人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

具だくさんの中華麺

見かけは中華そば、でもやっぱり違う

 給食で思い出すメニューと言ったら、なんといっても”中華麺”だ。中華麺だから、黄色い麺なのだが、中華そばとはちょっと違う。キャベツ、玉ねぎ、にんじん等の野菜がいっぱい入っていて、汁は少なめだ。他にはハムやラーメンに入っている、渦巻模様のナルトも入っていた。スープは野菜の味と他の具材のエキスのせいか、複雑でより美味しくなっていた。なぜこの中華麺をあんなにも気に入っていたかと言うと、私が苦手な脂身たっぷりの豚肉が一切入っていなかったからだ。給食で出される他の煮物や炒めものには必ず豚肉が入っていたので、嫌でたまらなかった。

 それに中華麺は野菜がたいして好きではなかった私でも、麺と一緒に野菜がスルスルと口の中に入っていった。味が薄めで、でもちゃんと味が付いている中華麺は今から思うとなんだか不思議な味だった気がする。学校から家に帰ると、母に「給食で美味しかったら同じように作って欲しい」と頼んだ記憶がある。母には悪いが、あまり料理の才能がなかった母親に、事細かに材料や作り方を説明した。野菜は母が畑で作っているきゃべつ、白菜、人参、玉ねぎなどできるだけ沢山の種類を使った。後の他の材料は一軒先にある村の何でも屋で調達した。味付けはたぶん醤油とハイミーでも使ったのかもしれない。おそらく何度も試行錯誤を重ねた結果、美味しい中華麺は完成したのだろう。なにぶん遥か昔の記憶なのので、想像力を目いっぱい駆使して思い出すしかない。

 子供ながら、給食の味を再現したくて一生懸命だったわけだが、幸運にも似たような味に仕上がった。ただ、本物の味には到底及ばなかったのは言うまでもないが、当時の私は十分満足だった。そういえば、学校の給食室を見学したことがあって、想像もできない大きさの鍋を見て仰天した。「この鍋が美味しさの秘密なのかもしれい」と子供ながら感心したことを覚えている。中華麺は私だけが好きなのかと思ったら、そうではなくてみんなも好きだった。ステンレスの鍋の中を覗いてみたら、スッカラカンだった。先生は「好き嫌いをせずに何でも食べましょう」と言うけれど、子供にも当然食べ物の好みはある。給食のおばさんには大変申し訳ないが、今の世の中で言うとSDGsには反するが、人気の無いメニューは決まっていた。でもクラスの男子の中には何でも綺麗に平らげてしまう子もいるわけで、好き嫌いの激しい私などは彼を尊敬の目で見ていた。

 大人になって、長崎ちゃんぽんを食べたとき、あの給食の中華麺にちょっと似ているなあと思った。でもちゃんぽんのスープは独特の味なので、あっさりとした中華麺のそれとは違いすぎる。それにあれは野菜と麺とを一緒に食べると言うよりも、恐ろしいほどたくさんのもやしとキャベツやら玉ねぎを食べてからでないと、麺とは出会えない。野菜の森を食べ進んでから麺を味合うような形になるので、どう考えても中華麺とは別物だ。その時は街にある長崎ちゃんぽんのチェーン店で友達と一緒に食べたのだが、その後、友達はそこでアルバイトをすることになった。友だちからそこの店の秘密を色々と教えて貰った。例えば、店の奥にある厨房は調理場と言うよりも、工場のようなものだと言っていいのだとか。そこはすべて機械化されていて、人は冷凍の材料を中に入れてボタンを押したら出来上がるのを待つだけのシステムになっているらしい。つまり、誰が操作しても同じ味に仕上がるように、厨房自体が作られているのだ。

 当時は給食の時間になると、すぐに机を移動させて、くっつけたりした。好きな子同士で一緒に給食を食べるためだ。自然とグループが出来ていて、ワイワイ、ガヤガヤと楽しい時間を過ごしていた。久しぶりに、もう会えないあの頃のクラスメートはどうしているだろうかと思ったら、懐かしさで胸がいっぱいになった。

