人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

叔母のガン宣告に動揺して落涙

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何気ないメールの返事に仰天して

 昨日の朝何気なくスマホを見たら、田舎に住む84歳の叔母からメッセージが届いていました。前夜に送った、「ワクチンもう打ったの?」のメールの返信だと思いました。そしたら、その文面は「今病院に入院してる。でもコロナ禍だから誰にも会えない」でした。あの元気でビンビンしている叔母と病院はどう考えても結びつきません。頭の中を疑問が駆け巡り、いったい何がどうなっているのか見当もつきません。こんな時はすぐに真相解明するしかないと実家に電話をかけました。でも兄が亡くなって一人で住んでいる義姉は「何も聞いていない」と言うのでした。それで、叔母の息子に直接聞いてみるしかないので電話をするしかありません。叔母は息子夫婦とは別に離れに住んでいて、夕食だけは共にする生活をしていました。離れと言っても、亡くなった夫と一緒に経営していた会社の事務所の2階です。外階段を昇らなければならないので、高齢者にとっては苦行なのではと思っていました。ところが叔母はたいして気にもせず、トントンと昇っていきます。私が「ねえ、雨が降ったら大変じゃない?」と指摘すると、「雨が降ったら傘を差せばいいじゃない」と相手にされませんでした。

 そんな叔母にいったい何が起こったのか。叔母の息子に電話をしてすべてを知りました。彼の話によると、叔母は5月に入ってから食が細くなりました。いつも食欲旺盛なのに何か変だとすぐに気が付いて、親戚がやっているクリニックで診てもらいました。血液検査に異常もなくて、そこでは異常なしと言われたのですが、食欲は戻らないままでした。まるでダイエットをしている人みたいに叔母はやせ細っていきました。そこで、家から遠くにある都心の病院で診てもらうことにして、3日間検査入院しました。その結果、叔母の病気は食道がんだとわかったのですが、ガンが散らばっているために手術は無理なのでした。医者から自分の病気を知らされて、本人はさぞかし落胆しているかと思ったら、叔母は物凄く冷静に受け止めていました。まるで他人ごとのように納得して頷いていました。どうやら、薄々気が付いていたようで、もう自分なりに覚悟はできているのでした。

 普通の人間のようにメソメソやウジウジはなく、カラッと乾いて、サバサバしているのでした。思えば、叔母は「お金もあって、ひとりで自由にできて、80過ぎまで生きられて幸せ」と私に言ったことがありました。だから「もうやりたいことはすべてやってしまったから思い残すことはない」と言いながらも、それでも「できることならあと一回くらいは旅行に行きたい」と望んでいたのでした。そのためにはワクチン接種は必須事項です。だから、早くどうしても早くワクチンが打ちたいと切望していたのです。コロナでいくつかの趣味の集まりが中止になっていたのが、再開されて「嬉しい」と喜んでいました。楽しくやっているとばかり思っていた矢先にガン宣告を聞いてしまいました。

 以前、台湾への旅行を計画していた時に、叔母から「ごめん、行けなくなった」と突然電話がかかってきたことがありました。あと1週間で出発だというのに、親戚の80歳の女性が食道がんだと診断されて、入院してしまったからでした。その人がこの先どうなるかもわからない、もしかしたら自分が旅行中に亡くなってしまうしまうかもしれません。そうなったら、周りが自分のことを非難するのではと恐れたのです。ところが、高齢だから手術は無理だと言われた女性は名医のおかげで生き延びました。このままでは死を待つだけと誰もが諦めていたのに、幸運にも手術が可能になったのでした。叔母が命が危ないばかり思っていた人は、ぴんぴんして病院から帰宅しました。その時叔母は「人間というのは、そんなに簡単に死ねないものらしい」と悟ったのでした。人間はしぶとく、しつこいくらいに生きるということにしがみつく生き物なのでした。

 現在の叔母は、放射線治療をするために6月に入ってから2か月の予定で病院に入院しています。幸い経過は順調で元気に過ごしているようですが、食欲は戻らないままです。点滴で栄養を補っているのが現状のようです。そんな叔母に私は「退院したら、お盆に会おうね」とメッセージを送りました。そしたら、すぐに「楽しみにしてるね」とピースサイン付きの返事が返ってきました。

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