人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

常に誰かと繋がる

ひとりで自由にやるのが好き、されど・・・

 先日の土曜日に歯医者に行くついでに、知人のササモトさんの家に立ち寄った。しばらく顔を見ていなかったので、どうしているかなあと日頃から思っていた。それに以前私が奢るからと近くにある資料館に併設されているカフェに無理矢理誘ったのに、結局はササモトさんに払わせてしまったからだ。なぜそんなにそのカフェに行くことにこだわったかと言うと、その店に有名な老舗のモナカが置いてあるからだった。そのモナカは何か月先まで予約でいっぱいで、直接買うことは不可能だった。新聞で紹介記事が載っていたこともあり、ついつい気持ちが抑えきれなくなり、ササモトさんを巻き込んだというわけだ。

 ササモトさんはいい人だから、私に付き合ってくれた。おかげで、私は自分の目的を果たすことができた。一方のササモトさんは心中では「何、この人!?」と快く思っていなかったのかもしれない。それでも私が「これがあの有名なモナカなのですよ」と興奮気味に言うと、「これがそうなの!?」と共感するのを忘れなかった。実際のモナカは「これ、ちっちゃい」とため息が出るほどの”小物”で、そのあまりの小ささに仰天した。でも、すぐに気を取り直し、一口でも食べられそうなのに、大事に大事に味わって何口にもわけて食べた。そんな貴重な?体験を共にした相手なので、あのモナカのことを思い出すと、ササモトさんの顔が浮かんでくるのだった。

 彼女は年齢は70代ぐらいで、夫と二人でアパートの1階に暮らしていたのだが、1年ほど前にコロナで夫を亡くしていた。以前は毎日仕事に行っていたが、今はいつも家に居るから、「時間があるときに立ち寄ってね」と言われていた。まあ、社交辞令なのだろうが、こっちは以前の借りがあるので、義理を果たすまでのことだった。家を出る時は気づかなかったが、通りを歩いていたら空腹を感じた。時計を見たら、お昼の12時を回っていた。「失敗したなあ、何か食べてくるべきだった」と後悔したが、ちゃんと遅めのお昼ご飯を食べるには食べたはずなのだが。

 それでもササモトさんの家のベルを鳴らして、彼女の顔を見たときは空腹を忘れていた。突然の来訪に「ごめんなさい、こんな格好で。今起きたばかりなのよ」と明らかに戸惑っている様子だが、顔は笑っていた。「歯医者に行く途中なので、ちょっと寄ってみたのですが」と言いながら、家から持ってきたお茶とお菓子が入ったレジ袋を差し出した。少し立ち話してから帰ろうとすると、「部屋が散らかってるけど、よかったら上がっていきませんか」と誘ってくれるのでお言葉に甘えることにする。

 夫を亡くして、ひとりになってから、好きな時に寝て好きな時に食べる、自由気儘な生活を満喫しているらしい。息子に一緒に住んでくれるように頼まれているのだが、それは断固拒否していた。「とにかく、ひとりで自由が好き」がいつもの口癖だ。そんな彼女も最近少し気になることがあった。それは友だちや息子の家族とラインで繋がることが面倒になってきたのだ。夫を亡くした彼女を誰もが「ひとりだから心配だから」とか言ってメールを送ってくれる。何かあったらいけないからと常に「生きているかどうか」の確認メールを有難いことにくれるのだ。

 例えば、朝は「おはよう」で、こちらも当然「おはよう」と返す。夜は「おやすみなさい」で、また「おやすみなさい」と同じことを繰り返す。これが毎日続くというのだから、私がササモトさんならめんどくさくて嫌になる。想像どおり、彼女も少し息苦しさを感じ始めていて、知らんぷりをしてスマホを見ずに3日ぐらい放って置いた。すると膨大な数のメールが溜まっていたので、腰を抜かしてしまった。「大丈夫?」とか「何かあったの?」だのとの文面に心がざわついた。自分の周りの人たちはどうやら常に、おそらく24時間繋がっていたいらしく、自分にもそうなることを求めているのだった。

 確かにササモトさんはいつも部屋でひとりでいる、でも実際はスマホを通して常に誰かと繋がっている。だから、ひとりでいても孤独を感じることはないのだから、むしろ幸せだと言えるかもしれない。まあ、それも考えようによってだが。しかし、考えてみると、常にメールすることを強要されているようなものなのだから、そうなると自由ではなくなる。生存確認のためには必要と言われても、これでは監視されているのと変わらないのではないか。こんな見方をする私は少しひねくれているかもしれないが、ササモトさんの自由は脅かされていることに変わりはない。

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