人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

精肉店のから揚げ

今週のお題「肉」

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▲セビーリャのサン・ルイス教会堂。NHKまいにちスペイン語テキストから。

今はもう食べられない精肉店のから揚げが懐かしい

 家から近所のスーパーに行く道にもう30年以上も建っている古いマンションがあります。そのマンションの1階にはコンビニのファミリーマートがあるのですが、昔はそこは八百屋、食料品店、精肉店、魚屋等の生鮮食料品を売る店が集まっていました。しばらくして、八百屋の店主がコンビニを始めると、他の店はいつの間にかなくなってしまいました。でも、精肉店だけはコンビニの横の狭いスペースで細々と以前と変わりなく営業していたのです。その店は店主と奥さんのふたりでやっていて、コロッケやから揚げなどの惣菜は注文を聞いてから揚げてくれました。コンビニの陰に隠れていても、昔からのお客さんはいるので結構忙しそうでした。飲食店への配達もあるのか、店主が自転車で忙しそうに走り回るのを目撃したこともありました。

 その店のショーケースの前には郵便局にあるような椅子が並んでいて、総菜を注文したお客さんが出来上がりを待つようになっていました。私がその店で一番好きだったのはから揚げで、たしか4個で400円でした。その唐揚げは今まで食べたことがないほどジューシーでかぶりつくとジュワッと肉の美味しい脂が口の中に広がりました。これってもも肉でもないし、手羽元のような骨付き肉でもないけど、いったいどの部位なの?といつも不思議に思っていたのです。あまりに美味しいので食欲が暴走して、食べ過ぎるとどうしても胃がもたれてしまいます。それでも外側がカリカリなのに、中は肉が柔らかいのでついついまた食べたくなるのです。店主が渡してくれた袋を開けると、中には肉に割れ目が見えるアツアツのから揚げが入っています。「熱いから火傷しないように気を付けて!」とひとこと声をかけてくれます。病みつきになるのは私だけでなく、店に行くと必ず誰かお客さんが椅子に座って待っていました。作り置きをせずに注文を聞いたらその場で揚げるスタイルなので、余計に美味しいのかもしれませんが、肝心なのは肉の質なのです。

 から揚げの美味しさの秘密を、いったいあれはどんな肉なのかを聞いてみたいとずうっと思っていました。ところが、ある日閉店のお知らせがマンションの入口に貼られていました。結局、から揚げの美味しさの謎はわからないままで、精肉店の終りと共に最高のから揚げとお別れしたのでした。あれ以来あんな美味しいから揚げに出会ったことはありません。

 さて、鶏肉のから揚げと言えば、誰もが大好きでスーパーでも人気の惣菜です。以前そのから揚げについて少し驚いたというか、まさかこんなことが!と戸惑ってしまうことがありました。私はスーパーのから揚げに先の精肉店のような完璧さを求めているわけではなく、ただ普通の鳥のもも肉であればいいのです。感動するような美味しさはなくてもいいし、まあ適当に美味しければ合格点だと思っていました。ある日のスーパーの夕方のセールは鳥のもも肉がパックに山盛で298円でした。こんなにたくさんの量なのですから、国産どりではないのは誰の目にも明らかです。パックの表示を見てみると、やはり中国産で納得しました。

 次の日また総菜売り場に行ってみると、前の日の半分の量もないのに同じ値段のから揚げのパックが置いてありました。これは国産の肉に違いない!そう思って手に取ったら、パックのラベルに中国産と書いてあったので仰天しました。国産のとり肉と中国産とでは値段が倍以上違うではありませんか、これはいったいどうなっているのか。もしかして私たちお客は騙されているのではないかとさえ感じたのでした。店員の間違いならまだ救われますが、不信感を消し去ることはできなくて、もうから揚げは買わなくなりました。それに以前にもミニトマトで騙されたことがあったので、これくらいはあるあるの事態なのかもしれません。普通のミニトマトが100円だった頃、甘くて酸っぱくない特別栽培のミニトマトは3倍の値段でした。いつものように買って食べて見ると、それは明らかに普通のミニトマトの味でした。食べて見ればわかるのにどうしてこんな狡いことをするのか、悲しくなってしまいました。もう今ではそのブランドはありません。

