人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

キウイがあま~い

今週のお題「あまい」

こんなキウイ、食べたことない

 実を言うと私は酸っぱい物が苦手です。特にグレープフルーツやりんご、キウイ、イチゴなどの果物があまり好きではありません。できる事なら食べたくないのですが、そうも言っていられない時もあります。他所のお宅で出された時とか、同僚がせっかく持ってきてくれた果物を皆が喜んで食べている時がそれです。別に食べたからと言って、ドラマに出てくるようなアレルギーがあるわけでもなく、具合が悪くなってしまうわけではありません。苦手だからと断るのも面倒なので、同調圧力に負けてついつい食べてしまいます。やはり酸っぱいのですが、顔をしかめたりすることなく、何とか食べられます。

 くだものというのは、だいたいが酸っぱいものが多いような気がします。例えば、ビタミンCが豊富なキウイは、スーパーなどで売っているパッケージには必ず「甘い」と書いてあります。でも食べてみると、何のことはない、どうにもこうにも酸っぱくて堪らないのです。キウイが大好きという友人に聞いてみると、「あの酸っぱさがいいんじゃない」だなんて、連れないことを言うのです。そのなんとも不思議な気持ちを到底理解できませんでした。

 でも、そんな私にある日突然目から鱗の出来事が起こりました。それはご近所のお宅から、「これ、田舎の友だちが送ってくれたから、食べてみて」とキウイを頂いたのです。その友人の家でキウイを作っている?らしく、袋には見たことのない小さめのキウイがいっぱい入っていました。その時の私は内心、「キウイなんてもらってもねえ」と戸惑っていました。酸っぱい物が嫌いだなんて本当のことを言うわけにもいかず、丁寧にお礼を言って受け取りました。さて、キウイを貰ったものの、捨てるわけにもいかずそのまま2~3日放っぽっておきました。

 そのうちに、せっかくもらったのだから、味見だけでもしようという気になりました。袋の中をよく見ると、緑、茶、紫、黄と色が豊富なので、食べて見たくなり、その中のひとつを手に取りました。皮を剥いて、小さめに切り、「酸っぱい」のを覚悟して、口の中に放り込みました。すると、予想もしなかったことですが、「甘~い」のです。これってホントにキウイなのと訝るくらい、酸っぱさが感じられません。ただ、ただ、甘~いの一言です。これに感激し、味を占めた私は次々と他のキウイも食べにかかりました。色には関係なく、すべてのキウイが私がそれまで抱いていたキウイのイメージを覆してくれるような甘さでした。

 それ以来、不思議なことに私はキウイが食べられるようになりました。スーパーで売っている「ゴールデンキウイ」という比較的甘めの種類なら問題ありません。と言っても、パックで正規の値段で売っている物ではなくて、夕方の特売のお買い得品を買うことが多いです。それも何か月に一度ぐらいの割合で、急に食べたくなる時に限るのですが。それにしても、私の中のキウイの常識を打ち破ってくれたあのキウイが、いったいどこで作られているのか、未だにわかりません。キウイを貰った時に根掘り葉掘り聞いておけばよかったと思ってはみたものの、真相を尋ねてみる機会がありません。

 キウイをくださった方とはたまにご近所で出くわすこともあるのですが、その時はたいてい何か別の話をしています。そこへいきなりキウイの話を持ち出すわけにもいかず、あるいは私もキウイのことは頭の中に浮かばないのです。確か、以前何かの話の時に「あなたのおかげで、キウイが食べられるようになったのですよ」とお礼を言ったら、物凄く嬉しそうな顔をされていました。それならもう一押しして、あのキウイはどこで作っているのですかと聞けばいいのに、現実にはそれができていません。

 まさか、わざわざ家に押しかけてキウイのことを気軽に聞ける間柄でもありません。それならまあ、どうでもいいかと追及するのをやめておくしかありません。なので、産地は分からずじまいですが、とにかく絶品のキウイに出会ったことは確かなのでした。

mikonacolon

 

 

 

 