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揚げパンが楽しみだった

なぜ、あんなにも揚げパンが好きだったのか

 給食で思い出すのは、なんと言っても揚げパンだ。当時私の住んでいた地域では中学校は弁当で、小学校だけが給食だった。だから給食の記憶はかなり薄れているのだが、それでもすぐに頭の中に揚げパンが浮かんだ。かなり強烈なインパクトがあったらしく、揚げパンのことを想像すると、ドーナツのような甘い匂いがプ~ンと漂ってくる気がする。今では学校によっては給食センターから給食が運ばれてくるのだと聞いたことがある。私の小学校では学校の中に調理室があって、給食のおばさんが毎日一生懸命私たち生徒のために給食を作ってくれていた。当然美味しい匂いも教室に入り込んできて、お腹が鳴って授業どころではなくなった。

 パンを揚げる香ばしい匂いと砂糖の甘ったるい匂いが交じり合って、美味しいハーモ二ーを奏でていた。あの揚げパンのパンはもしかして、コッペパンだったのだろうか。記憶の中では”パンを油で揚げて、砂糖を塗しただけのもの”とだけ思っていたが、それは私の単なる思い込みに過ぎないように思えてきた。どう考えてみても、それだけの手順ではあんなに美味しくなるわけがないのだ。表面がカリカリで、サクサクしている。一気にかぶりつくと、(だってまさか揚げパンを手でちぎって食べる子なんていなかったし、)サクッとした音がして、口の中は揚げパン独特の美味しさでいっぱいになった。

 揚げパンはアルマイトのお皿からはみ出るほど、大きかったのも嬉しかった。当たり前のことだが、食べていればそのうちに無くなってしまう。だから、せっかくだから、ゆっくりと揚げパンの美味しさを味わった。クラスでは毎月最後の週になると、翌月の給食の献立表が配られた。すぐに揚げパンの日はいつか探すのだが、悲しいことに月に一度あればいい方だった。揚げパンの出る日に赤丸をつけて、その日を楽しみに学校に通った。子供にとっての学校に行くためのモチベーションのひとつになっていた。

 なぜ、あんなに揚げパンが好きだったのだろう。その理由は単純明快で、食パンがたいして美味しい物ではなかったからだ。それなのに給食では3枚もでた。1枚で足りるのに、あまり食べたくないのに、強制的に食べなければならなかった。今から思えば、世の中には食ベ物がなくて、死んでいく人もいることを考えると贅沢なことだ。だが、やはり子供にとってはある意味苦痛だった。不平不満が溜まっていたのも無理はない。だからこそ、月に一度の揚げパンは日頃の不満を一気に解消する救世主のような存在だったのだろう。もし、現在の自分がタイムマシンに乗って、あの時代を体験しに行ったらどうだろうか。果たして私はあの揚げパンを美味しいと感じるだろうか。

 揚げパンのことを時空を超えて思い出したら、当時の教室の場面がだんだんと蘇ってきた。給食の時、男子はいつも牛乳早飲み競争をしていた。男子は嘘みたいに給食を食べるのが速い。当然自分の牛乳はすでに飲み終えているから、牛乳が苦手な子や、欠席の子の分を飲んでは面白がっていた。男子の食欲はまるで熊のように底なしらしく、余った分のおかずを気持ちいいほどの勢いで平らげていた。給食は誰にとっても至福の時間だった。

 子供にとっては給食は一日の中で最も楽しい時間のはずなのに、最近は「以前と比べると、楽しくない」と言う子供が多いそうだ。給食の時間は会話禁止なのだから、そう感じるのも無理はない。そんな非日常の状況にあっても、子供はそれなりにちゃんと面白いことを考えていると話してくれたのは知り合いの小学校の先生だ。「子供のすることはわけわからん」が、それだからこそ面白くて可愛いのだと感じる。例えば、給食のおかずの煎り鶏にお茶をかけてみたり、(何やってるんだ!)乳酸飲料の容器の底に穴をあけて飲んでみたり(何を考えているんだ!)と子供なりに楽しくしようと頑張っているのだ。だから、一日でも早く以前のような楽しい給食の時間が戻ってくることを願ってやまない。