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豚肉の思い出

今週のお題「肉」

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サラマンカにある「王のパヴィリオン」と市庁舎。NHKまいにちスペイン語テキストから。

豚肉は子供の頃苦手だったが、大人になって平気に

 子供の頃、小学校の給食の時間は天国でもあり、地獄でもありました。天国というのは、砂糖がふりかけてある、美味しい揚げパンを月に一度は食べられるからでした。それにナポリタンスパゲッティやら、バターの美味しい匂いがぷんぷんするクロワッサンも大好きでした。地獄になる最大の原因は煮ものや炒めものに必ず豚肉が入っているせいでした。当時の給食の豚肉は脂身がへばりついていて、口に入れるとあのトロッとした感触がたまらなく嫌でした。たまに脂身がない肉の時もあるのですが、その時はたいてい堅くて、口に入れて噛んでも噛んでも噛み切れず、呑み込めなくて困ってしまうのです。長いこと口の中に入れている分、豚肉の味を嫌というほど味合うのですが、それはお世辞にも美味しいと言えるものではありませんでした。おかげでいつしか私の頭の中に「豚肉はあまり美味しい物ではない」というイメージが染みついてしまいました。

 当時は給食は残さず食べるのが当たり前の時代でした。それで、どうしても先生に見つからないように”内職”をしなければなりません。内職とは自分の嫌いな物を食べないで済ませるためにすることです。パンに私なら豚肉を挟んで、それを紙に包んで家に持ち帰るのでした。あの頃、給食のパンは一人につき3枚と決まっていました。ある日の給食のおかずは八宝菜でした。いつも通りお決まりのように苦手な豚肉が入っていました。内職をするために、あらかじめパンが入っていた箱から敷いてあった紙を貰ってきて用意しておきました。3枚あるうちの1枚の食パンを膝に置いて、辺りを覗いながら豚肉をパンの上に乗せました。何でもないように書いていますが、その時はきっと心臓がドキドキだったのでしょうね。そして、紙を取り出して包んだら、急いで教科書が入っている机の下のスペースに放り込みました。厄介者でしかない豚肉を始末して、ホッとした私は何事もなかったかのように給食を食べました。

 たぶん、周りのみんなは私のすることを見て見ぬふりをしていたのでしょう。給食の時間に先生から注意されたなんてことは記憶に残っていませんから。給食を食べ終えた人から校庭に行って遊んでもいいので、完食するまで豚肉との地獄を味合うのは嫌でした。喉元過ぎれば熱さを忘れるように、豚肉で嫌な思いをしたのをすぐに忘れました。でも家に帰って、うきうきした気分で何気なしにランドセルを空けると何やら紙に包んだものが出てきました。「あれ~?これなんだろう」と包みを開けてみると、見たくもない物、つまり豚肉が入った食パンを発見してしまうのでした。すぐにゴミ箱にポイと捨てるのですが、またもや嫌な気持ちになってしまいます。

 大人になるまで豚肉を敬遠していた私も、今ではそこいらにある並みの牛肉よりも美味しい豚肉が世の中にある事を知りました。豚肉にもいろいろあって肉の部位や質によって味も違ってくるのだとわかってきて、豚肉が好きになり食べられるようになりました。最近では近くのスーパーでその店独自のブランドの豚肉が売られていて、安くて美味しいので人気があるようです。安いのには秘密があって、国産ではなくてメキシコ産なのですが、肉が驚くほど柔らかいのです。「豊穣もち豚」とパックには書かれていて、味も好みによって選べるのが買う側には嬉しいのです。トンテキ味とガーリックペパー味があって、小分けにして冷凍しておけばいつでも食べられます。フライパンで焼くだけで、手間いらずなのでめんどくさがり屋の私は重宝しています。

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とり肉は不思議

今週のお題「肉」

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▲彫刻家出身のシロエーによるブルゴス大聖堂の黄金の階段。NHKまいにちスペイン語テキストから。

