人生は旅

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とり肉は不思議

今週のお題「肉」

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▲彫刻家出身のシロエーによるブルゴス大聖堂の黄金の階段。NHKまいにちスペイン語テキストから。

とり肉は美味しく変化する

 新聞のテレビ欄を何気なしに見ていたら、「トリニクって何の肉?」というフレーズが気になりました。これはいったいどういう意味なのだろうと一瞬不思議に思ったのですが、ページを捲っていたらすぐに忘れてしまいました。思えば、子供の頃は家にニワトリがいて、たしか2羽くらいいたと思うのですが毎日のように卵を産んでくれました。産んだばかりの卵を見つけるのが楽しくて、毎朝早起きしたものです。今でも私の記憶に残っているのは一羽のブチのニワトリのことです。当時うちの姉が嫁いでいたのはヒヨコ孵化場をやっている家で、その関係でニワトリは家に連れて来られたのです。そのニワトリは狭い小屋に閉じ込められている鳥たちの目の前で、自由に庭を闊歩していました。何やら地面を嘴で突いてミミズを捜したりして、傍目にはのどかな光景に見えました。私もたまにニワトリを追っかけて、からかったりしていましたがすぐに興味を失いました。その時の私はそのニワトリに対して何の感情も抱いていなかったのです。ニワトリは確かに生きていて、自分の目の前をウロウロするのですが、それは居ないのと同じでした。

 ある日、学校から帰ると、庭にブチのニワトリの姿がありません。その日の夕飯のおかずはとり肉の煮物でした。ようやくニワトリが消えた理由がわかってきました。あのニワトリはとり肉になって、姿を変えて私の目の前にいたのでした。卵を産めないニワトリは肉になって人間の役に立つしかないのだと知りました。突然目の前にいたニワトリが肉になっても何の感慨も湧いてきませんでした。要するにそれが普通、当たり前のことで、目の前をウロウロして放っておかれているニワトリはペットではないからです。

 大人になって都会に来てよく思ったのは、子供の頃食べたとり肉とちょっと味が違うのではないかということでした。それでも居酒屋に飲みに行くようになると、焼き鳥や鳥刺しが大好きになりました。店に行って席に着くと、とりあえずは生ビールと焼き鳥を注文します。焼き鳥と言えば、日本だけの物と思ったら、ヘルシンキの空港に焼き鳥のスタンドがあったのには仰天しました。見ると、カウンターの席には大勢の人がいて、ビールを飲みながら美味しそうに焼き鳥を頬張っています。辺りには焼き鳥を焼いている煙も漂っていたのでした。メニューには焼き鳥、シシカバブ、シシャリクなどと書いてあり、日本の焼き鳥だけでなく好きなものを選べるようになっています。日本の焼き鳥も有名になったなあと喜んでいたら、しばらくして次に行ってみたら残念なことにもうなくなっていました。

 それから鳥刺しについては衝撃を受けました。最初は見るからに気持ち悪くて、とり肉を生で食べるなんてありえないと拒絶していました。魚の刺身は生で食べるのに、ニワトリの肉を生で食べるなんてまる動物?みたいに思えたからでした。でも周りの「絶対美味しいから食べて見なよ」という声に背中を押されて、嫌々ながら口に入れてみると、意外にもこれが美味しい!のでした。これが本当にとり肉なの?と思うくらいツルツルで柔らかくて、後引く味わいの鳥刺しに病みつきになってしまいました。気持ち悪そうという先入観はたちまちのうちに吹っ飛んで、こんなに美味しい食べ物が世の中にあったのかと思うくらい感激したのでした。そう言えば、もう何年も鳥刺しを食べていないことに今気づいてしまいました。

 とり肉で忘れてならないのは、名古屋コーチンの美味しさです。以前から世間でも「名古屋コーチンは美味しい!」と言われていましたが、実際には食べる機会がありませんでした。それが従妹の結婚式で東京に行った時に、ある居酒屋で二次会をすることになりました。そこが偶然にも名古屋コーチンの専門店で、鳥の唐揚げや鍋などのすべての料理で美味しいとり肉を堪能することができました。いつも食べているとり肉との違いは歴然で、肉そのものに味があって思わず、「美味しい!」という言葉が口から飛び出していました。大人も子供も皆感激してお替りをしました。最初はこんな狭い席に押し込められて嫌だなあ、早く帰りたいとさえ思っていたのです。それなのに皆そんなことなどケロリと忘れて、おしゃべりに花が咲き、飲み明かしたのでした。

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