人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

オトナになった女子たちへ

ちょっと体重を落とそうと・・・

  先日の益田ミリさんの朝日新聞の連載『オトナになった女子たちへ』は「ちょっと体重を落とそうと、食事量を普段の8割にして・・・」で始まった。なるほど、秋は読書の秋で夜長を楽しむのには最適な季節だが、一方で食欲も旺盛になるから頭が痛い。夏とちがって、洋服で体型は隠せるが、シルエットは嘘をつかない。普段あまりスタイルを気にしないようにしている私でも、自分の目の前を行く人が、細かったり、いい感じの洋服を着ていたりすると「なんてカッコいいんだろう」と思ってしまうのだ。先日もブラウスとロングスカートの若い女性を交差点で見かけて、ついついその人の姿が見えなくなるまで、目で追ってしまった。どうやら後ろ姿に一目ぼれしてしまったようだ。正直言うと、写真に撮りたいような衝動に駆られることもあるが、いやいや、まさかそんなことはできない。自分の目に焼き付けて、それで終わりで、ひとりでほくそ笑んで楽しんでいる。けっしてストーカーなどではないと自負している。

 一瞬でカッコイイと思える対象はやはり背が低くてはダメで、女性なら170cmくらいはなくてはならない。それくらい背があると、今流行りのロング丈のコートやワンピースが似合うから羨ましい。明らかにない物ねだりだが、親しい人にそういう体型の人がいないのだから、余計に憧れてしまうのだ。現実は体重は努力して落とせるかもしれないが、背の低さだけはどうしようもない。しかも当方は若い頃と比べて、背が1cmほど縮んでしまった。こうなると、もう諦めるしかなくて、とりあえず今の自分を維持できればいいかと思っている。今持っている洋服が着られれば良しとすることにした。

 だいたいが、自分の身体が太ったか、痩せたかなんて、毎日の着替えの時にわかってしまう。それに全身を鏡でチェックすれば、一目瞭然なのだ。体重計に乗る必要などないので、それは全く出番がなくなって、洗面台の下で埃を被っている。思えば、昔ダイェットに精を出していた頃、毎日何度も体重計に乗って、表示される数字に馬鹿みたいに一喜一憂していた。信じられないほどに数字に翻弄されていたわけだが、たかが体重、されど体重で、そう簡単に割り切れないのが悩ましいところだ。

 ミリさんの話に戻ると、食べる量を減らしたツケは早くも3日目に出てしまった。お腹がペコペコになって、気分転換に外に出た。空腹でフラフラするので、「やはり、なんか食べよう」となりパン屋で大好きなツナサンドを買い、公園のベンチでコーヒーを飲みながら食べた。こんな時の食べ物は人生において一番美味しいと言っても過言ではない。結局ミリさんは食事制限はやめることにして、「よーく噛んで食べることにした」というのだが、案外これが難しいのだ。ミリさんの試行錯誤はこれからも続きそうな予感がする。

 その後、エッセイの話題はダイエットから、自身の漫画のことに移った。「小説新潮」に連載していた漫画が最終回を迎えたそうで、主人公の名前はツユクサナツコだった。夏になると草むらのあちらこちらに咲いている雑草だが、私はあの紫の可愛い花が結構好きだった。できれば儚(はかな)い名前がいいと植物図鑑で調べたら、朝咲いて昼には萎む夏の花だとわかって、ヒロインの名前に使うことにした。実は私は以前この漫画を読んだことがあった。どこでかというと、それはいつも行くスーパーのコピー機の側にある雑誌コーナーだった。あの頃はまだ雑誌が好きなだけ自由に読めた時代だったので、情報収集も兼ねて立ち読みしていた。偶然ミリさんの名前を見つけて、「あれ、ここにも連載を持っていたのか」と少しびっくりした覚えがある。

 その時の主人公がたしかツユクサナツコで、何とも珍しい名前だった。そのナツコがまた名前の通り、前には出ない、日陰の存在で自分から目立つような行動をしない。お日様はナツコには燦燦と当たらないのかもしれないが、それでもナツコはひっそりと生きていて不幸ではない。ナツコは小さな幸せで十分満足し、欲張ることをしないで淡々と毎日を生きている。私の中ではそんな話だったと記憶している。

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