人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

悩ましい贅肉

今週のお題「肉」

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グラナダにある新王宮「カール5世宮」の外観。NHKまいにちスペイン語テキストから。

お腹一杯になって思うことは、不経済な身体が欲しい!

 9月に入って急に涼しくなったので、いったいあの夏はどこに行ったのかと戸惑いを隠せませんでした。でも、今また残暑が押し寄せてきたのに、盛り上がった食欲は衰えを知りません。食べ物が美味しくなくて食べられなかった猛暑の時期が嘘のように、今は食欲がみなぎっています。食欲の秋が今年もやって来たのです。朝からもりもりご飯を食べ、卵焼きを食べ、納豆ご飯も食べて、これで動物性と植物性のたんぱく質が両方取れました。たんぱく質は筋肉の元になる栄養素で、食べるだけではダメで、運動しないと筋肉は作れないのだと何かの本で読みました。だから私としてはできるだけ肉を食べたいのですが、やはり気になるのは自分の身体のお肉のことです。

 若い頃太っていて、シュークリーム10個をペロリと平らげてしまった私も今はとてもそんな暴挙はしたいとも思いません。それに想像するだけで気持ちが悪くなってしまいます。今は標準体重をなんとか維持できているので、食べたい物を我慢してまで痩せたくないと思っていました。食べる楽しみがない人生なんて味気ない。体重を気にして生きるなんて冗談じゃない、と楽観していたのでした。それに忙しくして常に動き回っていたので、体重を気にすることなく過ごしていたのです。でもコロナが流行って自粛生活になると、体力の衰えと共に身体の贅肉が気になるようになりました。早朝の散歩だけじゃ足りないのです。以前と比べて行動範囲が明らかに狭まってしまったのが原因でした。家の中で運動をと心がけても、筋トレぐらいしかできません。それもだいだいいつも3日坊主ですぐ忘れてしまいます。まあ、この問題は生きてる限り永遠の課題ですね。食べても食べても肉が付かない不経済な身体が欲しい!と叫びたくなってしまいます。

 ダイエットで思い出すのはうちの二番目の姉のことです。姉は綺麗好きで、自分の部屋はもちろん自分の顔や洋服に至ってもキレイであることを追求しました。子供の私が見ても化粧は完璧だったし、着るものにもこだわっていつもおしゃれなスーツ姿でした。最近実家に行ったら、偶然に昔の姉の写真が出てきて懐かしくなりました。見ると、まるでお見合い写真のように緊張した顔つきの姉が写っていました。NTTの関連会社に勤めていて、和裁、洋裁、編み物と何でもできる器用な姉でした。そんな姉でもどうにもならなかったは贅肉のことでした。自分で服を作って着るのですが、鏡に映った姿を見るといまいちパアッとしないわけです。もっと細ければ見映えが良くてカッコいいのにとため息をついていました。それでも姉は自分なりに努力はしていて、食べる量を減らし過ぎて倒れて、家族にダイエットを止められたこともありました。

 姉は結局痩せられなかったのですが、縁あって太めの男性と結婚しました。その後実家に遊びに来た姉は嬉しそうに家族の前でこう言いました。「料理に砂糖を使わないでいたら、5キロも瘦せたのよ」。達成感で満足している姉の身体をチラッと見たら、水を差すようで悪いのですが、たいしてどこも変わらないようでした。この時点では姉のダイエットは成功とは言えませんでした。ところが時が流れて久しぶりに会ってみると、嘘のようにスマートな身体になっていたので仰天しました。あの熊のような食欲はもうないようで、お行儀のよい普通のおばさんになっていたのです。「やっと痩せられてよかったね!」と思わず口に出してしまいました。すると姉は「もっと若いうちなら、思いっきりおしゃれできるのにね」と少し残念そうなのです。姉が言いたいのは、足を思いっきり出してミニスカートを穿いたり、流行のファッションに身を包むには若さが必要だということです。もうおしゃれを楽しむには自分は歳をとりすぎてしまったと思っているのです。それに今はおしゃれにさほど関心が無いのです。きっと一番おしゃれをしたいときにできなかったこと、その時期を逃してしまったことを悔やんでいるのです。おしゃれは若さではないと思うのですが、やはり若さは眩しくて貴重なのです。

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