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笑顔になれる中国語講座

沈んでいた心に、小さな花が咲くように

 4月から講師とゲストが一新して、NHKラジオの中国語講座がより楽しい番組になった。前年の丸尾先生の時はセイラさんと劉くんというパートナーのふたりと堅物の先生とが馴染むのに時間がかかった。それでも最後には丸尾先生が「二人と知り合えてとても貴重な経験をしました」と感謝の言葉を述べていた。でも、今年は少し様子が違う。それは後任の小金井先生がパートナーのふたり、ユン君とセイラさん(セイラさんだけは残留)の”現代っ子”パワーに負けることなく奮闘していることだ。テキストの写真からしか覗うことはできないが、二人と比べると人生経験が豊富なのは明らかだ。それで感覚のギャップもあって、どうなるかと思っていたら、意外にもうまく溶けこみ、最初から3人で和気あいあいの雰囲気だ。

 丸尾先生の時は若い二人の自由で歯に衣着せぬ発言に圧倒されっぱなしだった。正直言って、私も中国人というのはこんなにはっきりと物を言うのかと驚いたことも何度かあった。ところが、最初からもう、小金井先生はいかにも心得たかのように二人の暴走を止めていた。これには”さすが!”と感心した。先生が上手く二人を操縦するような形で番組は進行し、朝っぱらから、なんだか3人で楽しそう、私も仲間に入れて貰いたいなあと思わせてくれる。この講座の良さは本来は余計なことは言わず、あまり声を出す機会がなかったパートナーが、途中途中で自分の意見を言えることだと思う。例えば、「僕は普段この表現はあまり使わない」とかで、育った地域によっても違ってくるのだとわかった。

 この番組には週3回程度番組の最後にトークコーナーがある。その時間がまた楽しい。それは3人がどんな人なのか、どんなことを考えているのか、少しの時間ではあっても垣間見ることができるからだ。先の小金井先生は年齢不詳の女性かと思ったら、「失敗した話」のエピソードから推測できてしまった。それは大学時代に友達と渋谷のハチ公前で待ち合わせをした時に45分も遅れて皆を待たせてしまった話だった。当時はまだ携帯電話が出るかでないかの時で、連絡の取りようがなかったと言う。それで私は頭の中で、携帯が出始めたのは、たしか・・・と考えたら、小金井先生のだいたいの年齢が推測できた。思ったより先生はお若い!?(失礼しました)のだという発見をした。

 最近びっくりしたのは、パートナーのひとりであるユン君の「セイラさんの水餃子はすご~く酸っぱい」という発言。ええ~、餃子って酸っぱいの!?と当方は当惑していたら、すかさずセイラさんが「良かった!」とホッとしていた。どうやら水餃子と言うのは日本で馴染みのある焼き餃子とは別物らしいと気が付いた。また、「これって私だけ?」のエピソードはラーメンの食べ方に関してのこだわりの話だった。セイラさんはラーメン屋さんに行くと、必ずやることがあってそれは”味変”を楽しむことだ。まず、テーブルに置いてある豆板醤をたっぷりレンゲに乗せる。左手でレンゲを持ったまま、右手の箸で麵を掬って、その麺を豆板醤に付けて食べるのだそうだ。想像してみると口の中が爆発しそうになるが、セイラさんはその食べ方が大好きなのだ。

 それで大体わかった、セイラさんは辛い物が好きで、酸っぱい物も大好きなのだと。それはセイラさんに限ったことではなく、香港出身のユン君も同様らしい。中国料理に酸辣湯(サンラータン)というスープがあって、それは辛くて酸っぱくて一度食べたら癖になる味らしい。だが、どう考えてみても辛い物が苦手な当方にとってはハードルが高すぎる。それから、日本人には馴染みがなく、食べられる店もそうはないかもしれないが、と前置きして、それでも美味しいのは”羊蠍子(ヤンシエズ)だと言う。これは羊の背骨の鍋料理で、別にサソリが入っているわけではない。羊の背骨がサソリに似ていることから付けられた名前らしい。なんとも面白いが少しギョッとしてしまうネーミングだ。こんな風に中国語講座は毎日が発見の連続なのである。

