人生は旅

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ひな祭りの思い出

今週のお題「雛祭り」

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▲これは2月24日の日経新聞の文化欄に載ったリメイクされたひな人形。依頼主から持ち込まれた着物や帯をひな人形の衣装に生まれ変わらせた作品です。

お雛様に憧れた子供の頃

 子供の頃ひな祭りが楽しみでした。美しいひな人形が飾ってある光景を好きなだけ眺めることができたし、ちらし寿司が食べられるからでした。何と言っても、お雛様の衣装がキラキラしていて素敵なので憧れていたのです。なのに学校でやらされた役は5人囃子のひとりだなんて多いに不満でした。せめて3人官女ぐらいならよかったのにと嘆いたものです。それと、ひな祭りと言えば、ちらし寿しですが、田舎にいた頃食べたのは普通のあのイメージのちらし寿司ではありません。ご飯が四角い形になっている押しずしで、上には錦糸卵やら、甘辛く味付けしてある魚やら、ピンクの色が鮮やかなでんぷなどが盛られています。アクセントにはさやいんげんが添えられていて、子供ながら見るからに美味しそうと思ったものです。あの頃は、今どきのスーパーに並んでいるようなひなあられやひなゼリーを食べた覚えはありません。でも祖母と母が作ってくれる押しずしで十分満足だったのです。大人になってからのひな祭りは、毎年、お雛様もないし、これと言って特別なこともしない普通の日になりました。たまにひな祭り気分を味わうためだけに、食べもしないひなあられやゼリーを買ってみたりしています。

 祖母のことで思い出したのは、人形に着せる着物をいっぱい作って貰ったことです。当時私はたいていの女の子がそうであったように、お人形ごっこに夢中でした。人形の洋服を着せ替えてあげたくても服がありません。近所に売っている店などなく都心に行かなければ手に入りません。それにお金だってかかります。私が洋服を買ってくれるようにせがむと、祖母は自分の着物のあまり布で人形の着物を縫ってくれました。子供心にも素晴らしい出来栄えでとても嬉しかった覚えがあります。その後、誕生日にデパートで着せ替えの服をやっと買ってもらえたのですが、思ったほど嬉しくなかったのです。

理想的な死に方をした祖母

 祖母は私にとっては優しいお祖母ちゃんなのですが、母にとっては厳しいお姑さんだったようです。でも私はそんな二人の軋轢をたいして感じることもなく育ちました。まだ認知症などという言葉を聞いたことがない時代で、祖母は92歳でなくなるまでボケるようなことはありませんでした。夫に先立たれて自分で商売をしていたので気丈なのでしょう。ある日、いつも元気な祖母が風邪で寝込みました。そして、あっけなく眠るように亡くなってしまいました。老衰でした。今にして思うと理想的な死に方でした。あの頃いつも一緒に居た母の嘆きを聞いたことがありません。周りの者に迷惑を一切かけることなく死ねたのですから、いかにも祖母らしい人生の幕引きでした。

 さて、冒頭の写真のひな人形の話なのですが、孫娘にひな人形を贈りたいという依頼に応えて心を込めて職人さんが作りました。自分が締めていた思い出の詰まった帯でひな人形を作って欲しいと送ってきたのです。帯や着物を人形の衣装に作り替えるには、素人には簡単なように見えても、実際には高度な技術が必要らしいのです。このようなリメークを手掛ける職人さんは秋月小寺人形店主の小寺香さんという方です。リメークを手掛けるきっかけになったのは、得意客から「もっといいひな人形はないのか」と聞かれて試しにやってみたら喜ばれたことだそうです。残念なことに今の時代は高価な手作りのひな人形は売れなくなって、職人さんは小寺さん一人だけになってしまったとか。それでも和の伝統を大切にして、手作りにこだわり続ける奮闘ぶりに敬意を表したくなりました。

 最後に静岡県袋井市の禅寺の「可睡斎ひなまつり」の写真を載せておきます。32段に並べられた役1200体のひな人形がみどころで、その目を見張るような光景をいつかは自分の目で見たくなります。今のようなコロナ禍にあっても感染対策を徹底し、こんな時だからこそ目の保養にと開催している、そんな勇気ある企みを感じてしまいました。

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 ▲朝日新聞の夕刊に載っていた「可睡斎ひなまつり」の写真。

 

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