人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

叔母の白く光る骨

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▲展望台に立つと上下左右ぐるりと滝に囲まれる圧巻の風景が堪能できるイグアスの滝NHKまいにちスペイン語6月号から

叔母の骨はまるで主張するように存在感があって

 叔母の葬儀に行ったら、向こうの家族の孫娘から「祖母は人に尽くした人でした」と言われました。たぶん、地元で民生委員を何年も務めたからでしょう。彼女は今24歳で児童養護施設に勤めているそうです。大学の時たまたま障害者福祉を学んでいたこともあって叔母の仕事に興味を持ったのでした。その彼女は火葬場の焼き場で「申し出がなければ私が火を入れるスイッチを押させていただきます」という係員の言葉に反応しました。家族の誰もが同意しかけたのに、予想外にそれを遮って「私がやります」と主張しました。思えば彼女は故人との最後の別れの時に棺の中に何かを入れたいと係員にお願いしていました。それが何だったかよく聞こえなかったのですが、「それは遠慮して欲しい」とあえなく却下されたのでした。

 ホテルのような待合室で待っていたら、「用意ができました」と係員が知らせに来ました。焼き場に行くと叔母が骨になって戻ってきました。係員は慣れているのか事務的に説明を始めました。「まず下の方から行きますと、これが大腿骨で...」と話し始めるので、親族が取り囲む中後ろの方に居た私は何とかしてそちらの方を見ようとしました。そしたら、隙間越しではあるのですが、太くて白い立派な骨があるのが見えたのです。ええ~?まさか!と思い、確かめるようにもう一度見ると嘘のように足元まで完全な形で残っていたのでした。ここまで綺麗な骨を今まで見たことがなかったので仰天しました。思わず声をあげそうになったのですが、誰ひとり私と同じ思いの人はいないようでした。それで心の中で叫んだだけで、すぐに言葉を飲み込んだのです。

 それにしても「これが本当に85歳の女性の骨なのか!」と衝撃を受けてしまいました。あばら骨はないものの、上腕骨も顔面もきれいに骨が残っています。一瞬、頭の中に浮かんできたのは遠い昔の小学校の理科準備室にあった人体の骸骨の模型でした。係員がほぼ完ぺきに形がある喉元から小さな白い球を箸でつまみだしました。それは喉ぼとけで木箱に収められました。それから骨拾いをするのですが、その前に係員が「大きな骨はそのままでは骨壺にははいりません。なので、箸で少し力を入れて押して砕いてから入れてください」と注文を付けました。このときの骨拾いは従来の2人で一つの骨を挟むやり方ではなく、ひとつの箸でひとりで拾うやり方でした。なぜなら箸はひとつは木で、もう一つは竹で出来ているのでなんら問題がないのです。

 さて、やっと私の順番になって、叔母が骨になったのをまじまじと眺めることができました。でもふと我に帰って、「骨を拾わなきゃ!」と思って下半身の方に目をやりました。そこにあったのは太くて、長くて、白く光った骨で、到底箸でつまめるような、拾えるようなそんなサイズではありませんでした。つまり誰ひとり太い骨を砕いてまでして骨壺に入れた人はいなかったのでした。係員の言うことをまともに、あるいは鵜呑みにして実行に移した人は皆無でした。拾える骨はないかと目で捜したのですが、側には見当たりません。それで仕方なく視線を上半身に移すとありました、本来あるべき小さな骨がいくつも。そのうちの小さな骨の一つをつまんで骨壺に入れました。拾う骨が見つからなくて困ったのは初めての経験でした。

 私には叔母の骨が死んでからも自己主張しているとしか思えないのです。年齢の割にしっかりとした立派な骨、それは生きていた時の叔母の姿そのものでした。乳白色の骨は今まで見たこともないほど綺麗でした。これまで見て来た、母や父や兄の骨はボロボロで、以前あったであろう形をとどめてはいなかったからです。それは病気のせいだとばかり思っていました。叔母の立派な骨を見ていたら、ふと仕事で男並みに汗して働いていた若い頃を思い出してしまいました。風邪ひとつ引かず、頑丈な身体で懸命に自分の会社のために邁進していた叔母、もしかしたら、あの頃から美しい骨は作られていたかもと想像したくなりました。

 それから冒頭に書いた孫娘の彼女についてですが、意外なことに骨拾いには参加しませんでした。骨拾いを終えてドアが開いた時、突然現れたのでびっくりしてしまいました。彼女には彼女なりの事情があったのでしょうが、なかなか謎に包まれた興味深い人だと思ったのです。

 

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