甘かった旅行計画

今週のお題「あまい」

民泊は予想以上に大変で、手ごわかった

 本当のところはもう思い出したくもない経験なのですが、恥を承知で書こうと思います。コロナ前に民泊というものが流行ったことがありました。ホテルやペンションとかユースホステルとかいう宿泊施設ではなくて、個人が旅人に宿を提供する仕組みのことです。その場合、ホテルのような行き届いたサービスはない代わりに、大人数で自由に部屋を使えて、ホテルに比べて格安で泊まることができるというあれです。姉から台湾に行きたいから、計画を立ててくれないと言われたときは戸惑いました。なぜなら私はアジアに興味がなく、ヨーロッパにしか行ったことがなかったからです。それでも姉の頼みなので断るわけにもいきません。それに私の中にいくらか台湾に対する慢心というか、「それぐらいならなんとかなるのではないか」という軽い気持ちもあったことは確かなのです。私が知っているのはマスコミを通して宣伝されている台湾のイメージだったので、「誰にとっても訪れて損はない楽しいところ」なのだと信じて疑いませんでした。

 今思えば、そう言った台湾を馬鹿にしたような、なめてかかったような慢心が、あの悲劇の一因だったのだと思えてなりません。楽しいはずの旅行がとんでもなく恐ろしい、こんなはずではない体験に変わったのは、すべて私の不徳の致すところでした。はっきり言うと、台湾での宿泊をホテルではなく民泊にしたのが、そもそもの悲劇の始まりでした。台湾への旅行は3泊4日の日程にして、ホテルをどうしようかと考えたとき、姉と義姉と私の3人だったので、皆でゆっくり過ごせる方が楽しいのではないかと思ったのです。3人の場合は普通のホテルでは部屋を二つとらなければなりません。それなら3人一緒に泊まれる民泊が都合がいいと、マンションの一部屋を借りることにしました。借りるといっても、ちゃんと掃除もしてくれて、タオル等も交換してくれるサービス付きです。私たちは日本で言う高級マンションで、快適な日々を過ごすはずでした。

 ところが、現地に着いたら泊まるべきマンションが見つからないのです。台北の中心にある駅ビルに隣接しているはずのマンションが自力では探せませんでした。サイトではマンションの現在地に関する情報は住所と電話番号だけで他には何も書かれていませんでした。なので、私は現地に行けばすぐに場所がわかると勝手に良い方に解釈して、見つからない場合のことなんて露ほども考えていませんでした。現地に行ってみて初めて分かりました、駅ビルはコの字の形で建てられていて、その中に何棟ものマンション群が林立していることに。要するに、住所はそこで間違いないのに、あまりに範囲が広すぎて、自分の捜しているマンションが何処かもわからないし、またそこにどう行けばいいのか見当もつかないのです。

 自力で探すのを諦めた私たちは、駅ビルにあるブテックの店員さんに助けを求めました。宿泊確認書を見せると、そこに載っている電話番号にかけて探してくれたのですが、すぐには分からないようでした。時間がかかったのにもかかわらず、その店員さんは途中で投げ出すことなく、マンションを管理している会社の人を呼びだしてくれました。私たちはそのおかげで、その日の宿を確保できたのですが、問題はそこからでした。係員に連れられて、マンションの部屋に行ったので、変な話ですが部屋から外へ出たら、帰り方がわからないのです。信じがたいことですが、それくらい駅ビルのある大通りからマンションの部屋まで行くのには迷路を歩いているような感覚に陥るのでした。

 例えば、「ハリーポッターと賢者の石」の中でハリーがキングスクロス駅で魔法学校に行くために列車に乗る場面がありますが、あれと同じようだと思った記憶があります。なぜなら私たちが泊まる予定のマンションへの通路は駅ビルの入口にあるコインロッカーの後ろにこそっとあったからです。それならわかりやすいと思われるでしょうが、事はそう簡単ではないのです。駅ビルの入口はいくつもあってどこにでもコインロッカーは置いてあったからです。私たちは必死になって外からマンションへの行き方をマスターしようとするのですが、別の場所へ迷い込んでしまって出られなくなってしまったこともありました。私たちが万事休すとばかりに呆然としていると、そこへ警備員が現れて、心得たように後方にあるドアを開けてくれました。よく見るとそこはマンションへの通路ではありませんか。警備員にとっては私たちのような迷子は日常茶飯事なのでしょう。

 もちろん日本に帰る最終日には完全に外からマンションへの帰り方をマスターしていて、解れば、慣れればなんてことないのですが、新参者にとっては上級のレベルです。あんなにマンションへの通路がわかりにくいのは、セキュリティの面から言っても安心ですが、民泊する当方にとっては迷惑千万なのでした。

mikonacolon

 

