人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

私の本棚が訴えてくる

今週のお題「本棚の中身」

本棚の中の本はカバーが掛かったままだったが

 私の本棚をじっくり眺めたことなどこれまでなかった。とりあえずの本の置き場所で、読んでしまった本の収納場所として使っていた。だから本はすべて書店のカバーがかけられたままで、そうでなければ、自分で何かの包装紙をカバー代わりにしていた。先日そのカバーをすべて外してみたら、あろうことか、本の背表紙にあるタイトルが気になってしようがない。本のタイトルが「私を手に取って!」とでも言うように訴えかけて来た。正直言って、こちらも「今はそんな気分じゃない」とか「今はちょっとだめだなあ」とか思っているのに、煩いほど私の神経を刺激してくるのだった。題名をチラッと見た瞬間、その本を買った日のことや、その時の状況を思い出してしまうのだ。いとも簡単に時空を飛び越えて、本にまつわる過去へと引き戻されてしまうわけで、楽しいのか迷惑なのか、訳が分からない。

 考えてみれば、過去に読んだ本のことなどすっかり忘れていた。いや、最後まで読んだかどうか定かでないものまである。だいたいが、本というものは使命感に駆られて、強制されて読むものでないから、退屈したら、嫌気が刺したら、途中でやめていいのだと思う。書き手が心を込めて苦労して書いたのだから、読まなきゃなどという義務感は必要ない。ただ、この先何か面白いことがある予感がする場合は、少し退屈でもこれからの展開が気になって仕方がないので、我慢して読み進める。でも結局は残念なことに私の予感は外れることが多い。理想を言えば、せめて最初の一行、いや、一ページでもいいから、読者を惹きつけて欲しいものだ。

 最近書店に本を捜しに行って気づいたことがある。一度目はあいにくの雨模様だったから、店内はガラガラで人がほとんどいないのは仕方がない。でも二度目はちょうど昼休みで、いつもなら店内は立ち読みをしている人でいっぱいで、レジにもちらほら並んでいる人がいるはずだ。なのに、辺りに目をやると、驚くほど人がいない。お目当ての本を手にしている私の耳元に、店員の「じゃあ、伝票整理でもしようか」などという声が聞こえて来た。会計しようとレジに行くと、そこには退屈して死にそうだと言わんばかりの店員が待っていた。500円玉ばかりで支払う私を少し訝るような目で見てきたが、こちらはお構いなしで、ちっとも気にならない。

 この書店については他にも気になることがあった。それはトイレについてで、以前はここのトイレは私にとって他のどこよりも”くつろげる空間”だった。何よりも清潔で利用しやすい、いわゆる穴場だった。だが、最近ある種独特の匂いがすることに気が付いた。その匂いは掃除の仕方に問題があることは明らかだ。たぶん掃除の回数を減らしているわけで、これも経費節減と言えるのだろう。

 本棚の中身の話に戻ると、私に誘惑の視線を送ってきた本は、芥川賞作家の砂川文次さんの「ブラックボックス」、井上荒野さんの「あちらにいる鬼」、アルボムッレ・スマナサーラさんの「怒らないこと」、イギリスの文化人類学者が書いた「ランニング王国を生きる」等々で、自分で言うのもなんだが、選書にポリシーと言うものが全くない。本屋に新聞の広告で見つけた本を買いに行って、その本をパラッと立ち読みして満足し、全く別の本を買ってきてしまうことも多々ある。本屋の入口にある”話題の本コーナー”を素通りするなんてことはできないので、しばしそこで時間を忘れて読書に浸る。そう言えば、そうやって買う気になったのが、「怒らないこと」だったのを思い出した。著者によると、人は怒るという行為でどれだけ損をしているかをもっと知るべきだそうだ。怒ることは精神的にも、肉体的にも害を及ぼすことで、百害あって一利なしだと指摘している。では、怒らない秘訣はあるのかと言うと、そんなものはないらしい。どうやら人は一生怒りをコントロールして生きていくしかないようだ。

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