人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

海外文通で便箋に凝っていたあの頃

今週のお題「わたしのコレクション」

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毎回違う便箋と封筒で手紙を出すのが楽しかった

 高校生の頃、海外への憧れからか外国の子と文通していたことがある。あの時代はまだEメールなどと言うものは一般的ではなかった。毎月買っていた漫画雑誌のりぼんやなかよしには「海外の友だちと文通しませんか」という宣伝文句が載っていた。それを見ているうちに、英語が得意でもないのに文通をしてみたくなった。もちろん相手を紹介してもらうにはお金がかかるのだが、そんなに高くなかったので親も反対しなかった。それどころか、娘が海外の人と文通することが嬉しくて、誕生日やクリスマスのプレゼントを贈るときは喜んでお金を出してくれた。

 今でもそうだが、国際郵便の料金は封書なら120円ぐらいでそんなに財布には響かない。ところが小包だと航空便はどんなに小さくても2千円ぐらいかかってしまうので懐が痛む。経済的な手段としては船便という選択もあるにはあるが、だいたい3カ月程度かかるようで、着くには着くが、すっかりやつれた状態で届くようだ。それもそのはず小包は送り主がまだ見たこともない港をいくつも旅をして相手のところに行きつくからだ。長い旅をして来るのだから、少しくらい包装がよれよれになっていたとしてもそれはそれでいいしよう。

 私の初めてのペンフレンドはアメリカのインデァナ州に住んでいるカレンだった。金髪のロングヘアの女の子で、写真に写っていた背景はビルではなく高原のような場所だった。どうやら自然に囲まれた地域に住んでいるらしい。もう一枚の写真には白くてこじんまりした家と傍らには雪を被った車があった。彼女はその車で毎日学校に通っていた。たぶん交通手段がないので仕方なく車なのだろが、当時の私は高校に車で通うことが信じられなかった。そうか、アメリカは16歳で免許が取れるのだ。それにアメリカには教習所というものが皆無だと聞いたことがある。日本と比べて国土が広すぎるから、車の運転ができないと移動が難しいし、何より死活問題なのだろう。

 私のペンフレンドは、一番最初がアメリカのカレンで次はカナダのポーリン、マレーシアのノキア、ベルギーのジャスミンと大勢いた。しばらくして気づいたのは、皆が皆あの文房具店で売っている航空便用の封筒で手紙をくれることだった。あの少し青みががった色をしている、周りが赤と青の模様の縁取りがある定番の封筒だ。なぜ、皆あんな面白くもない、夢がない封筒で手紙をくれるのだろうか。そのことが不思議でならなかった。私は手紙を書くのも楽しいが、便箋と封筒にも気を使っていた。できれば、毎回違うもので出したいので、文房具やに通うようになった。

 便箋と封筒はお揃いがいいので、たくさん集めた。使うのは一回限りなのだが、その頃は手紙を書くのが習慣になっていたので使い道に困ることはなかった。今でも覚えているのは、青い帽子の女の子が子猫を抱いているイラストが付いた便箋と封筒でたしかサンエックスという会社のものだった。女の子の顔が帽子に隠れていて描かれていないのが気に入っていた。封筒もレースのような飾りがついていたり、金や銀の色で型どりされていて、見るからに感じがいいものが私の好みだった。便箋もイラストや模様が文章の邪魔にならならず、控えめについているのを好んで使っていた。海外文通は未知の国に住む相手のことを知るだけでなく、便箋と封筒を集めて楽しむことにも繋がっていた。もちろん、妥協することなく、毎回お気に入りのどこに出しても恥ずかしくない?もので航空便を出していた。

 余談だが、ベルギーのジャスミンの住んでいた町はオステンドという地名で港町だった。それだからか、送ってもらった写真には親戚の結婚式が船上で行われている様子が写っていた。私などは結婚式は神社か結婚式場でやるとしか頭にないので、船上パーティーがとてもリッチなものに思えてしまってカルチャーショックを受けてしまった。それから、この子は長く伸ばしていた髪をお母さんに切って貰ったからという理由で、私に自分の髪の毛を送ってくれた。封筒から出て来たのは手紙と小さなビニール袋だった。その透明な袋を見ると、カールした髪の毛が入っていて、その色はリカちゃんと同じような金髪だった。初めて外国人の生の髪の毛を見た私は、まじまじと眺めて「これが本物の金髪なのか」と感動した。

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