初心者のつもりで

3年の間に何もかも変わっていた

 大型書店の以前とはあまりにもかけ離れた惨状に動揺してしまった私は、不安に駆られて近所の書店にガイドブックを捜しに行った。普段はそこは”使えない書店”であり、たまに覗くことはあっても目ぼしいものは何もなく、がっかりして帰るのが落ちな場所だった。どうせあるわけないかと内心思って、地球の歩き方のロンドンのガイドブックを探して店の中を一周した。やっぱりないかと諦めて店を出ようとしたときに、ふと棚の最上段に旅行ガイドのコーナーがあるのを見つけた。なんだこんなところにあるじゃないか、でも地球の歩き方のロンドンはたぶんあるわけないと思ったが、一応見てみることにした。すると、なんとロンドン23”~24”もパリ23”~24”もちゃんとあるではないか、まさに”灯台下暗し”である。

 まだ旅の計画も何も具体的なことは決めていないのに、いつ頃行くのかも定かではないのに、ガイドブックだけ買ってどうする?そう思ったのも事実だが、ただ、今年行くことは確かで、となると今から少しずつ気持ちを高めていく必要があった。ここで出会ったのも何かの縁なのだから、このまたとない機会を逃す手はない。ロンドンもパリも両方買うことにした。家に帰って、真っ先に手に取ったのはパリのガイドブックで、本を開いたら、「パリの新名所巡り」のグラビアが目を引いた。コロナ禍のこの3年間の間にパリには続々と訪れるべき名所が誕生していた。といっても、古いものを大事にしているパリのことだから、何百年も前に建てられた歴史的建造物を新しいアートスポットに生まれ変わらせていた。例えば、2021年5月には19世紀の商品取引所「ブルス・ド・コメルス」を美術館に、2021年6月には老舗デパート「サマリテーヌ」を16年の年月を経てようやくホテルやオフィスが入った複合施設として再生させていた。

 サマリテーヌのある場所を地図でよく見てみると、なんとルーブル美術館にほど近い。今まではルーブルを見学したら、さっさとホテルに帰っていたが、今度は見物がてらちょっと立ち寄ってみるのもいいか。さすがにホテルに泊まるのはためらうが、レストラン、いやお茶するぐらいはしてもいいかなあと思う。グラビアの写真で見る限り、宮殿さながらの仕様で天井や壁などの装飾が見事で美しい。なので、買い物をしなくても建物自体が丸ごと美術館として楽しめそうだ。

 新名所の誕生に胸をワクワクさせて期待感が高まったわけだが、その一方で残念な情報も知ることなった。それはシャルルドゴール空港からパリ市内を走るバスがロワシーバス1本しかないことだ。以前はたしか、シャンゼリゼやモンバルナスまで走っていたバス「ル・ビュス・ディレクト」があって便利だったが、今はもうサービスが終了していた。唯一のロワシーバスも終点は右岸のオペラガルニエで、左岸には行ってはくれない。その他の公共交通機関としてRERもあるが、あれは昔”スリが手ぐすね引いて待ち受けて居る”電車だとガイドブックに書いてあった路線だった。空港からの乗客はこれからパリ市内に向かうのだから多くの現金を持っている”カモ”みたいなものだそうだ。事の真相は定かではなく、また確かめる勇気もないので、小心者の私はいつもバスで行く方法を選択している。いずれにせよガイドブックの情報によると、RERの車内は混雑しているのは確かなようだ。

 もう20年以上も前に空港からロワシーバスに乗って、パリ東駅で降りたことがある。その頃のロワシーバスは東駅にも停車していたらしく、駅のすぐ近くのホテルに泊まった。何のためかと言うと、ストラスブールに行くためで、その方面に行く電車はパリ東駅から発車するからだ。さて、今回はユーロスターでロンドンに行く計画なので、となるとパリ北駅から乗らなければならない。パリ北駅の場所を地図で確かめてみたら、なんと東駅のすぐ近く、というより”お向かいさん”のように目と鼻の先の位置なので仰天した。知らなかった、こんなに東駅と北駅がくっついていたなんて。

 考えてみると、3年も海外旅行から遠ざかっているということは、もはや”初心者”であるといっても過言ではない。当たり前と思っていたことがそうではないことも多々あるだろうから、何があっても動揺しないことが肝心だ。きっと、そんな達観したことを言っていても、やっぱりドキドキ、オロオロしてしまって、赤っ恥をかくに決まっているのだが。

mikonacolon

 

またやらかしてしまった

カードが届いてひと安心、だが玄関先で鍵がない!

