人生は旅

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葬式の後食べたカニ鍋

今週のお題「鍋」

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 暑い日に鍋を食べる

 普通は「鍋」と言うと、寒い日に食べて温まるものですが、私が忘れられないのは葬式の後夏に食べたカニ鍋です。カニから連想するものは、レストランのバイキングで見た、これでもかというくらいに積み上げられたカニです。そのカニの足はスカスカで、たいして身が入っていないのに、友だちが嬉々として食べているのが不思議でなりませんでした。なぜ暑い夏に鍋なのか、それは亡くなった叔父のお気に入りの店がたまたまカニの店だったから、ただそれだけの理由です。

 その店は田舎のある地元ではなく、川を渡って他県に入るとすぐの場所にありました。何ら普通の家と変わりない2階建ての店舗で、大きくて派手な看板が遠くからでも目立っています。なぜこの店なのか、みんなが行くから間違いがない、人気店だったからです。店に入り2階の個室に案内されると、そこは静かで落ち着ける、なかなかいい雰囲気の部屋でした。カニの専門店なので、言うまでもなくカニの足にはぎっしりとカニの身が詰まっています。「ワア~ッ」と歓声が上がり、一瞬みんなの目が輝きました。

いつの間にか哀しみを忘れて

 誰もが黙々と食べている中で、一人だけやたらとテンションが高めの人がいました。それは寺の住職でビールをグイッと飲んでカニ鍋を食べ、またよくしゃべる。叔父が野球が好きで、同じ地元の球団を応援していたとか、ゴルフに一緒に行った話とかを。姉などはあの住職はちょっと変わっている。普通は会食が始まったら静かに食べ、折り合いを見て早々に帰るのが常識なのにいっこうに帰ろうとはしない、と嘆いていた。

 やがて、住職のおしゃべりが伝染したのか、私の目の前に座っていた親戚の男の人も嘘のように話始めたのです。おとなしそうで静かな人だとばかり思っていた人が、突然饒舌な別人に変わりました。たしか、「そうめんは何が一番美味しいのか?」などと言うたわいない話でその場が盛り上がったのです。それからは、この会食が葬式の後だなんて信じられないような楽しいものになりました。

死を覚悟したら怖くない?

 叔父の葬儀の時は不思議と涙は出ませんでした。亡くなる1か月前にお見舞いに行って、もう何も食べられなくなった姿を見ていたからです。突然の死ではなく、誰もが予想できて、諦めていた死でした。病院ではなく、自宅で椅子に座っていた叔父はガリガリなのに、穏やかで死への恐怖なんて何もなかった気がします。あくまで入院を拒否して自宅療養を続けていたのに、ある日医師に「あとどれくらい生きられるのか」と尋ねてしまったのです。すると、医師に「あまり長くは生きられない」と本当のことを言われてショックを受けたみたいです。人間の心は不思議なもので、そう言われた途端、食べ物が喉を通らなくなったのです。

 家人によると、叔父は死の恐怖に苛まれて苦しむこともなかったようです。自分の人生はこれで終わっていいのだと満足していたのです。以前何かの本で読んだことがありますが、死にゆく人は周りのことにはもう関心が無くなる。自分の世界にだけ生きているので、心の平安を乱されることはないから安心していいのだと言うのです。考えてみると、叔父は自分の納得いく死を選んだのですから、あんなに穏やかだったのですね。

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