人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

吉野家で「ツケにして」!?

認知症と思しき兄の問題行動に困惑して

 以前ブログで、叔母が義姉のミチコさんに突然電話をしてきて困らせたことを書いた。去年亡くなった自分の姉である叔母とミチコさんと私の4人でかつてはお正月を楽しく過ごしたこともあった。それなのに、いつしか「あなたに迷惑をかけるからやめておく」とミチコさんの申し出を断るようになった。送り迎えはするから何も心配いらないとミチコさんが再三説得したにもかかわらず、付き合うことを頑なに拒否していた。実の娘と孫と一緒に住んではいても、実際は家の中で孤立していることは分かっていた。だからこそミチコさんはこのままでは認知症になってしまうのではと心配していたのだ。

 ただ、おかしなことにミチコさんが電話をすると、とりとめもないことをしゃべり続けて、なかなか自分からは電話を切ろうとはしない。延々と同じことばかり言うので、ミチコさんは正直それを聞くのが嫌になるのだが、だからと言って無下にすることもできない。相手が誰かと話をしたい、自分の話を聞いてもらいたいと思っている以上、「もういい加減にして」などというのは甚だ良心が痛むのだ。特に誰かにとって”都合のいい女”と自他共に認めるミチコさんだからこそなのだった。

 そんなミチコさんでも「悪いけど、これ以上喋っても埒が明かない」のでという気持ちから、「もう切るね」と叔母に断ってからようやく電話を切るのだった。考えてみると、人とは付き合いたくないけれど、自分の話は聞いて欲しいというなんだかわけのわからない状況だった。だから、ミチコさんはこちらから電話をしない限り、もう叔母と関わることはないだろうと内心思っていた。こちらが誘っても叔母が断るのがわかっていたので、電話できないでいるのが本当のところだった。それが先日の突然の電話で、静かに縁を切ることがいかに難しいかを思い知らされた。

 叔母はミチコさんに面倒を掛けたくないと言ったはず、なのに実際はミチコさんの心を大いに揺さぶった。これも認知症が引き起こした行動なのだろうか。叔母が自分からミチコさんに電話を掛けてくるなんて、滅多にないことだった。つまり、誰かに助けを求める差し迫った事態が叔母の身に起こったらしい。それが郵便局に関する書類のことで、ハンコが押せないだのなんだのと言った不可解な話だった。だが、なぜ一緒に住んでいる娘に相談しないのか、その辺のところがわからない。あくまで私の想像だが、娘は叔母にとって何でも話せる相手ではないのだろうか。こう言っては何なのだが、むしろ他人の方が気軽に話しやすいのだろうか。まあ、他人と言っても、自分の弟や親戚なのだが。それでも昔は仲が良かったが、今は疎遠になっている弟のことが頭に浮かぶとは実に不思議だ。ひょっとして叔母は頭の中で現在と過去の空間を行き来しているのだろうか。

 実はミチコさんの三番目の兄も最近なんだか様子がおかしいので、周りは困っているという。兄弟3人で車の修理と販売を行う会社をやっているのだが、社長であるその兄が問題行動を起こして、家族と周囲を慌てさせていた。現在会社は長男と一緒に住むために改築中なので、兄はひとりでアパートに住んでいた。以前もポケットに入れたはずのカギがないだのと周囲を困惑させたが、今度はどこでも「ツケにして」と言ってしまうらしい。例えば、あの牛丼の吉野家でも、コンビニの支払いの時も店員さんに「ツケにして」と言ったきりお金を払わずに出てきてしまうのだ。考えても見て欲しい、そのフレーズを言われた店員さんは何のことだかわからず目が点になるに決まっている。一瞬、もしかしたら、目の前にいるこの老人は頭がおかしいのではと疑ってかかるのが普通だ。

 コンビニでは二度ほど警察に通報され、出入り禁止を言い渡されてしまった。かと言って、現在どこも悪いところはないし、自由に出歩ける人をどうしたらいいのか。迷惑だからと言って家に閉じ込めておくわけにもいかない。私はミチコさんからこの話を聞いて、正直こんなこともあるのかと目から鱗だった。「ツケにして」はきっと昔よく使っていた馴染みのある言葉なのだろうが、今となっては絶滅危惧種の部類に入る。おそらくミチコさんの兄は頭の中で過去のある時期を生きているのだろう。以前読んだ『認知症の世界』という本で読んだことがあった。

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