人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

子供の頃、風邪をひいた時の思い出

今週のお題「花粉」

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子供の頃は咳が出る体質で

 昨日のテレビのニュースによると、桜の開花は来週末だそうです。どうりで目のかゆみに加えて、最近は鼻が気になりだしたわけです。ついつい鼻を触ってしまって、当然マスクをかけるとむず痒さに我慢ならなくなるのですが、人目もあるので外ではじっと耐えます。思えば、子供の頃は花粉症とか、アレルギーとかいう言葉はありませんでした。ただ、お医者さんはよく「体質」という言葉を口にしました。私は子供の頃はよく風邪をひき、鼻水が出ると必ず咳が出て、その咳もなかな止まりませんでした。熱が出ることはめったになかったのですが、いわゆる病弱な子供でした。風邪をひくと父がバイクで村の医院に連れて行ってくれるのですが、そこの先生が眼鏡をかけている怖い?先生でした。怖いと言っても、叱られるわけではなく、医者という威厳に満ちた先生の態度が怖そうに感じられただけなのです。昔は子供相手だからといって医者は笑顔など振りまいてはくれないのです。

 それで、なるべくならその先生に会いたくはないので、父に駄々をこねて行くのを嫌がりました。すると父は帰りに何か買ってあげるからと私に約束したのです。何でも自分の好きなお菓子を買ってもらえるのですから、それならまあいいかと思ったのでしょう。素直にいうことを聞いて、はるか向こうに見える小学校の校舎の先にある、内科の医院までバイクに乗せてもらいます。ニコリともしない先生の診察が終わると、お待ちかねのお楽しみタイムがやってきました。帰り道にある雑貨屋でお気に入りのお菓子を買ってもらったら、医院での緊張などすぐに吹っ飛んでしまいました。田舎の雑貨屋というのはなんでも売っていて、生鮮食料品とクスリ以外ならそこで間に合ってしまうのでとても便利な店でした。今ならコンビニに相当するといっていいのか、でもコンビニにおいてあるのは雑貨屋にある商品のほんの一部に過ぎません。バケツ、ほうきはもとより、靴や衣類まで揃っているのですから雲泥の差があります。

 その雑貨屋の数軒先には村で唯一の薬局がありました。そこの家の息子は同級生でとてもフレンドリーで気さくな子でした。私たちはときどき話をする程度で、そんなに親しくはありませんでした。ある時、彼が「お前、昨日、俺んちの店先でお母さんとなんかやってただろう」とからかってきました。確かにその日は母と薬局でクスリを買って店をでて、すこし話をしていたのです。つまり彼は私たち母子の様子を二階の窓からじっと観察していたようなのです。そう言われたら、何も世間に恥じることなど無いのに恥ずかしくなってしまった覚えがあります。他人に見られていたというだけで、自分の無防備な姿を見られてしまったことを後悔したのでした。

 彼に関するエピソードはまだほかにもあります。彼と友達と私の3人で話をしていたら、ひょんなことで彼の家に遊びに行くことになったのです。そんな話になっても友達と私は冗談のつもりで全く行く気はありませんでした。今度の日曜日に待ってるからと本気で言われても、気にもしませんでした。ところが月曜日に朝学校で会ったら、「どうして昨日は来なかったんだ」と残念そうに言うのです。決して本気で怒っているわけではないのです。「お義母さんがいろいろ料理を作って、お前らを待っていてくれたんだぞ」。そう言えば、彼の実母は小学校1年生の時に亡くなっていて、その後、彼の父は再婚したのでした。つまり彼は新しいお母さんに気を使っているのでした。すぐに、いつも薬局でお客さんと応対している彼の義母のことが思い浮かびました。「しまった!」とその時は思いましたが、ドタキャンしたことで彼に恨まれることもありませんでした。幸運にも何事もなく過ぎ去ったのです。

 大人になった今、彼の義母の気持ちを考えてみたら、やっぱり複雑です。たかが、子供の言うことに振り回されたものの、まさか本気で怒るのも大人げないではありませんか。でも少しはイラついたでしょう、当たり前です。それにあの事件で彼は自分への義母の信用を無くしたかもしれない、などと考えたら、今晩眠れそうもないので、この話はもう蒸し返すのはやめにします。

mikonacolon