人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

大事なことはコロナが教えてくれた

今週のお題「2020年上半期」

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ソーシャルディスタンスに戸惑う

 思えば、ソーシャルディスタンスという言葉を初めて聞いたのはテレビの報道番組を見ていた時でした。日本語に訳すと「社会的距離」というらしいですが、その言葉は以前からすでにあったようです。コロナ禍で一躍脚光を浴びたわけですが、実際には人との距離を1.5m以上開けるよう促す言葉でした。まだその言葉になじめない時は「あんな狭いスーパーでそれは無理でしょ」なんて思っていたら、なんと今では現実になっています!その気になれば実行できるのです。親切にもレジに並んで待つための立ち位置のサインまで決めてくれています。コロナ禍にあってスーパーでの新習慣が定着しつつあるようです。

 まだ「社会的距離」という言葉が聞きなれなかった頃、新聞にある主婦の方の投書が載りました。薬局で支払いをしようとしてレジに並んでいた。そしたら後から来た人がコロナ以前のように詰めて並んだので不快な思いをした。もうちょっと考えて行動してほしいと個人の自重を促す趣旨の訴えでした。この記事を読んで、これは頭でわかっていても動けない頭の固い人間である私のような輩のためのアドバイスだと受け取りました。ただ、問題なのは、物理的な距離だけでなく、いつの間にか心の距離も生まれつつあるのではという疑念が湧いてしまうことです。

 「社会的距離」は大人だけでなく、子供にも多大な影響を与えています。「小学校がつまらないから行きたくない」と泣いている女の子に理由を聞いてみました。そしたら「給食の時間も黙って食べなきゃいけないから楽しくない」と友達とのおしゃべりができないのが辛いらしいのです。それでも、自粛生活で学校に行けなくなったらやっぱり友達に会いたくなってしまったのです。実はこの子は家でも妹と遊んで十分楽しく過ごして満足していたのに、ふと気づくと外の世界のことを考えていたのです。子供なりの好奇心が勝って「学校に行きたい」と思い始めたのです。

不要不急の意味するものは

  「社会的距離」という言葉と同様に「不要不急」というフレーズも頭にこびりついて離れません。コロナ禍であなたにとって「不要不急」なこととは何ですかというアンケートが新聞に載っていました。ある方は暮らしていくのに必要なお金を稼ぐためにする仕事と食料以外は「不要不急」ですという究極の答えでした。最低限生活に必要な事項以外は緊急時においては認められないという見解です。その一方で、心の健康を保つために、例えば、美術館で絵画鑑賞、コンサート、旅行、家族との食事会等も「不要不急」なんかではないと主張する方もいました。

 そんな中で、「ちょっとした虫歯ぐらいで歯医者に行くのはどうなんでしょう?」と問題提起した方がいたのには驚きました。歯医者に行くのを「不要不急」な事項だと考えて迷った挙句、行かない選択をすることにしたそうです。この方の気持ちよくわかります、テレビでよく歯科医院で感染の可能性大などと情報を流していますから。でも、そのリスクを知っていても歯をそのまま放置しておくことはできません。「それでも行かなきゃ」なので、私にとっては「不要不急」などではなく重要なことです。そういえば、ある医師の方の話では、コロナ以前は病院に来ていた人がリスクを避けて来なくなっているそうです。このままコロナ禍の状況が続いたら大変なことになるのではとの懸念が尽きないようです。

 最後に、この6か月で学んだことは、今まで当たり前だと思っていたことが実は「有難いこと」だったのだという事実です。コロナの感染リスクを避けるために移動の制限があるので、会いたい人に今までのように自由に会うことができません。だからこそ、手紙を書いたり、電話やメールで連絡を取り合って意識的につながろうとしているのです。そして、今は肉体的にも精神的にも最も自己管理能力が試されている時期ではないでしょうか。そのために空っぽの頭をフル稼働させてこのブログも書いています。

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