人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

サボるで思いだすこと

今週のお題「サボる」

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▲スペインのバルセロナにあるカタルーニャ音楽堂NHKまいにちスペイン語テキストから。

子供の頃学校をサボりたいと思ったのは

 先日はスーパーの帰り道でセミの死骸を3つも見つけました。まだこんなに暑いのに「もう夏の終わりか!」と季節の移り変わりに戸惑いました。そして、今朝道行く私を遮って飛んでいたのは、なんと2匹のシオカラトンボでした。どうやら自然界は暦通りに進んでいるようです。思えば子供の頃はトンボを捕まえるのが楽しくて仕方ありませんでした。あの頃、小学生だった頃、「サボる」と言えば掃除当番ぐらいなものでした。でも弱虫で小心者の私はサボるなんてことは考えもしませんでした。でも、学校に行きたくない、つまり「学校をサボりたい」と思ったことはありました。それはクラスの目立ちたがり屋の男の子にいじめられるからでした。いじめられると言っても今の学校で問題になっているような常軌を逸するようなひどいものではありません。

 自分がダメなところをからかわれたりするだけですが、それが子供心に嫌でたまらなかったのです。学校に行くのが嫌でいつまでも布団から出ないでいると、母が心配して理由を聞きました。具合が悪いだのなんだのと誤魔化すのですが、それも通用しなくなると、結局学校での出来事を話すしかありませんでした。すると母は「一緒に行ってあげるから、学校に行こう」と私を説得しにかかりました。そう言われると私も嫌々ではありますが学校に行かざるを得なくなりました。学校に着くと母はすぐに私を連れて教室に乗り込みました。世の中の順番から言えば、普通は先生にお願いして、先生からいじめている子に話をして貰うのですが、母のやり方は違いました。

 教室に入ると母は私に、「いじめているのはどの子?」と聞きました。まだ授業前で皆は自由な時間を過ごしていて教室はざわざわしています。その中に窓際で友達と何やら楽し気にふざけ合っている男の子がいました。その子が私の悩みの種でした。「あの子だよ」と指さして母に教えました。すると母はその子にどんどん近づいていって、面と向かって、「うちの子をいじめているのはあなたね。いじめないでくれる?」と頼んだのでした。その子の顔は見る見るうちに泣きそうな顔になりました。きっと悪気などなく、ただからかって遊んでいただけなのに、大人から注意されて怖くなったのでしょう。それ以来その子は私に何もしなくなりました。母のしたことは子供のけんかに親がしゃしゃり出ることで、最もしてはいけないことでした。

 それにしても当時はあれで済んでしまうのですから、なんとのどかな時代だったのかと今では思います。周りには明るくて親切で思いやりのある模範的な子など一人もいませんでした。誰もが自分勝手で少し意地悪で、でもちゃんと調和がとれていて、それなりに上手くやれていたのです。先生から期待されていた学級委員の女の子はいつも一人でいてどこか寂しそうでした。勉強も運動もできて皆から羨ましがられていたはずなのになぜなのか、当時はそんな感想を抱いていました。

 学校をサボるというと、NHKの海外ドラマの「アンという名の少女」を思い出します。アンは新しい学校で自分が奇妙な目でしか見られなくて、到底そこでは自分が受け入れられないと思い知ります。それで家人を心配させないようにと、学校に行くふりをすることにしました。彼女は毎日何をしていたかというと、森に行って本を読んで自由に過ごし、お弁当を食べて家に帰ってきたのでした。もちろん学校からの知らせですぐにバレてしまうのですが、そのおかげでアンの悩みを家人が理解してくれました。ただの同居人から家族になれるきっかけにもなったし、何よりもアンが見かけよりも思慮深い賢い子供だとわかったのでした。「サボる」ことはそう悪い事でもなさそうです。サボることが思いがけない幸運をもたらすことにもなるのでした。

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