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実家の兄を想う

考えても仕方がない、だけど気になる

 隣町に住む知人は、東北の実家からりんごが送られてくると、必ず我が家にお裾分けをしてくれる。そのりんごは完熟で蜜がたっぷり、頬っぺたが落ちそうなくらい美味しい。少し傷があったり、人間で言うとしみがあったりして、見かけは悪いが、りんごそのものの味はスーパーに並んでいる物とは一線を画している。毎年兄はりんごと一緒に実家で採れた米も送ってくれるのに、去年はなぜか段ボール箱の中に米は入っていなかった。なぜなのだろう、どうかしたのだろうか、と知人は心配になって電話をして聞いてみた。

 すると、兄は「足が痛くて、足の具合が悪くて、稲の成長にまで気が回らなかった」と嘆いた。田んぼの草取りをさぼったせいで、稲の発育が悪くていつものようには収穫できなかった。「去年は田んぼの世話をサボったせいで失敗した。でも今年は真面目にやるから期待していいぞ」と知人に宣言した。そもそも、兄の足が痛いのにはちゃんとした理由があった。兄は今は退職して年金暮らしだが、以前は運送会社に勤めていた。田舎には消防団と言うものがあって、ボランティアの消防団員もしていた。火事が起きれば、酒を飲んでいようがいまいが、とにかく車で駆けつけるのが決まりだった。

 ある日の夕方、兄が家で晩酌をしていると、消防署から無線で呼び出しがかかった。普通なら、”飲んだら乗るな”なのだが、その時は緊急事態で、それに兄は消防団員だ。だから、躊躇することなく車を運転し、消防署に向かった。ところが、途中で兄は事故を起こしてしまった。おそらく酔っぱらっていたせいで、運転を誤って電柱に激突してしまった。兄も車も無傷では済まなかったが、あのビクともしないような電柱もケガをした。ケガをしたと言っても、まさか壊れるわけもなく、車とぶつかった衝撃でぐにゃりと曲がってしまったのだ。その場合は電柱を取り替えなければならないらしい。その電柱の値段がなんと百万円を超えると言うから驚くしかない。

 兄は当然何らかの保障があるものと思っていた。だが、病院に見舞いに来た消防団の人から「大変申し訳ないけど、電柱のお金は個人の負担になる」と聞かされた。消防団からの見舞金ではとうてい支払える金額ではなかった。「何とかならないのですか」と畳みかけても、「規則ですからどうにもなりません」と言うばかり。「そんなことなら、俺はもう消防団を辞める!冗談じゃない!もうやってられない!」と兄は激怒した。地元のためになれば、少しでも貢献できればとの思いでやって来たのに、一瞬にして裏切られてショックを受けたのだ。

 幸運にも兄は足をケガしただけで、2ヵ月ほどの入院で済んだ。だが、交通事故の後遺症はそんなに簡単には治るわけではないらしく、日常生活にも影響を及ぼす。兄には今年40歳になる独身の長男がいて、「立派な後継ぎなのだから何も心配することはない」と思ったら、現実はそううまくはいかないらしい。親の背中を見て子供は育つのが当たり前のはずだが、兄は長男に田植えや稲刈りを手伝わせていないらしい。すべて自分たち、つまり親戚や隣の県に住む弟の手を借りて済ませていた。「兄は子供を自由にさせ過ぎたんだ。小さい頃は厳しくしつけていたのに、成長するにつれて放任するようになった」と知人は指摘する。兄は自分の子供の悪口を一切言わなかった。それどころか知人に「あの子はしっかりしていて、心配いらない」と褒めていた。

 だが、新しい家を建ててくれたのはいいけれど、両親のためではなく、自分たち(長男と長女)が住むための家だということは間違いない。「兄はどこかで間違えたんだ。兄の子育ては失敗だった」と言う知人の顔は曇っている。長男はれっきとした社会人だが、一度車で駅まで送ってもらった時に気付いたことがあった。無口だが話しかけると口を聞いてくれて、YESかNOかの質問には答えてくれた。でも、それ以外は聞こえないふりをして、会話にはならなかった。

