人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

叔母の娘からのメール

叔母の遺品を送られて、どうしたらいいのか

 叔母の一周忌が延期になったことは既述したが、昨日叔母の娘からメールが届いた。その内容は私の分の法事の引き出物をもう頼んでしまっていたので、宅急便で送るとのことだった。正直言って、そんな気遣いは無用だと思ったが、「ついでに母の遺品の洋服も同封しました」には仰天した。叔母が亡くなって早いものでもう1年経ったのだと感慨深いものがある。だが、今更形見分けと言われても、こちらとしては当惑するばかりだ。「洋服の好みは人それぞれで、御迷惑かもしれませんが、どうかお納めください」と断ってはあるが、受け取らざるを得ない。

 さて、困った。何に困ったかと言うと、洋服の取り扱いについてだ。叔母の遺品なのだから、本当なら自分が着てあげるのが一番いいのだが、一体どんな洋服なのか楽しみでもあり、恐ろしくもある。もし、それらを、いやそれをどうしても身につけることに躊躇するなら、押し入れに入れて一生大事に守っていかなければならなくなる。断捨離の原理から言えば、着ない洋服は捨てなさいとなるのだが、叔母の遺品なのだから、さすがにそれは気が引ける。

 となると、邪魔になるからとか、死んだ人から自由になりたいと思ったとしてもそんな勝手?は許されないことになる。何かを捨てることはそれを目の前から消すことでああり、何かに対するこだわりから解放されることだ。近々叔母の娘からの荷物が届くはずだが、叔母の遺品の洋服がどんなものであれ、とりあえず保管しておくつもりだ。それもできるだけ見えないところに隠しておきたい。物がなくてもいつも叔母のことを考えてしまうので、遠く離れて暮らしているせいか亡くなった実感がない。ただ、電話もメールもできないので、喧嘩しているわけでもないのに音信不通状態のようなものだ。

 物を捨てることはこの世からそれがなくなることではないと最近つくづく思う。中国ドラマを見ていると、証拠隠滅のためによく手紙を焼く場面が出てくるが、灰になってこそこの世から消えるのだ。捨てるよりもはるかに賢いやり方だ。以前、俳句をやっている知人に聞いた話だが、その人は一年の終りには必ず古い手紙を庭で焼くのだという。だから、家に過去の手紙がごっそり溜っているというような事態にはならないのだ。どうやら過去に執着するのは潔くないらしい。

 メールの話には続きがあって、それは自分と義姉のミチコさんと私の3人?で旅行に行きましょうというお誘いだった。この文面には正直戸惑いしかなかった。私たちそんな旅行に行くほど親しかったっけ?と不思議に思った。そりゃ、親戚なのだから知らない仲ではない、確かに小さい頃は一緒に遊んで楽しかったが、小学生になると相手にもしてくれなかったではないか。彼女の弟と私が番犬だったシェパードのベルと遊んでいる時も遠目で見ているだけだった。決して私たちのしている無邪気な遊びに加わらなかったのに。あの日は日曜日でピアノの発表会で、彼女は真っ白なフリルがいっぱいついた高そうなワンピースを着ていた。側には一緒に行くはずの友だち2,3人の姿もあって楽しそうだった。私の中の記憶はあの場面で途切れていて、それからは叔母の話から想像するのみだった。

 叔母の夢をかなえるために音大に入り、そこで知り合ったコントラバス奏者と結婚した。何でも話し合って理解し合い、うまく行くと思われた結婚生活もどういうわけか破綻した。叔母の話によると、「夫の実家に行くと私は孤独で、話し相手は○○ちゃん(親戚の子供)だけなの」といつも嘆いていたそうだ。結婚は当人同士だけのものではないとよく言われるが、彼女の苦悩は彼女しか分からない。

 メールの文面から覗えるのは、彼女はたぶん自分で何でも仕切るタイプの人なのかもしれないということだ。旅行については「もちろんコロナが少し収まってからですが」と書かれていたが、当面のところはありそうもない。それでこちらも「コロナが落ち着いたら何処かに行きましょう」と友好的に返事をしておいた。

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