人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

悲しみを吸い取ってくれるベッド

お題「#新生活が捗る逸品」

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疲れ切った私を休ませてくれるベッドが必要で

 最近私の住んでいる地域では、古い家を壊して新しい家を建てるのをよく見かけます。でもそのほとんどは背高のっぽのペンシル住宅で、もともとは一軒家だった土地に2軒の家を建てているのです。面積が限られているので上に伸びるしかありません。窓が小さく、3階建てて、一番上の階は屋根裏部屋といったお決まりの間取りになっています。先日、引っ越しがあったのか、ふと玄関先を見たら補助輪付きの小さな自転車が置いてありました。段ボールの山も側にあって、開いたままの玄関のドアからは脱ぎ散らかしてある履物が見えました。これからの新しい生活にきっとワクワクしているのでしょう。そう言えば、引っ越しと言うのは新しい場所、新しい生活との出会いで楽しいものなのでした。あの期待に胸を膨らませていたドキドキ感をもう長いこと感じたことはありませんでした。

 思えば、若い頃は引っ越しが大好きでした。未知の街を探検して見て歩き、スーパーやカフェ、商店街などにだんだんと馴染んでいく、その過程を楽しんでいたのです。私の最初のひとり暮らしの部屋は3畳の和室でした。今想像してみると、ずいぶん狭い部屋に住んでいたなあとおもうのですが、当時は小さいながらも自分のお城です。窓も大きく日当たりもよかったのでそれで満足だったのです。自由を手に入れたと浮かれていた私は何もない部屋でこれから先のことに希望しか抱いていませんでした。

 あれは灼けるような夏の午後でした。汗だくになりながら、暑さがどこかに行くのをじっと待っていたら、部屋のドアをノックする音が聞こえたのです。開けてみると、目の前には若い女性が立っていて、どうやら何かのセールスの人のようでした。話だけは聞くことにして、部屋に招くと何かの商品の説明を始めました。でも私には必要ないものだったので、すぐに断ろうとしたのです。そしたらその女性が「あの、お水を一杯いただけませんか」と喉の渇きを訴えました。そう言われた私は、こんな暑い季節に外回りをしたら大変だろうなあ、とふと思い、自分の部屋に居てもらうのが申し訳ないような気分になりました。だから、いくら何でも水道の水を差しだす気にならず、「水はないので、下の自動販売機で買ってくるので待っててください」と言ってしまいました。そして、急いで階段を降りて行き、アパートの前にある自販機でジュースを買って来たのです。その時のあの人の驚いたような顔、今ではもう霧の中ではっきりとは見えません。

 3畳の部屋に住んでいた時、同じアパートの女の子の部屋に遊びに行きました。そしたらその子の部屋は6畳で私の部屋の2倍の広さでベッドがありました。「私もこんな部屋に住んでみたい」と羨望の念を抱いたのは確かです。そんなとき、何かの本を読んでいたら、「ベッドは私の悲しみを吸い取ってくれ、溶かしてくれて、今日の闘いを終わらせてくれる」と書いてあったのです。ベッドは母親のお腹にいたときの羊水のように自分を守ってくれ、まるで繭に包まれたように快適になれるというのです。私にとっては目から鱗でしたが、まだこの頃は今ほど睡眠の大切さが注目されてはいませんでした。私にとっては自分の部屋がお城であり、世間からの避難場所であり保護区でした。でもそれだけでは足りないらしいのです。自分の心と身体を休めるには、深い眠りへと誘ってくれる道具としてのベッドが必要なのでした。今ではよく使われる「癒す」とか「癒される」などと言う言葉は当時はありませんでした。

 聞いた話によると、江戸時代の庶民のある大工は自分の生活の中である工夫をしていました。それは、どうせ殿様になれないのなら気分だけでも殿様気分を味わおうとしたのです。狭い長屋に住みながら、衝立の向こうにはうず高い敷布団の上にふかふかの掛布団が、つまり殿様布団で毎晩寝ていたのです。これを身のほど知らずと非難するのは簡単ですが、人に迷惑をかけるわけではありません。本人は人知れず幸せに酔いしれていたわけです。いわゆる、これが本当の意味での「小さな幸せ」といえるのかもしれません。

 さて、3畳の部屋を出て、次の4畳半から6畳の部屋へと引っ越しをしました。その時真っ先に買ったのがベッドでした。正直言って、どうしてあれほどベッドにこだわったのか、今では全く理解できません。ふかふかの暖かく包んでくれる布団があれば十分幸せなのにと戸惑うばかりです。それに今ではベッドのスプリングを粗大ごみに出す人が大勢いるのですから。時は流れて、どうやら時代は変わりつつあるようです。

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