人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

子供にもっと思いやりを

今週のお題「あったか~い」

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子供は教師の励ましが嬉しいものだから

 先日、新聞を読んでいたら、ある1通の70代の女性の投書に仰天してしまいました。小学3年のお孫さんの算数のノートを何気なく見たときの驚きと嘆きが書いてありました。小学生が使うノートといったら、私などは表紙に植物や動物などの写真が載っているジャポニカ学習張を思い浮かべてしまいます。子供の頃、自分もクラスの周りの友だちも皆そのノートを使っていたので当然のように感じるのです。ところがその女性が目にしたのは、「問題の番号、解答欄、計算場所などが全て指定席のように作られている」至れり尽くせりのノートだったのです。教材会社が作ったノートらしく、価格も普通のノートの倍です。「教師がノートの使いかたを教えれば、自然と身について行くはずなのに」と嘆いておられるのです。

 こんなふうにノートの書き方までお膳立てされてしまったら、「学習への意欲や関心、創造性が育まれるぐのだろうか」と子供の将来を危惧せずにはいられないのです。「教材会社も生き残りをかけた工夫なのだろう」と納得しながらも、子供のことを考えると正しい判断とは思えないのです。子供は楽ちんな方を、安易な方を求めるものですが、だからこそ教師の導きが必要なのです。それなのに、ある日お孫さんの持ち帰った図工の作品を何気なく見たら、「みました」のハンコがただ押されているだけでした。子供がその子なりに一生懸命作ったであろう作品の評価がハンコだけとは!「みました」のハンコに違和感を隠せませんでした。せめて、ちゃんとした子供が読んで嬉しいと感じる、励みになるようなことが書けないものだろうか。

 「色がきれいですね」とか「ていねいにぬれたね」とかの短い言葉でいいからハンコに付け加えて欲しかったのです。つまりそれを見て、子供がどう思うかを考えて欲しかったのです。子供は大人が思っている以上に感覚機能が敏感です。先生も大勢の子供を相手にして大変でしょうが、どんなに子供が先生の言葉を嬉しがるか、ほんの少し認めてもらえただけで励みになるかを想像してみて欲しいのです。自分の子供の頃を思い出すと、思うようにうまくできなくて、できれば見たくもない作品を返されたときもありました。でも、嫌々ながらも見てみたら、思ってもみなかったところを先生に褒められて嬉しかったことがあります。先生は自分をちゃんと見てくれているのだとわかったのです。たぶん、先生は日頃から培われた観察眼で持って、私の作品の良い所を捜し出したのです。上手でなくても、器用でなくても、どんな子供にも褒めるべきところはちゃんとあるはずです。だから投書の女性は、「もっと子供に寄り添い、気持ちを尊重して欲しいと思う」のです。

 教材会社が作ったノートで思い出したのは、中学生の頃、いいえ小学5年か6年生ぐらいからあったでしょうか、教科書ガイドと呼ばれるアンチョコのことです。算数とか数学の教科書にある問題の答えを親切にも教えてくれるのです。お金さえ出せば、いとも容易にわかるので、無理やり無い頭と無駄な時間を使わなくてもいいわけです。当時で1500円くらいしたでしょう、本屋に行きさえすれば簡単に手に入るので、親にねだって買ってもらいました。親も勉強に役立つならと、よく考えもせずにお金を子供に渡したものです。ところが、なんでもお金で解決できると思ったら大間違いでした。教科書ガイドというのは、残念ながら答えは載っているのですが、”解き方”はそう簡単には教えてくれないのです。つまりそこに書かれている”解き方”はサラッとした、簡単なもので、読者からしたら解き方の詳しい解説が欲しいくらいでした。

 要するに、一番知りたい、美味しいところは教えてはくれないのです。そこのところは「自分でよく考えろ」と言いたいのです。そこを教えてしまったら、何も考えないだろうという趣旨が見え見えなのです。ではなぜそれを百も承知で、教科書ガイドを買うのかというと、それは苦労することなく答えが知りたいからでした。当時は席順で授業の時に当てられることになっていて、その時に答えられないと惨めなことになるからでした。だから解き方云々よりも、まずは答えありきなのでした。今から考えると、浅はかでなんだか可笑しなことをしていたものです。

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