人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

アンは私たちの宝物

今週のお題「あったか~い」

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▲南米三大祭りの一つ、インティ・ライミ(太陽の祭り)。NHKまいにちスペイン語テキストから。

最初は戸惑っていたが、いつしか愛情が芽生えて

 NHKで毎週日曜日の11時から放送されているドラマ「アンという名の少女」を見ています。主人公の孤児アンが貰われてきたのはもう若くはないマシューとマリラが暮らすカスバート家でした。彼らは自然が豊かで美しいプリンスエドワードのアヴォンリーに住んでいました。実の兄妹で家の事情で結婚をすることもなく、今は二人で暮らしていて、ちょうど牧場の手伝いをする男の子が欲しかったのです。ところが、何かの手違いでアンが来てしまって、頑固で怖そうなマリラに拒絶されて追い返されてしまうのです。でもマシューはおしゃべりがいつまで続くかわからない風変わりな女の子に同情して家に置いてあげることにしました。そしたら、信じられないことに彼らの判で押したような無味乾燥な生活が、アンのおかげで次第に輝きを放ち始めるのです。アンというユニークで新しい風がカスバート家に吹き荒れて、彼らの生活に彩りを、潤いをもたらしたのです。

 マリラは「私のことをお母さんとは呼ばないでマリラでいいわ」と言うのですが、いつしか母親としての自覚が芽生え始めるのです。昔の言葉でいえば、オールドミスで結婚をしたこともないマリラが、親としてちゃんとしなきゃと固く誓うのですから、視聴者は驚くしかありません。母親としてあの子を守らなきゃと次々とトラブルに見舞われるアンを心配して、右往左往する姿にもびっくりします。そもそも孤児院から子供を貰うことに決めたのは、その子が自分たちの生活に役立つと考えたからです。マシューひとりで担っている牧場の仕事や農作業を手伝ってくれたならどんなに助かるだろう。でも実際来たのは何の役にも立ちそうもない、やせっぽちでやたらにしゃべる煩い女の子。孤児院に返されるとわかったとき、その子は絶望したような顔でマリラを見つめました。可哀そうだからしぶしぶ受け入れたのです。その時はこの女の子がどんなに自分たちに生きる希望を与えてくれて、家 族というものの素晴らしさを味合わせてくれるのか想像もできなかったのです。

 カスバート家の兄妹はいつしかアンの幸せだけを願うようになりました。アンが喜んでいる時は自分たちも嬉しい、でもアンが泣いている時は自分たちも辛くて、どうにかしてやれないものかとやきもきするのです。昔ながらの古い考え方で凝り固まっているか見えるマリラがアンの未来を応援してこう言います、「あなたは自分の好きな道を進みなさい。誰が何と言おうと気にすることないのよ」。この言葉によってアンの迷いや不安が消えると同時に、マリラの自分への愛情を実感することができました。アンはまだ若く、これから輝かしい未来が待っているのです、それにアンはカスバート家にとっての希望の光なのですから。

 アンの通っている学校に新しい教師がやってきました。その先生は女性でしかも今までの教え方とは全く異なるやり方で生徒たちを教えようとしました。新任の女教師の斬新な教え方は生徒にはとても好評でしたが、変化を嫌う親たちには不評で理解不能でした。親たちは子供にとって害になると決めつけて、新任の教師をやめさせようと教会で集会を開きました。ほとんどの住民が教師を追放することに賛成する中で、真っ先に声をあげたのは、なんとあの普段は寡黙でおとなしいマシューでした。「変化は決して悪い事ではないと思います」。

 すると隣に座っていたマリラまでもが「私はずうっと変化しないまま生きてきた人間です。でも今は時代が違います。子供たちが変化を望むのなら、私たちは受け入れるべきではないですか」。そう言い終えるとそこへ突然生徒たちが乱入してきたのです。もちん愛すべき先生がやめるのを止めるためです。ひと騒動あった後で一件落着となったわけですが、私が言いたいのは、マシューとマリラに起こった変化のことです。どちらかというと、目立つこともなく村でひっそりと暮らしていた兄妹がこんなにも勇敢になれるなんて信じられません。きっとアンを守りたい一心での行動なのでしょう。タイトルの「アンは私たちの宝物」は知り合いの女性が赤ん坊を抱きながら「この子は私の宝物」と言ったとき、マリラがすぐに応じて口にした言葉です。

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