人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

コロナで法事が延期に

気が進まなかったが、まさかの延期に

 お盆に田舎に行こうとしていた。義姉のミチコさんが飼っている犬一匹と猫2匹に会えるのを楽しみにしていた。だが、一方ではあまり気が進まない用事もあった。それは親戚の法事で叔母の一周忌だった。以前の話では私は来なくていいことになっていたのに、突然従妹がそれではやっぱり母が寂しいからとかなんとか言って、急遽私も出席することになった。正直言って、甚だ迷惑だったが、呼ばれたのだから行くしかない。それで、実家に送る荷物の中に、黒のスーツと靴を「こんなのかさ張るなあ」と思いながら入れた。

 昨日、ミチコさんから電話があったので、なんだろう?と思った。特に用事がなければ電話はして来ない人だから。話を聞いて仰天した。家を継いでいる叔母の長男がコロナに感染した。法事は中止かと思ったら、ひとまず延期で今月の28日に延期になったと言う。ミチコさんに言わせると、こんな時期だから、そんなに無理をしてまでやらなくてもいいのにと言うのが正直な感想だ。ミチコさんからの電話で、コロナがジワジワと身近に迫って来たと感じた。と同時に、もはやインフルエンザ並みの扱いになってきた感は否めない。以前はコロナの名前を口に出すのも憚られたが、今は躊躇なく、堂々と言えるようになってきた。先日治療に行った歯科医院でも、コロナに感染済みの先生と患者さんが「夫が陽性になったんですけど、私は陰性で・・・」などと世間話をしていた。その様子を遠くから見ていた私は、時代は確実に変わってきていると実感した。

 皆が皆コロナに感染すれば、以前のように感染者を白い目で見て差別するだなんてことはあり得ない。なんだか信じられないような話だが、今の世の中ではそれが現実だ。コロナ禍になってもう3年目なのだから、人々の意識も変わり始めているのだろう。かくいう私も、以前のようには毎日の感染者数に関心がないと言うか、もはや頭の片すみにないのが正直なところだ。今もマスクは手放せないし、店に入る前は消毒も忘れないが、最近は人込みを避けることを強く意識しなくなった。変な話だが、もう疲れてしまったのか、あるいは慣れ切ってしまったのか、甚だ警戒心というものが薄れてきている。

 先日、普段はあまり行かないスーパーに行って仰天した。レジで会計して、さて帰りましょうと思ったら、すぐ傍で購入したお惣菜や弁当を食べている家族連れを目撃したからだ。もはや絶滅したかと思われたイートインスペースが設けられていた。もちろん、アクリル板で席は仕切られてはいるが、ほとんどの席は使用中だった。まさに”あの時代よもう一度”で、気軽に利用できる、便利な空間が復活したのだ。すぐ側には買った商品を温めるための電子レンジがずらっと並んでいた。よく見てみると、そこのスーパーは、その場所を通らないと出口に行けないのだとわかった。私は眼前のあり得ない状況に戸惑いながらも、こうやって少しずつ以前の状態に戻っていくのかもと思わずにはいられない。

 さて、田舎の法事の話に戻ると、ミチコさんは高齢者でありながら、まだ一度もコロナのワクチンを打っていない。だからと言ってミチコさんが家を一歩も出ないかと言うと否で、車でしょっちゅうあちらこちらと出歩いている行動派である。なぜ素直に保健所や政府の言うことを聞いて、ワクチンを打たないのかと疑問に思う。でもミチコさんには今まで生きて来た自信というものがあるらしい。大した病気もせず、インフルエンザにも一度もかかったことがないミチコさんにしてみれば、”コロナになんてなりっこない”のである。皆がすることだから大丈夫だとか、打たないよりも打った方が安心だなんていう常識はミチコさんには通用しない。だから、私はミチコさんの意志を尊重して、口が裂けても「コロナのワクチンを打ったほうがいいよ」だなんてことは言えない。

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