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ホテルの従業員の本音

聞いて驚いた、客室清掃員の気持ち

 先日、ラジオを聞いていたら、リスナーの人が電話で参加している番組があった。インタビューのような形でMCから質問されていた。その中で、職業に関する質問もあって、その男性はホテルに勤めていて、主に客室の清掃をするのが仕事だ。勤めているホテルは湘南にあるリゾートホテルで、夏ともなれば、大勢の人で賑わう。「客室の清掃って大変ですよね。何か言いたいことはありますか?」と番組のMCが尋ねると、その人は「部屋にあるシャワーを使って欲しくないんです」などとふざけた!?ことを言うのでMCは仰天し、笑いが止まらないようだ。それでも、すぐに「ええ~!?それってどういう意味なんですか?あれはお客さんが使うためにあるんじゃないんですか」と畳みかけた。

 すると清掃担当の男性は「うちのホテルには大浴場と言うものがあるんです。だからお客様にはそちらを使って欲しいんです」などと言う理屈を並べた。それを聞いていた私も、どちらを利用するかはカラスの勝手で、そんなの、お客の自由でしょうと言いたかった。まあ、普通に考えれば、ちゃんとした大きな広々としたお風呂があるのに、どうして狭苦しいシャワー室で済ませるのか、疑問に思ったとしてもおかしくない。確かにそのタイプの人は少なからずいる。昔、グループで旅行に行った時、私たちが、「大浴場に早く行こうよ。気持ちいいよ」と騒いでいたら、ひとりだけ、「私はシャワーで済ませるから行かない」と拒否した人がいた。その理由は無理には聞かなかったが、あくまでも私の想像なのだが、人前で裸になりたくないのではないかと思う。それにはその人なりの訳があるのだ。

 ホテルの清掃担当がシャワー室を使って欲しくない理由を聞いてさらに仰天した。シャワー室を掃除するには大変な手間と労力がいるらしい。上司からの指令で「砂一粒でも残すな。水滴一粒も残すな」と強く命じられているのだ。濡れた浴室を綺麗に掃除し、次のお客さんが不愉快な思いをしないようにするのが彼らの仕事だ。しかし、いくら仕事と言っても、大変な思いをするよりはラクな方が良いに決まっている。普通部屋の掃除は1時間程度かかるが、シャワー室がなければ、45分で終わらせることができる。本音としては掃除は効率よく済ませたい、だから心の中では「大浴場を使ってくれればいいのに・・・」といつも思ってしまうのだろう。

 自分がもし清掃担当の立場だったとしたら、こう思うのは人間なのだから無理もないと納得する。今まで私は掃除する人のことを少しでも考えて、ホテルの部屋を使ったことはなかった。ただ、部屋を出るときには、迷惑をかけないように、掃除しやすいようにゴミはまとめて置くようにした。だが、彼らの仕事なのだから当然としか思わず、彼らがどう思うのかなんてお構いなしだった。

 「どんなお客さんが嫌ですか。今までで、一番嫌だったことは何ですか」とMCが質問した。すると、「ゴミを部屋のどこかわからないところに隠す人がいるので、それが一番迷惑だからやめて欲しい」と答えたので、「隠す」ってどういうこと?と疑問が湧いてきた。清掃担当者の説明によると、人目に付きにくい所、例えば、ベッドとスプリングとの間にある隙間にゴミを詰め込んで帰る人がいるらしい。いったい何を考えているのだろう?信じられない行為だ。それこそ忙しい時には手間がかかって、後から疲れがどっと出てしまう。「じゃあ、ゴミは一番どうするのがいいんですか」「部屋の真ん中の目に付くところにまとめて置いてください」とまあ、そんなやり取りを聞いたので、これから自分がホテルに泊るときの参考になった。

