしまいました。普通の女の子が漫画に出て来る王子様のような男性やかっこいいアイドルに憧れるのはわかります。でも、それはあくまで趣味というか妄想の中での話です。現実には結婚相手はおじさんであっても何ら問題はないのです。そんな風にステレオタイプのカチンカチンに凝り固まった考え方しかできなかった私は彼女の発言に衝撃を受けたのでした。よく聞いてみると、彼女は年下というか、それも外見の若さや美しさにとてもこだわりを持っていました。はっきり言って、世の中には年を取っていても若く見えてカッコイイ男性はわずかしかいません。だから当然彼女の恋愛対象は年下の若さが眩しいような男の子になるのです。

 でも、外見さえ良ければいいのとかと疑問に思った私は自分の姉の話をしました。姉も見映えのいい男性が好みだったのですが、親に薦められて仕方なくお見合いをしまいした。気が進まない姉はわざと待ち合わせの場所に遅れて行きました。もう怒って相手は帰ってしまったと思い、「やっぱりね。これでよかった」とホッとしました。ところが、あろうことか、人の好さそうなじゃがいものような男性が目の前に座っていたのです。姉は結局その男性の穏やかで真面目な正確に惹かれて結婚したのでした。

 そんな外見よりもまずは中身なのだという話をしても、彼女にとってはやはり第一印象が大事なのです。そんなに外見にこだわっていたら「到底結婚なんて無理だと思うよ」ときついことも言いました。そのことは本人もよくわかっていて「だから結婚はおろか、付き合う相手もいないのよね」とため息をつきました。その頃私たちはたまに近所の店に飲みに出かけていました。そこの店のカウンターにいつもいる若い男性が爽やかでなかなかイケメンでした。店主の隣でいつもニコニコしている彼を彼女は好きになりました。でも今の肉食の女性のように告白したりする勇気はなく、片思いをしていたのです。

 夏の日の午後、私が自分のアパートでぼんやりしているとノックの音がしました。誰だろうと思って開けてみると彼女でした。「どうしたの?」と言おうとしたら、突然えらい剣幕で怒りだしました。何のことやらわからず戸惑っていると、「今日約束したはずなのに、なぜ来なかったの?」。約束なんてした覚えがないけれど、忘れていたのならごめんと素直に謝りました。それなのに涙が一粒ポロリと落ちたかと思うとわぁっと泣き出してしまったので仰天しました。「何も泣かなくてもいいのに」と内心思ってはみたものの、「ごめんね」と何度も謝るしかありません。でも、その涙には別の理由があったのです。あの居酒屋の爽やかな彼が、綺麗な女性といるのをスーパーで目撃したのでした。あっけなく彼女の片思いは終わったのですが、こんな時どうやって慰めていいのか言葉が見つかりません。ようやく口から出た言葉が「こんな時は肉を食べると元気が出るんだよ」。

 でも、さすがに暑くて肉は喉を通りそうもないので、それならそうめんと一緒に食べればいいと思いました。泣き顔の彼女がそうめんを口に入れてツルツルと啜っています。「無理矢理にでも食べて元気出さなきゃ」と励ます私に彼女が小さな声で言いました、「こんな時なのに美味しい!」と。

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そうめん論争で思い出が溢れて

今週のお題「そうめん」

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 二人で仲良くそうめんを食べていた光景が蘇ってきて

 そうめんと聞いて、無邪気に喜んでいた私でしたが、一つ肝心なことを忘れていました。それはそうめんが美味しいと感じる季節は太陽の熱で四方から身体を囲まれるかのように感じる真夏の日々なのでした。朝の散歩を1時間早くしたのも、気温が高すぎて歩くのが辛いからでした。水分補給のために飲み物を持参するのですが、いっこうに身体が冷えてくれません。そんなときはカフェに入って一息つくと、ヘロヘロでヨロヨロになっていた身体が一気に復活します。冷房の効用に今更ながら感心し、電気の威力を思い知ることになります。また朝からヘトヘトになる季節が足音を立てて近づいてきたのか、そう思うとため息が出ます。でもそんなことも言っていられないので、暑さに耐え抜くぞと覚悟を決めるしかありません。

 兄が亡くなったのも、そんな夏の暑さが最高潮に達していた時でした。葬式が終わった後、私たち親族はお昼をたべにカニの専門店に行きました。店の2階にある静かな個室の部屋はキンキンに冷えていて、外の熱帯地方のような気温と比べるとまるで別世界でした。お茶を飲んで一息ついていると、そこにカニの刺身が運ばれてきました。一口食べて見ると、今まで食べたことがない味で、「これが本当の生のカニ?」と衝撃を受けてしまいました。ステレオタイプな見方をすれば、今まで知っているカニはパサパサで、正直言って、カニカマの方がしっとりして美味しいのではと思っていました。

 私同様に本物のカニに感激したのか、次々と運ばれてくるカニ料理をみんな一心不乱に黙々と食べていました。話などそっちのけで食べていたはずなのに、どんな流れからそうなったのか、二番目の兄がそうめんのことを話題にしたのです。「そうめんなんて、どれもおなじだよね」と周りに同意を求めました。兄は今までそうめんを食べてきて、そうめんにも味があることに気が付かないまま生きて来たようでした。姉たちも私もそんな兄の戯言など気にせず、目の前にあるカニに熱中していました。すると、話好きなお寺の住職がサービス精神を発揮して兄の話し相手をし始めたのです。この住職は姉に言わせると、坊さんなのに性格が軽すぎて、その人間性に首を傾げたくなることが多々あるそうで、この時も兄の言うことに適当に頷いていました。

 そんな穏やかな雰囲気が一変したのは、終始沈黙していたおとなしそうな男性の発言でした。その親戚の男性が「そうめんにもまずいのと美味しいのがある。特に美味しいのは揖保乃糸だ」などと主張したので皆面食らってしまったのです。その一言でそうめんに対してのこだわりが溢れだしたのか、たちまちその場はそうめん教室になってしまいました。私はそうめんあるあるを聞きながら、亡くなった兄と二番目の兄は歳が3つしか離れていなくて、とても仲が良かったことを思いだしていました。二人でよく座布団を手に括り付けてグローブ代わりにし、ボクシングの真似事をして遊んでいたこと。また、ある時はランニングシャツ姿でふざけ合いながらそうめんを啜っていた二人の姿が蘇ってきたのです。

 仲が良かった二人ですが、一度だけ兄が弟に激怒したことがありました。弟はその頃旅行会社に勤めていて、兄の会社の社員旅行の手配を任されていました。それなのに、どうしてなのか弟はうっかり忘れていたと言い訳をして、信頼を裏切るような真似をしてしまいました。素直に謝ればいいのに、反省の色もなく「あんな小さな会社の旅行なんて」などと生意気なことばかり言うので、兄の怒りは頂点に達してしまったのです。子供の頃はあんなに仲が良くても、いつしか、時の流れが、置かれた環境がその関係を壊してしまうようです。弟、つまり2番目の兄は大学を卒業して社会人になった頃から変わってしまいました。私にとっても一心同体だと思っていた兄は見たこともない人になりました。亡くなった兄がもう長くないとわかったときもなぜかお見舞いにも来ませんでした。家は目と鼻の先なのにどうしてなのか、たぶん彼なりの理由があるのです。

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