小学生のユニークな発想に目から鱗
昨日の続きで、吹田市立千里第二小学校の5人の生徒さんの「いる?いらない?」に関する意見が大変興味深いので、またそれについて書きたい。内堀まおさんはなんと2円玉があれば、今よりもっと便利になるし、できれば、4円玉、6円玉、8円玉も有ればいいと書いている。その理由は、内堀さんの大好きなうまい棒が12円だから都合がいいからだ。でもそれだけではなく、スーパーなどのレジでお年寄りが会計するときに、何枚も何枚も1円玉を出さなくてもいいからとの配慮からでもある。
内堀さんは自分の思い付きをとてもいいと思っているが、友だちに聞いてみると必要ないと言われてしまった。なぜなら2円で終わるものがあまりないから。別の友だちにも聞いてみたが、「小銭の種類が多くなって、お財布が膨らんでしまうから、大きなお財布を買わなければならなくなる」から要らないと言われてしまった。それでも内堀さんは2円玉は必要だと主張している。
内堀さんのユニークな発想を知ってから、私は今までたいして気にもしなかった小銭というものを初めて意識した。スーパーのレジで財布の小銭をささっと苦も無く取り出せるのは100円、50円、10円、5円、1円と何種類もあるにもかかわらず、それぞれ色や形状が異なっているおかげである。当たり前のことだが、物凄く分かりやすい。私が思うには、内堀さんには大変申し訳ないが、どう考えても2円玉はなくてもいい。そう思う根拠は今のままで十分何事もなく機能しているからで、もしも、これ以上多くの種類の小銭があったとしたら、取り出すときに混乱してしまいかねないからだ。それに今の世の中、高齢者も立派に電子マネーやクレジットカードを使いこなしていて、レジで何枚もの硬貨を出そうとしてもたつく人は見かけない。
小銭で思い出したのは、海外旅行でスーパーなどで買い物をすると、天文学的に多くの種類の硬貨が溜まってしまうことだ。たとえば、ユーロの場合、2ユーロ、1ユーロまではすぐ取り出せて、使いやすい。だが、50セント、20セント、10セント、5セント、2セント、1セントと多くの種類があるおかげで、こちらは混乱してしまう。正直言って50セントは硬貨の縁にギザギザがついているので、解りやすいので私でも使える。あとの硬貨は形の大小はあるにはあるが、どれも同じような赤銅色をしているので識別が難しく、パッと見ただけではわからない。
なので、スーパーや個人の商店では、できるだけ小銭は使わずに大きなお金で払おうとするのだが、ときどき小銭がないか聞かれる時がある。おそらくその方があちらもきりがよくてお釣りが出しやすいのだろう。そんなことを言われてもこちらは財布を覗いたまま、途方に暮れるばかりだ。一体全体、どうやってすべて同じ色をしているセント硬貨の中から探せばいいのか。とっさに「無い」と答えるしかなく、そうなるとたちまち相手は渋い顔して、しょうがないなあと不満な顔をしながらお釣りをくれるのだ。
それで私は自分なりに考えた、一番いいのは小銭を相手に勝手に取って貰えばいいのだと。つまり、お金を札と小銭に分けて、財布を2つ持つようにした。一つの財布にはユーロ札と2ユーロ、1ユーロまでを入れ、もう一つの財布にはセント硬貨のみを入れた。財布と言っても、セント硬貨を入れた財布は100円ショップで売っている透明なビニールのポーチだ。横が20センチ、縦15センチくらいの大きめのポーチなので、外から見ても一目瞭然で、パッと見てお金の種類がわかりやすい。これなら、お店の人に嫌な顔をされることもないだろうと思って、早速試してみた。小銭は無いの?と聞かれたので、すぐさまポーチを差し出したら、予想通りポーチの中から小銭をとってくれたので、とても楽だった。それ以来、ずうっとこの方法で支払いを済ませている。
今まで考えもしなかったが、あんなにセント硬貨の種類が多いのに、混乱せずに支払いができるなんて凄いことだ。これもやはり慣れの問題なのだろうか。いずれにせよ私たち外国人、いや私だけかもしれないが、現地の人に大目に見てもらって、助けてもらっているなあと感じる。
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