とり肉は美味しく変化する

 新聞のテレビ欄を何気なしに見ていたら、「トリニクって何の肉?」というフレーズが気になりました。これはいったいどういう意味なのだろうと一瞬不思議に思ったのですが、ページを捲っていたらすぐに忘れてしまいました。思えば、子供の頃は家にニワトリがいて、たしか2羽くらいいたと思うのですが毎日のように卵を産んでくれました。産んだばかりの卵を見つけるのが楽しくて、毎朝早起きしたものです。今でも私の記憶に残っているのは一羽のブチのニワトリのことです。当時うちの姉が嫁いでいたのはヒヨコ孵化場をやっている家で、その関係でニワトリは家に連れて来られたのです。そのニワトリは狭い小屋に閉じ込められている鳥たちの目の前で、自由に庭を闊歩していました。何やら地面を嘴で突いてミミズを捜したりして、傍目にはのどかな光景に見えました。私もたまにニワトリを追っかけて、からかったりしていましたがすぐに興味を失いました。その時の私はそのニワトリに対して何の感情も抱いていなかったのです。ニワトリは確かに生きていて、自分の目の前をウロウロするのですが、それは居ないのと同じでした。

 ある日、学校から帰ると、庭にブチのニワトリの姿がありません。その日の夕飯のおかずはとり肉の煮物でした。ようやくニワトリが消えた理由がわかってきました。あのニワトリはとり肉になって、姿を変えて私の目の前にいたのでした。卵を産めないニワトリは肉になって人間の役に立つしかないのだと知りました。突然目の前にいたニワトリが肉になっても何の感慨も湧いてきませんでした。要するにそれが普通、当たり前のことで、目の前をウロウロして放っておかれているニワトリはペットではないからです。

 大人になって都会に来てよく思ったのは、子供の頃食べたとり肉とちょっと味が違うのではないかということでした。それでも居酒屋に飲みに行くようになると、焼き鳥や鳥刺しが大好きになりました。店に行って席に着くと、とりあえずは生ビールと焼き鳥を注文します。焼き鳥と言えば、日本だけの物と思ったら、ヘルシンキの空港に焼き鳥のスタンドがあったのには仰天しました。見ると、カウンターの席には大勢の人がいて、ビールを飲みながら美味しそうに焼き鳥を頬張っています。辺りには焼き鳥を焼いている煙も漂っていたのでした。メニューには焼き鳥、シシカバブ、シシャリクなどと書いてあり、日本の焼き鳥だけでなく好きなものを選べるようになっています。日本の焼き鳥も有名になったなあと喜んでいたら、しばらくして次に行ってみたら残念なことにもうなくなっていました。

 それから鳥刺しについては衝撃を受けました。最初は見るからに気持ち悪くて、とり肉を生で食べるなんてありえないと拒絶していました。魚の刺身は生で食べるのに、ニワトリの肉を生で食べるなんてまる動物?みたいに思えたからでした。でも周りの「絶対美味しいから食べて見なよ」という声に背中を押されて、嫌々ながら口に入れてみると、意外にもこれが美味しい!のでした。これが本当にとり肉なの?と思うくらいツルツルで柔らかくて、後引く味わいの鳥刺しに病みつきになってしまいました。気持ち悪そうという先入観はたちまちのうちに吹っ飛んで、こんなに美味しい食べ物が世の中にあったのかと思うくらい感激したのでした。そう言えば、もう何年も鳥刺しを食べていないことに今気づいてしまいました。

 とり肉で忘れてならないのは、名古屋コーチンの美味しさです。以前から世間でも「名古屋コーチンは美味しい!」と言われていましたが、実際には食べる機会がありませんでした。それが従妹の結婚式で東京に行った時に、ある居酒屋で二次会をすることになりました。そこが偶然にも名古屋コーチンの専門店で、鳥の唐揚げや鍋などのすべての料理で美味しいとり肉を堪能することができました。いつも食べているとり肉との違いは歴然で、肉そのものに味があって思わず、「美味しい!」という言葉が口から飛び出していました。大人も子供も皆感激してお替りをしました。最初はこんな狭い席に押し込められて嫌だなあ、早く帰りたいとさえ思っていたのです。それなのに皆そんなことなどケロリと忘れて、おしゃべりに花が咲き、飲み明かしたのでした。

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牛肉の憂鬱

今週のお題「肉」

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▲スペインのサマランカ大学のファザード。NHKまいにちスペイン語テキストから。

