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ミチクサ先生を読んで

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ミチクサ先生を読んでこれまでのイメージが覆されて

 日経新聞に連載されていた伊集院静さんの「ミチクサ先生」が7月22日に終わりました。あまり真面目な読者でなかった私も気が向くとたまに読んでいました。これまで読んだ文献によると、「文豪夏目漱石は英国留学で精神を病み、その留学生活は暗澹たるものだった」と書かれています。でもこの小説では、英語の才能をフルに活用して、英国の舞台を楽しんだり、数多くの博物館、美術館に足を運んだりして留学生活を大いに楽しんでいました。つまり、物事の上っ面しか見ようとしないマスコミによって、間違ったレッテルを貼られてしまったのです。いくら英語の先生をしていたからと言っても、誰もが英語が話せるわけではありません。でも漱石は才能なのか、英語に堪能で、一緒に見に行った留学生の友人が仰天するほど、シェイクスピア作品の舞台のセリフを聞き取ることができました。登場人物が相手をうまく騙そうとする場面では漱石は思わず笑い声をあげてしまいます。隣にいる友人が訳が分からずポカーンとした顔をしているのを見て、「まさか!、君は今のセリフが聞き取れなかったのかい?それはお気の毒だね」と笑い転げたのでした。

 英国留学と聞くと、やはりケンブリッジとかオックスフォードとかで勉強することを想像しますよね。でも実際は授業料が高すぎてどこにも行けないだなんて!日本政府が支給するお金が少なすぎて、大学どころか下宿代にも事欠くのが現実だとは、事実は小説より奇なりですね。最初紹介された下宿先に行ったら、ひと月の金額が国から支給されている金額では手元にほとんど残らないことを知って仰天しました。どうにかそれよりも安い所をなんとか捜し出してようやく落ち着きました。英国は物価高で日本よりも何でも高いことを漱石は嘆いていました。どうやら政府から厚待遇を受けられるのかと思ったら、この体たらくです。日本に居る妻の鏡子さんにせっせとお金の無心の手紙を書かなけれなりませんでした。鏡子さんの父上に援助をお願いするしかありません。政府に文句を言ったところで聞き入れられるはずもありません。それに誰一人として政府に不満を言うなどと言う前例はなかったのでした。それでも漱石は書籍を買い漁り、読書三昧で留学生活を謳歌しました。2年間の留学を終えて船で日本に帰るとき、持ち帰ろうとした膨大な量の書籍の山は人々を驚かせました。

 漱石は英国に留学したから英語が堪能なのではなくて、行く前からすでに天賦の才があったのだとわかって目から鱗でした。また漱石の講義は学生が教室に入れないほど人気がありました。その秘密は妻の鏡子さんから「旦那様も落語をご覧になったらいかがですか」というアドバイスを貰ったからです。講義が面白くないと平気で眠り込んでしまう、全く失礼この上ない学生を何とかせねばと熟慮した結果、落語をまねて彼らを惹きつけようと考えたのでした。学生から大変人気があったにも関わらず、不真面目な学生がいることを考えると漱石の心には何か黒いわだかまりが湧いてしまうのでした。そんなとき、教師を辞めて小説1本でやっていけないものだろうかと思い始めました。

 「吾輩は猫である」が誕生する背景には、ある日どこからか一匹の黒い猫がふらっと漱石の書斎にやって来た事件がありました。猫好きでも何でもなくて、追い払っても出て行こうとしないので、これも何かの縁と運命を感じたのでしょう。「うちに居たいら、好きなだけいればいいよ」。猫を見ていたら、ふとこの猫に何かしゃべらせたらさぞかし面白いのではと思いました。そしたら猫が勝手に物語を紡ぎ出したのです。猫から見た人間の不思議さや愚かさを歯に衣着せぬ言葉で語り、それが読者に受け入れられて好評でした。

 漱石は精力的に執筆活動をするのですが、いつまで経っても借家のままなのには納得いきませんでした。出す小説は何でもよく売れるのに、なぜ未だに漱石庵さえも借家なのか。作者によると、漱石は当時今で言うと月に5千万円はくだらない収入があったそうです。ではいったいなぜ家計はいつも火の車だったのか。これには実は様々な事情があったようで、妻の鏡子さんの浪費癖もそのうちの一つでした。ふ~ん、そんなものなのかと思ってみても釈然としません。身を削って小説を書いていた漱石は愛する子供たち6人を残して49歳で亡くなってしまいます。残された子供たちは大丈夫なのか気がかりでなりませんでしたが、世の中はうまい具合に回るようです。漱石が亡くなると今まで以上に本が、印刷屋が悲鳴をあげるほどに売れ始めたのでした。

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