人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

コロナは人によって差がある病気

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 日常が戻ってきた?

 今朝いつものように散歩をしていたら、何やら人が大勢並んでいるのが見えました。「何だろう、こんな朝早くから?」と思ったら、それはカフェの開店を待つ人たちでした。「あれ、みんな何か忘れてる、まだコロナが終息したわけではないのに」。どう見てもソーシャルディスタンスがなっていない、これではコロナウイルスが流行る前と変わりありません。思えばこの店は自粛期間中もずっと営業していましたが、ほとんど人が入っていませんでした。それが近頃では何人もの人が店に入る姿を見かけるようになりました。それに近くにあるドトールの店にも開店前に並ぶ人が何人かいて、ふとコロナ前に戻ったのではないかと錯覚してしまいそうになりました。

 昨日も久しぶりに三角の旗を持ってゾロゾロ歩く、集団のご一行様を見かけました。どう見ても「三密」としか思えません。他の人とソーシャルディスタンスをとり、安心安全に楽しむことがそう簡単ではないことを思い知らされます。私の住んでいる街にはある有名な作家に関する施設があるのですが、彼らはそこを目指してやって来たのだとすぐわかりました。以前は日本全国にいる作家のファンが押しかけて人気があったようです。ああ、そういえば政府が薦めているGO TO キャンペーンと言うのがありましたね、県をまたがなければいいのでしたっけ?もう半年近くもコロナの感染に身構えていると、時々張り詰めた気持ちが緩んでしまうことがあります。「この状態がいったいいつまで続くの?」と自分に問いかけると、もう一人の自分が「目の前の現実を見よ!」と教えてくれるのです。それで、何とか自分の気持ちに何とか折り合いを付けて「心の平安」を保てているわけです。

コロナは人によって差がある病気

 正直言って、たまらなくどこかへ行きたいのです。遠い距離を乗り物で移動する気分転換がしたいのです。海外旅行に行きたい、いいえ、それはだいぶ先のことだとわかっているので、そんな贅沢なことは言いません。せめて親しい人達が待つ実家に帰りたい、そう願うだけなのですが不安が付きまとうのです。もしもインフルエンザのような感染症なら罹ったとしても、「なっちゃいました」ぐらいで笑って済ませることができます。といっても本人は結構辛くて、医者がこの薬で楽になると太鼓判を押して処方してくれたのに、2~3日は辛かったのです。また、予防注射を打っていたのにも関わらず、「まさか?」と疑ってしまうひどい風邪をひいてしまったこともあります。 

 そんな経験もあってか、勇気?をもって一歩踏み出せずに躊躇してしまうわけです。コロナが流行り始めた頃、ニューヨークのブロードウェイの40歳の俳優の男性がコロナで足を切断したとのニュースが話題になりました。ウイルスが足の細胞を攻撃したためで、切断したおかげで命は助かったと聞いて、命の危険もあるのだと驚かされました。テレビの映像で男性の奥さんが「みなさんはうちの夫のようにならないでください」と強く訴えていたのが印象的でした。「片足は失ったけど、命があって幸運でした」と将来に希望の光を見出していました。ところが、先月ふと新聞で目にした記事には「男性は闘病の甲斐なく亡くなってしまった」とあって愕然としてしまいました。

 一方で、日本に目を向けると、読売巨人軍の坂本選手や大城選手はこれといった自覚もなく、無症状でした。PCR検査したおかげで感染に初めて気づいた幸運な人達?もいます。プロ野球の解説者の梨田昌孝さんは呼吸困難に陥り、一時はICUに入りましたが生還されました。このような現状を踏まえて、自身も難病と闘う頭木弘樹さんは次のように分析しています。「コロナに感染しても、完治する人もいれば後遺症に悩む人もいる。それは『病を乗り越えられた人』と『病を乗り越えられなかった人』を生む。そう言った現実では乗り越えた人は自分は選ばれた人だと思いがちだ。だから、『つらいと』と言い続ける人を心が弱いせいだと批判的な目で見てしまう」のだと。

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