牛肉は大好きなのですが、いろいろと問題があって

 お肉の中で一番好きなのは何と言っても牛肉です。子供の頃、お盆やお正月にみんなで集まったときは必ずすき焼きをしました。円い鉄なべに白いラードの塊を箸でクルクル回して溶かしたら、まず牛肉、あの赤茶色をした脂のぴらぴらが付いたお肉を入れます。見るからに美味しそうなので、生唾を飲み込んで肉から目を離さないようにじっと見つめていたのです。次に白滝や、焼き豆腐、ネギなどの野菜を入れて、醤油、砂糖、で味付けをします。時にはビールを入れたときもありました。材料が煮えて、「もう食べていいよ」と言われたら、皆で牛肉の奪い合いになります。この時とばかりにいい肉を買って来たはずですから、その美味しい事と言ったらありません。ひとときの幸せを味わったものです。

 皆がもう満足した後のすき焼きの鍋の中はネギとか白滝とかの残り物でいっぱいです。おそらく、翌日は朝からすき焼きの残骸が食卓に並ぶはずです。母がよく味が染みていてごはんにとても合うなどと言っていましたが、子供のとっては美味しいだなんてとても思えない代物でした。ほとんど野菜だらけの残り物が美味しいだなんてありえませんでした。その頃は牛肉がお腹一杯食べられたらなあ、などと本気で考えていたのです。それくらい牛肉は憧れの存在でした。

 さて、大人になって世の中の事がだんだんとわかってくると、美味しい牛肉は値段がものすごく高いのに仰天しました。近所のスーパーに行って、国産の牛肉の棚を見たらため息が出ました。とても気軽に食べられる値段ではありません。やはり牛肉というのは特別な時しか食べられないものなのだと痛感したのです。食費の節約という面では牛肉を買うなんて無理なのだと思いました。でも、実際に料理をしてみると、おかずによってはどうしても豚肉では美味しくないというか、物足りなくなることがあります。淡白な豚肉にはない、濃くというか、適度な脂っぽさがあった方が味が良くなるのです。そんなとき手に入らない牛肉が無性に恋しくなります。だから、誰かの誕生日とか、何かいいことがあったときだけ、ほんの少し牛肉を買っておかずを作っていました。

 牛肉がもう少し安く手に入ったらいいのにといつも考えていました。そんなとき新聞に都心のスーパーのチラシが入っているのを見つけました。牛肉の激安セールの文字に惹きつけられて、試しに行ってみることにしました。そこはビルの地下1階にある店でしたが、なんと地下街に通じていて、周りには衣料品の店や靴屋さんなどの様々な店が並んでいました。そのスーパーは店独自に契約している牧場があって、そこから肉を仕入れていました。だから近所にある店と比べると、肉の質は別にして、驚くほど安く買うことができたのです。200gで2千円の牛肉を買ってみると、肉もそんなに固くないので、まあまあ食べられます。残念ながら子供の頃食べたミルクっぽい牛肉の味はしませんが、普段食べるのならこれで十分だと思いました。それ以来、肉を目当てに月に何度かスーパーに通うようになりました。そのうちにその店がけっこう人気があるのだとわかり、制服を着たどこかの飲食店の店員さんの姿もちらほら見かけるようになりました。

 ところが、コロナが流行り出して、「都心には近づくな」と心が警報を鳴らしました。突然いつもの牛肉が手に入らなくなりました。これからどうしよう?で、肉をどうしたらいい?と途方にくれました。とにかく、代替え品を捜さなきゃと手あたり次第スーパーを回ってみました。そして、ようやく見つけたのです、手ごろな値段の牛肉を。それはもちろん国産ではなく、メキシコ産の若牧牛というスーパー独自のブランド牛の名前が付いた牛肉でした。300gで680円の激安ですが、美味しいと言えるほど世の中は甘くありません。でもそれを買わないと、まともな値段の国産牛を選ばざるを得ないので、選択肢はないのです。家族に文句を言われやしないかと、恐る恐る食卓に出してみました。すると、いつもの肉と全く違う味なのに黙って食べているではありませんか。私にしてみれば、「どうしちゃったの?」と突っ込みたくなります。私の家族は誰ひとり肉の味の違いがわからないようなのです。まず、一口噛んでみれば、少し臭みのようなものが鼻について違和感があるのですが、どうやら感じないようです。でも考えてみると、かえって味オンチの家族で正解だったかもと思えてきました。

