人生は旅

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手帳の効用

今週のお題「手帳」

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手帳はスケジュール管理だけでなく、忘備録にもなって

 正直に言うと、今週の「手帳」というテーマには少し頭を抱えてしまいました。というのも、私の今の生活では手帳は必要ないからでした。つまりこの先の予定が何も入れられないからで、大抵のことはカレンダーで間に合ってしまうのです。いつも目に付くところにあるカレンダーの余白にちょっと書き込むだけで十分なのでした。積極的に予定を作ろうとはしない限り、手帳が特に必要になることもないからでした。

 ただ、カレンダーは次々と新しいページに変っていくので、後から振り返ったりすることができません。過ぎ去った日々のことは過去の出来事として忘れさられるのです。その点において手帳はあとから「あの時はこんなことがあったんだ」とすっかり忘れていた当時のことを思い出すことができます。その思い出がいいこともあればそうでないこともあるでしょう。時には嫌なことや辛いことを思い出すかもしれません。でも、手帳を買うのが習慣になっている人は自分の生活の軌跡を記録しておきたいのかもしれません。

 私の手帳に対するイメージはあくまでスケジュール管理で、いつどこで誰と会うかとか、あくまでも仕事に必要不可欠なものです。会社員であっても営業の仕事ではない限り手帳はたいして必要ではありません。ところが、手帳を必ず買うという知人は予定のメモだけではなく、忘備録としても使っているのです。少しサイズが大きめのノートのような手帳で、綺麗な花柄がお気に入りのようです。その手帳をいつもバッグの中に入れていて、何かというと取り出して見ています。未来の予定だけでなく、その日にあった出来事をちょっとメモしておくのです。嬉しい事があったときはもちろん、驚きや嘆き、仰天したことなどすべて自分が感じたことを書き留めています。

 こうなるとなんだか日記でも付けた方がいいように思えるのですが、本人に言わせると、日記は文章を書かなければならないので、そうなると続かないのです。余白が少ししかないので、つぶやきでいいし、いつも手元にあるからすぐ書けて都合がいいと言います。日常生活で何か心に感じた瞬間に、思いのままに素直に書けるのが嬉しいのです。後から読み返してみると、ほんの短い言葉なのに、自然と当時のことが蘇ってくるのです。きっと誰に読まれるわけでもないのに、誰かを気にして書くのではないにしても、文章を考えてしまう日記とは根本的なところで明らかに違っています。

 手帳に書く忘備録としてのつぶやきは心の叫びでもあるのです。心の叫びで思い出すのは、叔母の手帳にあったある日の欄の「今日ほど心を動かされたことはない。生きていることは素晴らしい」という言葉でした。実はそれは叔母の告別式で配られた冊子に載っていた生前に使っていた手帳のコピーでした。叔母は8月に亡くなったのですが、義妹がすぐに見つけて、衝撃を受けたのか故人の想いを知って欲しくて載せたのでしょう。叔母がそれほどまでに感動したことが何なのか、あるいは何が起こったのか今ではもう私たちは知ることはできません。でも手帳があったからこそ、よく知っているつもりだった、身近な人の意外な一面を知ることができたのです。

 一方で叔母の立場からしたら、自分の秘密、いわゆるプライバシーが暴露されたようなものです。その点ただのつぶやきですから日記と違ってすべてを晒すわけではないのである意味ミステリーです。読み手がどうとらえるかで、どうにでも解釈できるのですから叔母の名誉は守られます。それにしても当の叔母は自分の手帳が他人に見られて、ただのつぶやきが注目されるなんて夢にも思わなかったのではないでしょうか。叔母の死後こんなにも早く心の変化を察知するなんて、義妹とはさぞかし親密な交流があったとしか思えません。

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