 考えてみると、私も海外のホテルに泊ったとき、いろいろなものを隠した。ゴミではないのだが、日本から持ってきてもう読み終えて荷物になるだけの本とかを何冊か、タンスの引き出しの奥にこっそり置いてきた。全然気づかなかったが、あれも迷惑行為だったのだろうか。

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スーパーでメダカが売っていた

ポリ容器の中に何もいない、でもよく見ると

 先日、近所のスーパーに行ったら、ある意外なものを売っていた。それはメダカで「まさか、こんなものまで!?」と仰天した。確かに近頃のスーパーは食料品だけでなく、店頭に花の鉢植えやちょっとした花束も置いてある。近くには花屋もあるのだが、何よりも魅力なのは値段がお財布に優しいことだ。買い物に来たついでに、なんだか自分の部屋が寂しいから彩りが欲しいと少しでも思ったとしたら、「これも買おうか」となるのは自然なことだ。それにあまり行ったことのない外から眺めるだけの花屋に入るのには躊躇してしまうことが多い。だから、売れ行きを観察していると、いつの間にか無くなっているので、店頭に草花を置く戦略は成功しているようだ。

 今は何種類もの紫陽花の鉢植えが美しい花を咲かせている。その陰にひっそりとあるのが、昔スターバックスで人気があった、ストロベリー何とかの飲み物が入っているのとそっくりなプラスチックの容器。そのポリ容器が植木鉢を入れるラックの中に何個か収まっていた。何個かと言うのは、他のはすでに売れていて、その何個かは売れ残りらしい。最初見たときは、それが何かはわからなかった。水草のようなものが入っているが、中を見てみるが、何もいないようだ。これは一体!?と戸惑っていると、ポリ容器に小さなシールが貼ってあることに気が付いた。そこには「ミユキ、メダカ」と書かれていた。メダカ!?この中にメダカがいるのだとわかって、少し驚いた。

 ようく見てみたら、透明で、小さくて、いまにも消えてしまいそうなほどか弱そうなメダカが一匹ポリ容器の中を泳いでいた。シールには580円と書かれていたが、この値段は果たして高いのか、安いのかは分からない。メダカと言えば、子供の頃、田舎の小さな川にいくらでもいて、あれが売り物になるなんて考えたこともなかった。知人に聞いた話では、メダカはいくらでも増えるらしく、水槽の中がいっぱいになるらしい。一見か弱そうな生き物なのに、繁殖力が凄まじいのだ。それに最近では新聞の投書欄のある記事に驚かされた。オタマジャクシをとりあえずのつもりでメダカの水槽に入れて置いたら、翌日見てみたら、なんとオタマジャクシが消えていた!これはいったいどういうことか。信じられない話だが、メダカがオタマジャクシを食べて?しまったとしか考えられない状況だった。

 スーパーの店頭に話を戻すと、ポリ容器のメダカは「ミユキ」のほかに「楊貴妃」という種類もあった。楊貴妃と言えば、中国の唐の時代の玄宗皇帝の愛妾で、絶世の美女だ。メダカの「楊貴妃」は「ミユキ」と比べるとどこが違うのかと言うと、身体にオレンジの衣装を纏っていた。銀色で無味乾燥な色をしている「ミユキ」と比べてみると、たしかに綺麗で、華があった。それで値段が高いのかと思ったら、同じ580円なので、どちらを買うかは好みの問題だ。

 メダカの話で思い出したが、世の中には普通の人が聞いたら仰天してしまうようなものを飼っている人がいる。例えば、NHK大河ドラマの『鎌倉殿の13人』の脚本家三谷幸喜さんはダンゴムシを飼っている。もう三代目になるそうで「植木用の栄養豊富な土で育ったせいか、身体もでかいし、色もつやつや。生命力に溢れかえっている」と我が子たち?の成長に目を細めている姿が思い浮かんでしまう。どんないきさつでダンゴムシを飼うことになったかは分からないが、毎日のよう世話をしていると愛着がわくのかもしれない。

 私が一番この人は凄い!と思ったのはテツandトモのテツさんの奥さんだ。なんとテツさんの奥さんは「カブトムシをなんども卵から成虫に育てている」らしく、「小さい頃から、あれは捕まえるもので育てる意識がなかった僕にとってはただただ感心するのみ」との感想を述べている。