 先週の金曜日、やっと待望のクレジットカードが届いた。実を言うと、ほとんど諦めかけていて、今月中に来なかったら、またコールセンターに電話しようと思っていた。コールセンターに問い合わせをしたのが3月6日で、あれから日数を数えたら、11日目に更新カードが届いたことになる。有効期限が23日なので、何とか間に合った。カードを受け取り損なうと、しなくてもいい心配とひやひや感を味合うことになるのだとわかった。よく考えてみると、もっと早く電話をしていたならとも思うが、”果報は寝て待て”とばかりに高をくくっていたのだからどうしようもない。

 そもそもカードを受け取れないのが自分のミスだと指摘されたので、相手に突っ込んで聞きたいことを聞くことができないでいた。つまり、相手の言う「カードが戻り次第発送しますので、1週間から10日程度お待ちください」との言葉を素直に聞くしかなかった。本当は、カードはいつ頃戻って来るのかとか、カードが戻ってきてから、届くまでに1週間から10日程度かかるのかとか、その辺のところを詳しく根掘り葉掘り聞きたかったのにできなかった。だが、今カードが手元に実際に届いたところからすると、3月6日からの日数だったのだと合点がいった。もしかしたら、あのコールセンターの係りの人は、ただ漫然とカードが戻ってくるのを待つのではなくて、郵便局に問い合わせをしてくれたのかもしれない。もちろんこれはあくまでも私の想像でしかないだが。いずれにしても引っ越しなどで住所変更したら、念には念を入れて確認をする必要があるのだと改めて思う。

 更新カードが届いてやれやれと思ったが、その翌日、ありえないようなひやひやものの体験をした。いつものなんてことのない休日の土曜日が、冷や汗タラタラのとんでもない地獄の日になるところだった。その日私はなにかに飢えていて、心にもお腹にも満たされないような空虚感を抱えていて、それを解消するためにスーパーに買い物に出かけた。そのスーパーもいつも行くスーパーには飽き飽きしているので、少し離れたところにある高級スーパーにたまには気分転換にいいかと行くことにした。そこで、ハーフサイズのマルガリータピザ、ナスとオクラのみそ炒めとチーズチキンカツを買って、持参したレジ袋に入れ、それをさらにエコバッグに入れた。

 家に帰る途中、歩いていてなんだかピザのことが気にかかって仕方がない。レジ袋の中でピザがひっくり返ってとんでもないことになっているのではないか、みそ炒めのたれがパックの隙間から垂れて、ピザに絡みついているのではないかとあらぬ妄想で頭の中がいっぱいになった。とても気にはなるが、道端で”店を開く”わけにもいかないのでひたすら歩いて家路を急ぐしかない。さて、何とか家の玄関までたどり着き、バッグからカギを取り出そうとした。ところが、ところがであるその肝心のバッグがない。万事休すである。一瞬目の前が真っ暗になったが、ようく自分の行動を思い出してみた。

 実はスーパーに行く前に書店に寄って、NHKのラジオテキストを買ったので、その特まではバッグは私の腕にかかっていた。となるとスーパーで買ったものを詰める時に置き忘れたに違いない。何たる唐変木、ぼうっとしているにもほどがある。もっとしっかりせんかい、とダメな自分に自分で活を入れたくなる。動揺のあまり絶望感に浸って固まっている場合ではない。善は急げとスーパーに向かって速足で歩いた。こんな時はたいして遠くもないスーパーへの道がやたら遠く感じてしまうからやるせない。バッグを取り戻したい一心で気持ちの方がはるかに先走るが、その一方で、頭の中は最悪の事態を考えていた。思えば、バッグの中には健康保険証、定期、クレジットカード等々の失くしたら、面倒なことになるものが入っていた。お金は大した金額ではないから諦められるなあだなんて、万一バッグがなかった時にショックを受け入れる準備をしていたのだ。

 スーパーに着くやいなや、レジのところに立っていた店員さんにバッグの忘れ物がなかったかどうかを聞いてみた。すると、待ってましたとばかりに「ありますよ」と答えてくれたので、身体から張り詰めていた力が抜けた。高ぶっていた気持ちが安堵に変わった。少し恥ずかしい気はしたが、その店員さんに心を込めて「ありがとうございました」とお礼を言った。いつもなら、すぐに忘れてしまうくせに、その日はさすがに玄関を目の前にして鍵がなかった時の絶望感が尾を引いたのか、大好きな夕刊も玄関ポストから取らずじまい。やたら「疲れた」と繰り返し、夕飯を食べてさっさと寝てしまった。

mikonacolon

 

