人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

私は本をストッカー

今週のお題「わたしは○○ナー」

趣味は積ん読で、せっせと本をストックする人

 先日の新聞の夕刊に載っていた漫画は、夜が長い秋にふさわしい読書がテーマだった。初老の夫婦の妻の方が夫に「たまには本を買って読もうかしら」と言うと、「婆さんが読書とはめずらしいね」と驚く。すぐに気が付いて、そうか、「読書週間だから、本に接するいい機会だね」と納得すると、「おじいさんも好きな本買って読んだら」と勧められる。すると、夫は「いつも本屋に行ってるから、別に今でなくてもいい。ワシはよく書店に立ち寄って本を買ってるから」と宣うのだが、実は「読んでないだけ」だったという笑うに笑えない落ちが付いた。夫は普段から本をストックする人だったのだ。

 そう言えば、私も胸に手を当ててよく考えてみると、似たようなことをやっている。ずうっと前に書店で、ベストセラーになっている成田悠輔さんの『22世紀の民主主義』を勢いで買ってしまった。理由はただ単に面白そうだったからで、中身を確かめればいいものをその手間をパスしてしまった。成田さんのことは新聞の「それでも親子」というインタビュー記事で初めて知った。その後、林修先生の番組での対談を見て、なんてユニークな人だと目から鱗だった。先の新聞の記事で、父親が働かない人で、しかも失踪したのだと知って仰天した。それなのに、成田さんは返ってそれでよかったと思っていて、”反面教師”で自分にとって戒めになったと話していた。成田さんの凄いところは、劣悪な家庭環境でも、麻布中学麻布高校から東大へとエリートとしての進路を確実に歩んできたことだ。鋼のメンタルの持ち主とお見受けする。そんな成田さんの書いた本だから、自然と手に取って、レジに向かった。

  だが、その後がイケない。家に帰ると、ポイッと部屋に置いたっきり忘れている。寝る前に「そう言えば・・・」と一応ペラペラと捲ってみるが、中身の難しいワードに眩暈がして中断する。正直言って、難解な経済の専門用語がありすぎて、何のことやら理解不能でお蔵入りになった。

 それでも、以前よりはずうっと衝動買いをしなくなった。新聞の新刊の広告を見て、なんだか良さそうだと思うと中身を確かめずに買っていた頃よりは、慎重に時間をかけて選ぶようになった。興味を引かれた本を少しのつもりで立ち読み、あるいは座り読みをしてそのまま一気に読んでしまったこともある。となると、もう買わなくてもいいのだが、不思議なことに物凄い集中力でもって本を読んでいたことに我ながら驚く。タダだからなのか、それとも本の内容に惹かれるのかは定かではないが、書店での集中力は並ではない。その集中力を家でも発揮できれば、積ん読なんて言う状況はありえないのだが、いつでも読めるからと安心してしまうのだ。どうやら本を買って自分の物にした瞬間、本に対する興味の熱量のレベルが一段階ダウンするようだ、少なくとも私の場合は。

 子供の頃、歩いて30分以上ある町の本屋で雑誌のりぼんを買ってきた。家に着いた途端、待ちきれず付録の袋を開けたときのあのドキドキ感が懐かしい。大人になって、だいぶ心が擦れっからしになったのか、買ってきた本をむさぼり読むということがまずない。自分のお眼鏡にかなった本なのに、書店では気に入っていたはずなのに、なぜか家に帰ると興味が目の前にあることに移って、悲しいことにその存在を忘れてしまうのだ。そんな訳で、私の部屋には買い主に忘れ去られた本がうずたかく積まれている。本たちはたいてい書店の無味乾燥なカバーが掛けられているので、もっともそれは私が申し出てそうなったのだが、彼らは何も話しかけてはこない。もしも、カバーが掛かっていないとしたら、おそらく本のタイトルが押し寄せる波のごとく私に何かを訴えてくると思う。

 以前何を思いついたか、カバーを全部取り去ったことがあって、そうしたら大変だった、やたら煩くて。堪らず、急いでカバーを掛け直して、ほっと一息ついた。見えないことで心の平安が保たれるのだと気付いた。

mikonacolon