人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

炊き込みご飯

家では食べたことがない、ピラフのような味

  炊き込みご飯の日は唯一給食で食パンではなくお米が食べられた。こう書いて、ふと思った。あれ?そう言えばカレーライスもあったのではと。確かにカレーもあったが、あれは自分の家でも食べられたので、当時の私の心には強いインパクトを与えてはいないようだ。それで急に思い出した、いつも母にカレー粉をもっと多めにして、給食のカレーのようにドロッとしたのにしてと頼んだ記憶がある。なぜなら母は毎度毎度、今でいうスープカレーのようなカレーを作ってしまうからだ。あれでは、カレーじゃなくてカレースープだと子供心に思っていた。お皿に盛ったご飯にカレーをかけると、普通のカレーならご飯が見えなくなる。だが、母が作るカレーはシャビシャビで薄いので、ご飯の顔が透き通って見えてしまう。あれが子供心に嫌だったが、最後まで母は普通のカレーが作れなかった。どろどろのカレーを望んだのに、どうしてもスープカレーになってしまうので、仕方がないと諦めた。今から思うと、大好きな母だから許せたのだ。

 給食の炊き込みご飯がなぜ好きだったかと言うと、普段あまり食べたことがない味だったからだ。あれは今でいうピラフで、洋風炊き込みご飯のようなものだ。もちろん和風の炊き込みご飯はいつも食べていたが、あの給食のピラフは食べ慣れた醤油味でもなく、どう表現していいか分からない未知の味がした。細かく切った玉ねぎ、ピーマン、人参、とり肉、ハムなどが彩りよく入っていた。あれはコンソメ味なのだろうか、見た目も綺麗で、とにかく美味しかった。給食はパンなのだともう諦めてはいるが、たまにご飯が食べられることが嬉しかった。考えてみると、ご飯はそれなりに労力と手間がかかり、パンの方が簡単で楽でいいのだ。だからこそ、給食にたまにご飯が出ることは子供にとっては楽しみのひとつだった。

 今から思うと、給食のピラフは某有名食品会社の冷凍食品のピラフとそっくりだ。でも中に入っている具とかが同じだけで、給食室のあの大きなお釜で焚き上げるのだから、比べ物にはならないのは確かだ。恐ろしく大きな鍋で大量に作るから、あんなに美味しくできるのかもしれない。不思議なことに、あのピラフを母に作ってとお願いした記憶はない。たぶん、どうやったらあんなに美味しく作れるのか、わからなかったせいだ。母に作り方を説明できないので、「作って!」とは頼めなかったらしい。

 子供の頃住んでいた村ではご近所同士助け合うのが当たり前だった。だから葬式や婦人会の行事ではいつも炊き込みご飯と煮しめが振る舞われた。炊き込みご飯は和風で中に入っているのは畑で採れたゴボウ、人参などの野菜とシイタケぐらいで、特別なものは何も入っていない。豚肉や鶏肉などの肉類が一切入っていないのに、しっかりとだしが取れていい味だしていた。近所のおばさんたちの手がまるで美味しいご飯を作る魔法の手のように感じられた。私の祖母が亡くなったときは、隣の家が朝ごはんの会場になった。葬式の日の朝起きてきたら、母が「早く隣に行って、朝ごはん食べてきて」と私を促した。寝ぼけ眼でふらふら隣の家の前まで来ると、広い庭で白いかっぽう着姿のおばさんたちが忙しそうに働いているのが見えた。味噌汁、炊き込みご飯、煮しめなどの大鍋が並んでいる。美味しそうな匂いに思わずお腹がグウッと鳴った。

 「おはよう、〇〇ちゃん(私のこと)、早く上がって食べて!」と皆に声を掛けられる。縁側から座敷に上がると、知っている顔の近所の人たちがあちらこちらでご飯を頬張っていた。その時食べた炊き込みご飯の味は年季の入った、初心者には到底まねのできない深い味わいだった。

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