 

徳を積む人

皆にとって都合のいい女とばかり思っていたら

 実家でひとり暮らしをする義姉のミチコさんが来月白内障の手術をすることになった。通っている眼科は市役所のすぐ傍にあって、家から車で5分の場所にある。車での移動が当たり前になっているので、ミチコさんはたいして気にもしなかった。だが、眼科の先生から車で来院を禁止されて、とたんに困ってしまった。自慢にもならないが、1時間に1本しかバスは走っていないし、バスの停留所に行くにしても15分も歩かなければならない。眼科の先生の話では、5回ぐらいは通院しなければならないと言う。となると移動手段はタクシーを呼ぶしかない。楽天家のミチコさんはすぐに「まあ、タクシーでもいいか」と思うことにして、あれこれ考えるのをやめた。

 ある日、仲良くしている友人と食事をしていた時に、白内障の手術のことを話した。すると、友人は「それくらいなら私が送り迎えしてあげるから」と言ってくれたので仰天した。「でも5回もだから悪いからいいよ」と断ろうとすると、「いつも車に乗せてもらっているから」と言われてしまったので、お言葉に甘えることにした。そうなのだ、ミチコさんはいつも運転手の役目を担っていた。そもそもミチコさんの住む地域において車の運転ができないのは、中国ドラマの”禁足”のようなもので、自由がないのと同じ意味を持つ。お婆さんたち、いや老婦人たちは毎日家で退屈?しているらしく、皆どこかにランチを食べに行きたいらしい。だが、悲しいかな飲食店は近所にあるわけもなく、歩いて行ったら気が遠くなるような距離である。車で行くという選択肢しかない。わざわざタクシーを呼んでまでして出かけたくはないし、それにそんなことをすればご近所に体裁が悪いからできない。本当のことを言うと、タクシーは高くつく。美味しくて格安のランチを食べるのにタクシーを使っていくなんて、本末転倒ではないかと誰もが思うのだろう。

 そんなとき、頭の中に浮かぶあの人、それがミチコさんである。あの人ならお願いすれば、誘ったら絶対断らない人だからだ。当のミチコさんは自分のことを「どうしても断れない人」で「相手に悪いと思ってしまって、断る勇気がない人」と自覚している。皆車に乗せてもらいたくて、自分を誘うのだとわかっていても、いいように使われているのだとわかっていても、それでも「まあいいか」と承諾するのだ。ミチコさんからしたら、「どうせ自分もどこかに食べに行きたいし、一人では楽しくないからついでだと思えばいい」との考えから誘いに応じていた。それで、自分は皆にとって都合のいい人であり、いいように使われてしまう人だと思っていて、それでもいいと気にもしなかった。

 だが、今回の白内障の手術の件ではまさか、まさかの展開に感激してしまった。そんな”鶴の恩返し”のような見返りを求めていたわけでもないので、友人の申し出に自分の耳を疑った。私が思うには、今までミチコさんはいわゆる、”徳を積んできた人”なのだ。意味合いは少し違うかもしれないが、ボランティア精神といってもいい姿勢でもって人と付き合ってきた。誰や彼やの無理ともいえるお願いも嫌々でも受け入れてきたからこそ、今回友人から有難い申し出をして貰えたのだ。

 運転手として、アッシーとしての役割にミチコさんは私にはこんなことを言うこともある。「乗せて行くと皆必ず私の分を払ってはくれる。でもそれはいつも安いものだから、ガソリン代にもならないことが多いのよ」。だがその一方で、「食事代が高い時はなんだか心苦しいから自分で払うことにしている」とも言う。自分が車に乗せてあげているのだからといって、やりたい放題するわけにもいかないと気を使っているのだ。つまり、人に奢られて借りを作るのが嫌だし、なんだか居心地が悪いと感じてしまうのだろう。それでも電話でお誘いがあれば、もちろん喜んで出掛けて行く。皆年金暮らしで、中には裕福な人も居るにはいるが、限られたお金で食事を楽しみたいと思っていて、それはミチコさんも同じなのだ。だから、社交的な性格のミチコさんはアッシーとしての役目を、これもひとつの”お付き合い”だと楽観している。