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図書館の本棚の中身

今週のお題「本棚の中身」

不思議なことに、借りる本がどれも同じような話で

 もう今では図書館に行くことはなくなったが、昔はよく通っていた。当時住んでいた町には小さな公立図書館があって、その辺りは普段の生活では滅多に通らない場所だった。大通りの脇道を入ると、子供が歓声を上げて遊んでいる公園があった。そこを通り過ぎて、しばらく行って角を右に曲がると、その図書館はあった。「こんなところに図書館があったんだ」と思うくらい辺鄙な場所だった。ただ、隣には交番!?があるので、目印としては分かりやすい。閑静な住宅街の中に埋没してすぐにはそれとは分からないような図書館だが、れっきとした図書館であることには変わりはない。

 最初、そこに行き始めたのは当時話題になった絵本があって、急に興味が湧いたからだった。絵本を見たい、読みたいと思っても普通の書店では置いていないことが多い。自由に、時間を気にせずに好きなだけ見たり、眺めたり、読んだりできるのは図書館だけだった。それにその図書館の児童書コーナーはとても充実していた。沢山の子供に交じって大人が居ても何の違和感もない空間だった。一度に5冊まで借りられるので、家に持ち帰って楽しんでいたが、ある時、ふと一般の本が気になった。児童書コーナーは2階にあるが、一般書は図書館の玄関を入ると閲覧室があって、そのすぐ隣に棚がならんでいた。

 ざあっと棚の中の本のタイトルを眺めてみた。もちろん新聞やテレビで話題になって知っている本もあったが、その他の本はタイトルだけ見ても、さっぱりでその内容は想像もつかない。当たり前のことだが、図書館の本はカバーと帯を外して、本を保護する目的で痛まないようにビニールをかけてある。だから、その本に関する情報は全く読み手には伝わっては来ない。何も知らされず、どういった内容なのかのヒントすら与えられずにこちらは本を選ばなければならない。まっさらの状態で、先入観が全くないので、ドキドキ、ワクワクするならいいのだが、やはり人としては少しでも知りたい気持ちが沸き上がって来る。だから、まずは本をペラペラめくって、文字情報を頼りに内容を注意深く探るしかないのである。目に入った文章や言葉から素早く判断して、その本を借りるかやめておくかを決めるしかない。

 ただ、一方ではこうも考えた、図書館が選んだ本なのだからハズレはないのではないかと。それも個人の好みから言えば、素直に従って正解かどうかは怪しいものだ。私が選んだ本は過去に売れていると評判の本だったが、私はその内容を全く知らなかった。というか、その本自体に興味がなかった。それでいい機会だと思って借りて読んでみることにした。その本は一言でいうと、傷ついた女性、いや、少女の再生の物語だった。彼女は幼い頃から両親に愛されず、虐待されていた。誰にも必要とされず、生きている価値がないとさえ思っていた。だから彼女はそんな自分を受け入れてくれる誰かを心の底から求めていた。やがて、彼女は自分に近づいてくる男性を誰彼構わず受け入れるようになった。なぜかと言うと、自分を必要としてくれる人なら誰でもよかったからだ。彼女は相手が自分の体だけが目的であっても、傷つけられる感覚がないようで、十分幸せだった。

 正直言って、その本を読む前は、誰にでも体を許してしまう女性の心境がわからなかったが、読後はその切ない気持ちが理屈としては理解できた。誰も皆自分を必要としてくれる人を求めていて、彼女の場合は自分が生きていてもいいと認めてくれる存在だった。当時はその物語を自分とは縁遠い世界、まるでSFのようだと感じた記憶がある。その後も、次々とランダムに棚にある本を借りて読んだのだが、驚くべきことに、なぜかあらすじも内容もほとんど似たようなものだった。こうなると、食べ物と同じで”過ぎたるは及ばざるごとし”で食傷気味になり、嫌気がさしてしまった。自然と私の足は図書館から遠ざかった。

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