人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

芸術肌の友との出会い

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 初対面で「お金貸して」に仰天して

 東京に住むことになったとき、故郷の友達が心配して自分の知り合いを紹介してくれました。それが、当時デザイン研究所に通って美術を勉強していた妙ちゃんという20台半ばの女性でした。妙ちゃんは昼間は銀座にある千疋屋でアルバイトをしていました。彼女の仕事の休憩時間に会うことにして、店に訪ねて行きました。テーブルに座って待っていたら、ショートカットの小柄な女性が近づいてきました。人なっこい笑顔で「○○さん?」と私の名前を呼びました。初対面にしては馴れ馴れしい態度に少し戸惑っていると、あちらはお構いなしに友達のことを話し始めました。それで私も気を取り直して、彼女がどういう人なのか知ろうとしたのです。

 妙ちゃんは伊勢神宮のある三重県の出身で、東京の芸大に入って絵を勉強するのが夢でした。何度か受験したのですが、どうしても学科試験で落ちてしまうのでした。それでも絵に関わる仕事がしたくて、アルバイトをしながら勉強を続けていたのです。でも私が出会った頃の彼女は芸大に入ることを心のどこかで諦めていたような気がしました。当時の彼女は家族に上京することを反対されていたのですが、2年という期限付きなら許すと父親は条件を付けたのでした。でも結局2年たっても彼女は家に帰りませんでした。様々なアルバイトで生活費を稼ぎながら東京で生活していたのです。

 そんなとき美術の専門学校で知り合った友達から私のことを聞いたのでした。気さくで話しやすい彼女と意気投合した私たちはそれから互いのアパートを行き来して付き合うようになりました。私は今まで絵を描いているような人達とは付き合ったことがなかったせいか、正直言って興味津々でした。でも彼女が初対面の私に「お金、貸してくれない?」と気軽に言ったときは仰天しました。たしか「2千円貸してくれない?すぐ返すから」とそう彼女は言いました。知らない人だけど、まあ2千円ぐらいならいいか、とそう思いました。断るという選択肢などなくて、面白い人だなあと言うのが本音でした。芸術家というのは普通の人と違って、飛んでる人が多いと聞いていたので、彼女もそのうちのひとりかと私は認識してしまったのです。後日、当時のことを聞いてみたら、あの時はちょうどお金がなくて、そんなつもりはなかったのに、ついつい「お金貸して?」と口から出てしまったとか。私なら、この人なら断られることはないと見抜いていたのだろうか、いずれにしろ今となっては笑い話でしかありません。

 千疋屋はアルバイトにも特典があって、パフェが従業員割引で食べられると喜んでいました。それから、場所が日比谷高校に近いので、そこの女子学生もアルバイトに来ているのだと聞いたこともあります。そんな彼女がある日、新しいアルバイトを見つけてきました。それは、なんと24時間保育園での子供の世話をする仕事でした。俄かには信じられずに「ねえ、保育士の資格持ってたっけ?」と聞かずにはいられません。すると、学生の頃に保育士の講座を受講したことがあるそうで、それを履歴書に書いてアピールしたら、採用になったのです。そこでの仕事は夜勤もあって、夕方からは保育園に泊る子供の身体を洗ったり、食事の世話で忙しくなります。子供によっては親の都合で何日も預けっぱなしになっている子もいました。働きながら子供を育てることの大変さを痛感し、それでも子供のことを思うと複雑な思いが頭から離れません。

 絵を描くのが得意なので、部屋に貼る動物のイラストを描いていたら、ある一人の保護者から声をかけられました。その女性はイラストレーターで会社も経営している人でした。「よかったら、一緒に仕事しない?」と誘われて、任された仕事はイラスト関連ではなくて総菜屋?でした。知り合いが市場で人に任せてやっていたのですが、ちょうど人が辞めて困っていました。それで、「とりあえず、やってみないか?」と口説かれて始めることにしました。なんでも面白がる性格もあってか、誰かに使われるのではない、自分ひとりでできる仕事なのが気に入りました。その女性と付き合ううちにやがて彼女が十分信頼に値する人物であることもわかってきました。一見関係ない場所での出会いだと思われたのに、後から考えてみたら、明らかに縁がある出会いだったのです。幸運にも、その出会いをきっかけにして妙ちゃんは自分が本来やりたかった絵の仕事をすることになったのでした。

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