人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

中国語と向き合う時間を増やす

今週のお題「今月の目標」

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▲トレードにあるサン・ファン・デ・ロス・レージェス修道院NHKまいにちスペイン語テキストから。

立派な目標など持たないで、「楽しく」を心がける

 正直言って、「今月の目標」と言われても困ってしまうのですが、ひとつあげるとすればそれは中国語のことです。いつも見ている中華ドラマで中国語のセリフが少しでもわかるとなんだか胸がざわつくのです。「聞いてわかったらどんなに楽しいだろなぁ」などと夢のようなことをふと思ってしまうのです。まあ、いつだってその思いはすぐに消えてしまうのですが。その理由は同じような音の聞き取りが全くできない、それはもちろん勉強不足のせいなのはわかっていますが、始める前からもう半ば諦めているのです。それならいっそ開き直って、完璧を10とすれば、1でも2でもいいからと中途半端を目指すことにしました。つまり、「楽しい」を優先することにしたのです。ここでの「楽しい」は全く分からないゼロよりは少しでもわかった方が喜びを感じられるという意味です。完璧を目指したら意志が弱い自分には苦しいだけなのが過去の経験でわかっているからでもあります。

 今まで聞いていた楽しいNHK中国語講座の放送が終わってしまったので、と言っても、実際には再放送が始まったのですが。それに新企画として、毎週金曜日はお悩み相談と称するコーナーが始まりました。復習のつもりで再放送を聞いてもいいのですが、私は気分転換したいので過去のNHKの「おもてなしの中国語」を復習することにしました。ICレコーダーでマイクロSDに録って置いた講座をBGMのように流して、気になるところはテキストを開いて確認しています。牛のような、亀のようにのろい歩みなのですが、これが今の私の中国語勉強法です。敢えて小さな目標をあげるなら、どれでもいい、ひとつでもいいので15分の講座の内容が聞いてわかるようになることです。もしそうなればきっと前よりも楽しくなるはずです。

 中国語との最初の出会いは中華ドラマとばかり思っていましたが、実際には十数年前にすでに中国人との出会いはありました。それはロシアに旅した時に乗った夜行寝台の車内でした。サンクトペテルブルクからモスクワまでが4千円しない、一番安い 3等車の開放寝台の席でした。友だちと私が席について発車するのを待っていると、後から乗り込んで来たのは若い男性二人で、後から考えると青年というより少年といった方がいいかもしれません。最初は彼らが中国人だとはわからなくて、ロシア人だとばかり思っていました。車掌さんが切符の確認に来た時、彼らに何か質問をしました。彼らは言われていることがわからないのか、何なのかそれに答えようとはしません。彼らが答えないので、車掌さんはまた別の質問をしましたが、彼らは黙ったままです。彼らが切符を持っているので問題ないと判断したのか、車掌さんは諦めて立ち去りました。

 車掌さんと彼らとのやり取りをつぶさに見ていた私は、「この二人はいったいどういう人たちなの?」と困惑するばかりでした。でもこれから彼らと朝まで8時間も一緒にいなければならないのです。そう思って彼らと向かい合っていると、彼らの内のひとりが窓側についている小さなテーブルに指で何か文字を書きました。私たちを指さして、「日本」という漢字を書いたのです。自然と私たちが頷くと、今度は自分たちのことを指で指しました。そして次に書いたのは「中国」という文字でした。それで彼らが中国人だということがわかったのです。どうやら彼らは私たちとなんとかして会話をしようとしているのでした。それが私たちが彼らの言葉である中国語がわからないからなのか、あるいはもしかして口が聞けないからなのか。それを確かめたくても、その頃の中国人に対するイメージは最低最悪で、できれば関わりたくないのが本音でした。

 そんなことを考えていたら、車内のあちこちで寝る支度が始まりました。畳んであるベッドを上にあげて、布団を敷きシーツや毛布を準備して寝られるようにするのです。私は両手を合わせて、頬の横に当てて、彼らに「もう寝ましょう」の合図を送りました。その時のことを思いだすと、せめて漢字で文が書けたなら、もっと語り合えたのにと残念でならないのです。聞き取ることはできなくても、せめて簡単な文が書けたなら、筆談でも成り立つのが中国語の利点だと思うのです。

 朝の5時にモスクワに着いて長い地下通路を抜けたら、やっと地上に出ました。スターリン建築の建物が遠くにあるのに気づいて、モスクワに来たことを実感しました。すると、近くで躍り上がらんばかりに喜んでいる若者の姿が見えました。朝の清々しい空気を吸って、解放感に浸っている姿にしばし見とれました。でもよく見ると、それはあの筆談を仕掛けてきた彼だったのです。

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