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紅茶が美味しい喫茶店

今週のお題「好きなお茶」

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▲建築家ビリャヌエバによるマドリード天文台NHKまいにちスペイン語テキストから。

いつもは通り過ぎるだけの店に、気晴らしに入ってみたら

 正直言って、私はほとんど紅茶を飲まないのです。紅茶よりコーヒーの方がどちらかというと好きで、でも嫌いなわけでもないのです。紅茶というと、思い浮かぶのはペットボトルの午後の紅茶で、ロイヤルミルクティー味のを飲んで「美味しい!」と感じたこともありました。でもすぐに飽きてしまって飲まなくなりました。その理由は美味しかったはずの紅茶の甘さが嫌になり、ただの色付き砂糖水としか感じられなくなったからです。それ以来、午後の紅茶はもう飲まなくなりました。後日、あの類の飲料水には多量の砂糖が含まれているのだと知らされて仰天したものです。

 当時私はドトールとかタリーズとかのコーヒーチェーンの店に足げく通っていました。ちょうどマイボトルを持ち歩くのが流行っていて、いつもサーモスのボトルにカフェラテを入れてもらって飲んでいました。でも、仕事が忙しくて体調が良くない時や、胃が痛いのが気になるときは、紅茶を頼むことにしていました。レモンもミルクも入れない、さっぱりとした味が欲しくなるのです。どちらかというと、飲み物は口実で日常生活の中で別空間を味わいたかっただけでした。だからいつでも座る席は決まっていて、窓際の外の様子が観察できる場所でした。

 家から駅までは歩いて約20分で、通り過ぎるだけの道なりに一軒の喫茶店がありました。その店は今では珍しい個人経営で、窓越しに中を覗うとお客さんがポツリ、ポツリで、たいして入っていないようでした。表に出してある看板を見ると「HIYODORIヒヨドリ」と店の名前が書いてあって鳥の絵も添えられていました。メニューを見るとコーヒー700円、紅茶800円、ランチは・・・・。想像した通り高いなあと思いながら、毎日のように通り過ぎるだけでした。

 そんなある日、ヒヨドリの店の脇道に人が大勢いるので仰天しました。何事か?とよく見てみるとベビーカーを引いたママたちが集まっていたのです。以前こんな風景をどこかで見たことがあるなあと無理やり頭を働かせてみたら、思いだしました。近所にある保健所が行う乳幼児のワクチン接種当日の光景でした。しかし、なぜこんなところにママたちがいるのかと不思議に思っていると、向かいの立派なビルの入口に「オーデション会場」の看板が見えました。何のオーデションだろう、と感の鈍い私はまだピンと来ません。でもガラスの扉に大きくエンジェルアカデミーの文字を発見して、ようやく事情が呑み込めました。乳幼児とオーディションとくれば、もう疑いの余地はありません、つまり赤ちゃんモデルなのです。

 さて、毎日のように店の前を通っていれば、誰だって一度くらいは入ってみたくなるのは人の常です。幸運にもその日はあっけなく訪れました。友だちが何やら臨時収入があったらしく、その日は行ったことがない店に行こうと言い出したのです。それで私はせっかくなのでヒヨドリに行こうと提案しました。店の中に入ると、店員さんが席に案内してくれて、お水を持ってきてくれました。田舎にあるようなレトロな喫茶店に入るのは久しぶりでした。紅茶800円の文字が気になって、思わず紅茶を注文してしまいました。紅茶の種類を聞かれたので、一番馴染みのあるダージリンと答えました。店員さんが運んできてくれたのは、芳醇な香りのする飲み物で、一口飲んでみたら、まさに紅茶という深い味わいでした。一口、一口飲むたびに感激し、「美味しい!」が止まらないのです。

