人生は旅

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息子に鬼と言われた叔母

今週のお題「鬼」

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工場をやめると決めた叔母は「鬼」?

 正直言って、この「鬼」というお題にはお手上げだった。なぜなら去年の今頃も同じお題だったので、もうネタが尽きてしまったせいだ。思えばあの頃は鬼の出て来る小説もいい機会だと前向きにとらえて、買って読んでみた。そうしたら意外と面白くて嵌ってしまったこともあった。さすがにもうネタはすれっからしになっていると諦めていたのに、先日の朝布団の中でふと叔母の言葉が蘇ってきた。それは「お母さんは鬼だ!と息子に言われちゃったのよ」だった。人間のことを鬼に例えるのは普通は血も涙もない冷血人間のことだ。人間なら大切にすべき情を捨てて、利を取る人のことを世間ではそう言う。でも決して叔母が鬼のような性格なのではなくて、そうならざるを得ない状況に追い込まれたのだ。「仕方がなかった。経営者なら誰でもそうする決断だった」と当時を振り返っていた。

 去年の8月に叔母は食道がんで亡くなってしまったが、若い頃は夫と一緒に合板会社をやっていた。カラーボックスの板を機械で削り、製品にして送り出す仕事だった。小さな工場ではあっても、夫婦二人だけでは手が足りないので、近所の人を3人ほど雇っていた。私も高校の時、夏休みにアルバイトに行って手伝ったことがある。父親が家でグタグタして過ごす娘に辟易していたらしく、強制的に行かされた。たとえ親戚のところであっても、働くことは娘にとっていい社会勉強になると判断したらしい。でも当の娘は遊び半分でいい加減に仕事を、というか雑用を手抜きでやっていただけだった。仕事が終わると、どこまでも続く草原のような田園地帯を犬と一緒に駆け巡っていた。小学6年生の従妹に「あんたはいったい何しに来たの?」ときつい言葉を浴びせられた。だから相当にひどかったのだと思うのだが、周りの大人たちには「一生懸命やってくれて、ありがとうね」などと言われていた。その点で子供の目にはいつだって真実が見えているし、評価が厳しい。

 叔母の家の息子は家業の跡継ぎとしては優しすぎる性格だった。どちらかと言うと、長女の方が夫に似て、性格はきついがしっかり者だ。叔母はいつも嘆いていた「あの子はお父さんに似てきつい」と。叔母にとっては夫は経営者としては合格かも知れないが、夫としては不満だらけだった。ましてや自分の娘が夫とそっくりな性格だったとしたら、これはもう逃げだしたくなる。一緒に居ても心が休まることがないからだ。一方の長男は小さい時から父親が苦労する姿や、やっと事業が軌道に乗って今は順調に行っている過程をつぶさに見てきた。だから当然父親を尊敬しているのかと思っていた。でも現実は違った、彼は「お父さんのようにはなりたくない」のだった。

 そんな父親が嫌いな息子も東京の大学を卒業すると故郷に帰って稼業を手伝った。工場の経理は叔母が一手に引き受けていて、少し余裕ができて海外旅行にも夫婦で行けるようになった。ところが、ある日夫がガンになってあっけなく亡くなってしまった。夫亡き後も工場は続けていたのだが、経理をやっている叔母はあることに気が付いた。それはどう見ても帳簿上で支出が収入を上回ってしまうことだった。儲けが無いのに、赤字なのに、このまま工場を続けてどうするのか。続ける意味がないなら、いっそ工場を畳んでしまった方が損失が少なくて済む。ここで、工場をやめて自分たちの生活はどうするのかという疑問が残る。でも叔母はそんな心配はいらなかった。先祖代々の広大な土地があって、倉庫に貸し出して家賃収入もあったからだ。それに親戚に医者がいるので、建物をクリニックとして使っていたからだ。都会でいうテナント収入もあったので、工場を閉めることに葛藤はなかった。

 それで、叔母は息子に「工場をやめようと思う。今いる人には辞めてもらう」と切り出した。すると息子は「そんなこと言ったって、あの人たちはどうするの?そんな話を突然言われて、生活があるのに困ってしまうでしょう。お母さんは鬼だ!」と叔母を責めた。それでも叔母はあの判断は間違ってはいなかったと涼しい顔をしていたのを今でも覚えている。

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