 冗談で、「これからはお金を取ろうか」と商売のようなことを言いだした時もあるが、すぐに「それじゃあ、ギスギスして楽しくない」と却下した。自分のやっていることを真剣に突き詰めて、今流行りのコスパなど考えない方が身のためなのだとよくわかっているのだ。

mikonacolon

 

 

 

認知症患者との付き合い方

本人は自覚なし、なので大目に見ることが大事

 実家に犬一匹、猫二匹と自由に暮らす義姉のミチコさんが嘆いている。悩みなど皆無だと思っていたら、世話好きで、社交的な性格が禍していた。隣に住む90歳近い老婦人から何かと頼られて、なんだかんだ面倒を見ていた。嫌なら「ちょっと忙しいから」とか言い訳をして、断ればいいし、相手にしなければいいのだが、断れない性格だから仕方がない。まあそれくらいならいいかとすぐに首を突っ込んでしまうせいで、何かと窮地に陥ってしまうのだ。以前は携帯電話のメールのやり方を教えてと頼まれてたことがあった。少し考えれば、そんなことは息子や嫁という家族も居るのだから、彼らに聞けばいいと思うのだが、それはできないらしい。それで、ついつい気さくで、何でも話せる、暇そうな?ミチコさんに助けを求めてしまうのだった。

 頼られたら、放ってはおけないミチコさんは「私もそんなに詳しくはないけれど・・・」と熱心に教えてあげる。だが悲しいかな老婦人は「わかった」とはなかなか言ってはくれない。なので、何度も何度も同じことをやって見せて、操作の仕方を説明するのだが、「じゃあ、自分でやってみて」と言うとできない。それでもなんとかメールができるまでにはなったので、ミチコさんはやっと老婦人から解放された。玄関の上りはなに座って、長時間なんだかんだと老婦人に付き合っていたら、腰が痛くなってしまったと嘆いていた。

 だが、最近老婦人の認知症が以前よりも進んだようで、また悩みが一つ増えたようだ。それは実家がある地域では昔から、故人の月命日にお寺のお坊さんにお経を読んでもらう習慣があって、そのことに関することだった。例えば、うちの実家では兄の月命日は27日なので、毎月その日は村にある寺の住職が見えることになっている。隣の老婦人の家は6日と決まっているのだが、ある日住職が「その日になると必ず朝電話がかかってきて、今日は都合が悪いから別の日にして欲しい」と言われるとミチコさんに愚痴を言ったらしい。詳しく話を聞いてみると、老婦人は別の日を指定するのだが、その日に行くと留守のことが多い、まあ、留守と言っても週に3回のデイサービスの日だとは見当が付く。当然とばかりに家に尋ねて行けば、「今日は都合が悪い」とか「今日は来る日じゃないはずだけど」と言って断られてしまうのだ。

 そんな有様だから住職はここ数カ月は老婦人の家に行く機会を逃していた。住職自身は言われたままに、本人の希望通りにしているだけで、何一つ落ち度はないのに、老婦人には変な奴だと白い目で見られている。相手は自分の言ったことを完全に忘れてしまっているようで、自分が正しいと信じているのだから、文句を言うわけにもいかない。住職は隣の老婦人とどう接したらいいのか悩んでいて、その悩みをミチコさんに話して共有してもらいたかったようだ。悩みをお裾分けされた形になったミチコさんは、老婦人から日頃聞かされていることを思い出した。「あの人(お寺の住職のこと)はなんだかんだとゴチャゴチャと訳の分からないことを言っているから、本当に困る」と老婦人は嘆いていたのである。

 住職はミチコさんに「月命日の6日になったら、ちょっと隣の家の様子を見に行ってもらえないだろうか」と頼んだこともあった。でも実際にミチコさんが本当に見に行こうとすると、「やっぱり、もういいから」と止めるのだった。老婦人に翻弄されっぱなしの住職だったが、よく考えてみると、相手は悪気があってやっているのではないことは明かだ。認知症という病気なのだから、誰のせいでこうなったなどと、責任を追及しても始まらない。相手を「本当はあなたが悪いのですよ」と責めてどうにかなる問題でもなく、もっとも住職の潔白は証明されるかも知れないが、そんなことは何の役にも立たないのだ。ここは自分が悪者になって、相手を大目に見る必要があると住職は悟った。

 それで住職は月命日の6日には必ず老婦人の家を尋ねることにした。行って見て、留守だったらそれでいいし、断られたら断られたでそれでいいと開き直ることにしたのだ。もしも「どうして来たの?」と訝し気に言われたら、「勘違いしちゃって」と誤魔化せばいいだけのことだ。それでその月の御勤めは終わりにする。自分の都合で日にちを変更することは老婦人をさらに混乱に陥れるだけなので、極力避けることにしていると言う。

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書店に旅行のガイドブックがない

まさか、紙は時代遅れなのか!?