 最後にカップの底に残った細かくて赤茶色い茶葉を眺めながら、「紅茶って本来こういうものだったのだなあ」とふと思ったのです。考えてみれば、今まで飲んできたチェーン店の紅茶はティーバッグで、単なる茶色いお湯だったのだとわかったのでした。まあ、私に紅茶の味がわかるかどうかは別にして、他人の財布で感動体験ができたのはラッキーだったとしか言えません。

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つい買ってしまうお~いお茶

今週のお題「好きなお茶」

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▲S.カラトラーバによるオビエド会議場・展示館。NHKまいにちスペイン語テキストから。

お~いお茶の登場は青天の霹靂で

 お茶と言われてすぐ思い浮かべてしまうのは、やはりお~いお茶です。考えてみると、昔はペットボトルに入ったお茶なんて、誰も想像できませんでした。だから、お~いお茶が発売されたときは、それこそ青天の霹靂でした。でも果たして美味しいのか、と半信半疑でしたが、買って飲んでみるとこれがなかなかイケてる味でした。急須で入れたような煎茶の味とは違ってはいますが、すっきりして、苦みがなく飲みやすいのです。老若男女問わず万人に受け入れられて、ペットボトルのお茶の代名詞になりました。考えてみると、皆口には出さなくても、心の中では、水ではなく気軽に飲めるお茶が欲しいと密かに思っていたのかもしれません。

 何かの雑誌で読んだのですが、一番最初にペットボトルのお茶を開発したのは伊藤園なのだそうです。いつでもどこでも飲める緑茶があったらなあという人々の切なる願いを実現させたのがお~いお茶だったのです。それ以来、緑茶は茶葉や急須が無くても飲めるものとなり、私などは夏の暑い時期はほとんどペットボトルのお茶だけ飲んで過ごしてしまいます。だんだんと季節が進み、秋風が吹くようになると、ようやく急須で入れた熱いお茶が無性に飲みたくなります。今までケロリと忘れていた茶葉の存在を思いだのです。お~いお茶は確かに美味しくて、便利で手放すには勇気がいります。でも、本音を言うなら、美味しい茶葉の味には叶いっこありません。だからそこは臨機応変に飲み分けをして自分の生活スタイルに合わせて楽しむのです。

 お~いお茶はスーパーでも街中にある自動販売機でもどこでも買えるので、喉が渇いたと思ったら、躊躇なく飲んでいました。ある時、夏の暑さが本格的になってくると、いつも飲んでいるお~いお茶が何だかたる~い味に思えてきて物足りなくなりました。何かもっと刺激が欲しいなあと思っていたら、濃茶が発売になりました。普通に考えてたら濃すぎる味がたまらなく美味しく感じるくらい、それくらい暑さが厳しかったのです。お~いお茶が手放せない生活を送っていたのですが、そんな私が海外旅行に行くことになりました。その時は外国にペットボトルのお茶がないことなどすっかり忘れていました。

 いざ、初めての外国に行ってみると、当時はまだバックパーカーが大勢いて、見るからに重そうな荷物を背負って歩いていました。夏の暑い最中、彼らが脇に抱えていたのは2リットルのミネラルウオーターのペットボトルでした。道行く人を観察しても、誰も日本のように小さな500mlの容器を持っている人はいません。何か水以外にお茶のようなもの、例えば、できれば緑茶がいいのですが、まあ、無ければ紅茶でもいいかと捜しました。甘くなくて、すっきりとしている冷たい飲み物ならなんでもいい、とにかくカラカラになった喉を潤せるのなら。ところが、スーパーの飲料水売り場に行ってみると、日本と違って冷たい飲み物というのが極端に少ないのです。どうやら、この国の人たちはうだるような暑さにも関わらず、ヒャ~となってゾクッとするくらいの冷たい飲み物を必要としていないのです。

 日本なら、どれにしようか迷うくらい豊富に種類があるのに、悲しいかな、選択肢がないのです。ガス抜きのミネラルウオーターを買って飲むしかありません、それもたいして冷えていないものをです。冷たい緑茶などあるわけもなく、冷たい飲み物と言ったらコーラかオレンジジュースくらいのものです。この国にいる間2週間も耐えられるだろうとかと思い悩んだのですが、心配は杞憂に終わりました。今まで見たこともない美しい名所、旧跡を見ている間は、ペットボトルの緑茶のことを忘れていたのです。

