人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

トイレが使えない

今週のお題「人生最大のピンチ」

バスルームを共同で使うのは、想像以上に大変

 人生においてピンチはつきものだが、それなりに対処するのが生きるということでもある。人生最大のピンチとはいかないまでも、あるべきところにトイレがない、あるいはあっても使えないと言うのは実に辛いことだ。生理的欲求がらみのピンチは後から思いだすと、笑い飛ばしてしまいそうになるが、その渦中にいる当人にとっては切実な問題だ。私の場合は事前の準備を怠ったために、物事をたいして深く考えなかったために自らピンチを招いたと言える。

 もう10年以上も前の話だが、まだインターネットがこんなに発達していなかった頃、モスクワにあるホテルを予約した。サイトで予約しただけなので、「受け付けました」との自動配信の返事が来た。本来は予約の確認をするべきなのにも関わらず、気楽に大丈夫だろうと考えてそのままにしておいた。今ならトラブルの元なので予約確認書は必須なのだが、当時はそんな知識は持っていなかった。もちろん自分としてはちゃんと予約したつもりなのだが、現地に行ったら、ありえないことになっていた。予約はされていないと言われたので、万事休すだ。だが、幸運なことにロシア人の寛容さに救われて、その晩の宿泊先は何とかなった。「もし、あなたがここでよかったら、泊まってもいいですよ」と紙に書いて説明してくれたのは、バスルームが共同の部屋だった。部屋が二つあって、その真ん中にバスルームがあるので、ドアに付いている閂をかけて誰も入れないようにして使う。

 地獄で女神に出会ったかのように感じていた私はこの際なんでもいいと、この提案を受け入れた。この部屋には4泊したが、最初の2日間は快適だった。バスルームを我が物顔に使いたい放題していたが、3日目から様子が違ってきた。部屋のベッドで横になっていたら、何やら隣から男女の楽しそうな話し声が聞こえた。どうやら隣人が来たようで、その日から私の平安な日々に大きな変化をもたらした。隣が煩い云々よりも、何よりバスルームが一番の問題だった。風呂とトイレが同じ部屋にある状況があんなにも煩わしく、呪いたくなるほどの嫌悪感を抱いてしまうことに我ながら驚く。

 トイレに行きたいのに、塞がっていたら使えなくて我慢するしか選択肢がなかった。時間にするとざあっと1時間ほどで、シャワーを浴びて、身体を拭くのにかかる時間としては普通だ。バスルームに人がいるかどうかはなんとなく気配でわかるのだが、一度だけ開けてしまったことがある。あちらが閂をかけ忘れたのが悪いのだが、床に女性のサンダルが転がっているのをはっきり見た記憶がある。こちらは気づかれないようにそっと扉を閉める。まかり間違えば、鉢合わせという状況もあり得るが、さすがにそれはなかった。

 泊まるところがないピンチの渦中でのピンチなので、何とか耐えられたと思う。最初からわかっていたら、バスルームが共同の部屋には間違っても泊まらない。後日談だが、ホテルをチェツクアウトするときにフロントの脇にトイレがあるのを見つけた。ああ、そうか緊急の時はそこを利用すればよかったのかと気づいたが、時すでに遅しだった。これまでトイレに行けるのは当然とばかり思っていたが、行きたいときにいつでもトイレに行ける自由が何だかありがたく思えて来る。

 先にバスルームが共同の部屋には間違っても泊まらないと書いたが、泊まったことがあったことを思いだした。現地に行って、部屋に案内されて初めて知って仰天した。だが、そこはスロバキアの”東ヨーロッパのアルプス”と呼ばれている山中なので無理もない。郷に入っては郷に従えとすぐに諦めた。そして、想像力の無い私はそこでも、別のトイレを捜すという考えなど一切思いつかず、トイレに翻弄された。

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