 3月に入ったばかりのある日、新聞の連載の4コマ漫画『ウチのげんき予報』を読んでいたら、登場人物のあるセリフが気になった。それは「格安航空券が手に入ったから、久しぶりに旅行するわ」で、”げんき家族”の奥さんが知り合いの女性に言われていた。そして、旅行の時期がなんとゴールデンウイークだと聞いてびっくり、はるか先の話だと思っていたから。それにコロナ禍で旅行なんて考えられなかったからだ。だが知り合いが新しい一歩を踏み出したと聞いて、会社から帰ってきた夫に「うちもそろそろ旅行のことを考えてみない」と相談を持ちかけた。

 私はと言えば、漫画のそのセリフを読んで、そう言えば、自分もどこかしら旅行に行くのだったとハッとなった。パリに行くと決めたのだと思いだした。我ながら、まだまだ先のことだと思っていたのに、知らず知らずに早3月に突入して、こうなると4月は目前で、何か具体的な行動に出ないと実現は難しい。行き先は決まったのに、まだ現実離れした計画でしかないが、そろそろただの思いつきを現実のものに、”もう行かなきゃ済ませられないもの”に変えていく必要がある。そのためにまずやるべきことは行きたい国のガイドブックを買ってきて、できるだけ情報収集することだ。

 最近は新聞に国内旅行のみならず、海外旅行のツアーの広告も載っていて、いよいよコロナ前に戻ったのだなあと実感することが多い。それなら当然都心にある大型書店の旅行関連本のコーナーも元通りに戻っているはずだった。だが、予想に反して国内旅行や海外旅行に関するガイドブックが並んでいた棚はスポットライトが当たらない影の場所に追いやられたままだった。誰からも見放された片隅に追いやられた棚を見て、ガーンと頭を殴られたような衝撃を受けた。コロナ前は人気のあるヨーロッパのイタリアやフランス、ドイツなどの棚はちゃんと独立した棚があって、どれにしたらいいのか迷うほどの品揃えを誇っていたはずだ。それなのに、今では悲しいことにそれらが国別に別れることもなく無造作に詰め込まれていた。

 かろうじてアルク地球の歩き方『パリと近郊の町23’~24´』はあったが、私が行こうとしているイギリスのガイドブックはなかった。その時は頭になかったが、後からよく考えてみると『ロンドン』のタイトルが付いた本を探すべきだった。そもそもロンドンに行く目的は大英博物館なのだから。おそらく大英博物館は何日通っても退屈はしないだろうが、ロンドンは恐ろしく物価が高い所だと噂に聞いているので、宿泊は3~4泊程度にする予定だ。だが、現実問題として、ガイドブックを手に入れることが先決で、そうしない限りは何も始まらない。

 大型書店に無いので、家から歩いて30分のところにある中規模書店に行って見ることにした。こちらはつい最近まで海外旅行関連本の棚が撤去されていたが、やっと以前のような光景が戻りつつあった。大型書店と比較すると、ほぼすべてのアルク地球の歩き方シリーズが揃っていて、なんだ嬉しくなった。早速『ロンドン』を探すのだが、何たることか、ちょうど『イギリス』と『ロンドン』だけ売り切れていた。

 旅のガイドブックがなかなか手に入らない?なんてことは今までは考えられなかったことだ。こうやって嘆いていても、仕方がないので他の書店に探しに行くとするか。意外と”灯台下暗し”で、近所にある”いつも使えない”と馬鹿にしている小さな書店にあるかもしれないのだから。ここまで書いてきて、ふと思ったのだが、世の中の流れとしてもう紙の本に頼るやり方は古いのだろうか。ガイドブックなどなくてもネットさえあれば、十分旅の計画も楽々できるものなのだろうか。私にとっては必須のガイドブックから得られる情報と街の地図なしには私は旅を無事に終えることはできないと思うし、それどころか、安心して一歩を踏み出すこともできない。もちろんネットも大いに利用して情報収集に努めるが、それはあくまで情報の補充としての存在であって、それに完全に頼り切ると言うことではない。

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