 つまり、周りの人たちの様子を観察していたら、それが普通だと思えてきて、まあ、無くてもいいか!と納得したのです。最初は我慢でしかなかったことを受け入れたら、こだわりがなくなって自由になれたのでした。

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大好きだった、からだ巡り茶

今週のお題「好きなお茶」

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マドリードにある下院議事堂。NHKまいにちスペイン語テキストから。

コロナ禍で都心から足が遠のいて、飲まなくなって

 私の好きなお茶、と言うよりも、好きだったお茶はペットボトルの「からだ巡り茶」でした。何年か前にはテレビでCMもやっていて、健康的なお茶の登場ということで話題になりました。高麗人参、霊芝、ドクダミ等の9種類もの東洋素材に加えて、緑茶、ウーロン茶、プーアール茶、黄茶といった4種類のお茶がブレンドされているとラベルには書いてあります。いかにも身体によさそうで、飲み続けたら健康になれるのではと一瞬錯覚してしまいます。では、いったいどんな味なのか、問題はそこです、飲んで美味しくなければ誰も買わないのですから。私も興味津々で買って飲んでみました。

 実はラベルに書いてあった「ウーロン茶ブレンド」という文字が気になっていました。なぜかと言うと、ウーロン茶のあのどんよりとした味が苦手だったからです。よく居酒屋に飲みに行って、「私はお酒が飲めないから、ウーロン茶にします」という同僚を横目で見ながら、「あれを飲むくらいなら水の方がまだまし」と心の中で呟いていたのです。さて、からだ巡り茶を恐る恐る飲んでみると、幸運にもウーロン茶の味はしませんでした。ただ、それが何なのかはわかりませんでしたが、ある茶葉の味が尖っていて、きつすぎて、鬱陶しいと感じる味がしました。はっきり言ってとても美味しいとは思えなかったのですが、何日か経つとその鼻に突く味が何だか懐かしくなりました。それはあのコカ・コーラが最初はどうにも薬臭くて、到底飲めたものではないとさえ思われたのに似ています。要するに、あの癖のある独特な味を溜まらなく美味しいと感じ始めていたのです。

 濃くて、独特な味に病みつきになり、それまで飲んでいた緑茶が物足りなくなりました。緑茶が薄くて、ただの色付き水としか思えなくなったので、もうからだ巡り茶しか飲まなくなりました。当時は世の中は健康ブームで、万人に好まれていたのは爽健美茶でした。味に癖がなくて、飲みやすいので子供から大人まで誰にでも人気がありました。それと一線を画していたのがからだ巡り茶で、ブームが終わるとCMはもちろん、自動販売機からも、スーパーの店頭からも姿を消したのでした。でも、相変わらず置いている店はありました、それが都心にある一軒のスーパーでした。その店に行けばからだ巡り茶の小さなペットボトルが買えました。コロナが流行るまでは都心に行くと必ず店に寄って買うのが習慣になっていたのです。

 ところが予期せぬことは起きるもので、都心には近づかないほうがいいそうで、スーパーに行けなくなりました。突然からだ巡り茶はもう飲めなくなりました。その店は肉の質が良くて値段が手ごろなこともあって、大変人気があるスーパーでした。私は今まで食べていた肉を諦め、大好きだったからだ巡り茶を諦めることにしました。「これからどこへ行けばいいのだろう?」と途方に暮れていたら、ふと以前目にした場面が頭に浮かびました。それは東京で暮らしていた頃のことで、原宿にここはもしかしてパリ?と錯覚してしまうようなカフェがありました。パン屋さんの店先にテラスがあってそこで外国人たちがお茶を飲んだり、おしゃべりに花を咲かせていました。外国人は呆れるほどに店内よりも、圧倒的に外が好きなのです。暑くても、寒くてもテラス席に陣取って、長いことおしゃべりを楽しんでいました。

 ところがある日そのカフェが突然郊外に引越すことなりました。閉鎖されたカフェの店先に貼られていたのは、無数の閉店を惜しむ声が書かれたメモでした。その中に「明日からどこへ行けばいいのだろう、行くところがない」との悲鳴とも言える嘆きの声がありました。

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