人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

娘の出産が悩ましい

今週のお題「下書き供養」

 あれはまだ「立ち話」や「井戸端会議」というような、今となっては死語になりつつある光景が日常だった頃の話です。いつものように知人に挨拶したら、どうも様子が変なのです。明らかに疲れ果てている様子で、話しかけてもやはり上の空で元気がありません。「どうしたの?」と聞いてみたら、それからは思ってもみなかった長話になり、こちらもぐったりと疲れてしまいました。家に帰っても頭の中を知人の話が駆け巡り、振り払っても振り払っても頭から消えてくれません。自分の問題ではなくて、他人事なのに、あんなにじっくりと悩みを聞かされると、自分の心に嫌な感じとなって残るものです。水の流れが滞ってしまったかのように、心に澱となって溜るのです。そんなとき、自分の今の気持ちを整理する手段として、書いてみました、こんな風に。

 知人の田中さん。娘が出産で里帰りで大変なことに。楽しいはずなのに、なぜか悲しい、虚しくてたまらない。それは自分の娘なのに話が通じないから。子供を産んだ女性は精神状態が不安定だから仕方ないのか。気の毒だが、自分には何もできない。

 

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娘が自分の子供なのに他人に思えてきて

 他人の自慢話と愚痴は嫌われるというのは世の常です。だからこんな話をブログに載せていいものかどうか、迷っているうちに化石のようにそのままになってしまったわけです。田中さんの娘は出産して退院するとすぐに、その足で実家に帰ってきました。タクシーで着替えやら、ベビー用品やらのすべてを運んでやってきました。田中さんは朝から落ち着かない様子で、いそいそと孫のベビーベッドを用意しました。初孫のミルクの匂いのするモチモチの頬っぺたに触れたら、どうしようもない幸福感で満たされました。哺乳瓶を煮沸したり、おむつ替えに追われていたらすぐに夜になりました。まだこの時はこれから続く悪夢を予想することはできませんでした。

 赤ん坊というのは昼間泣くのはたいして気にもなりませんが、夜、特に寝入りばなに泣かれると怒りが頂点になるのだと初めて知りました。赤ん坊は泣くのが仕事、そうは言ってみても、眠れないのは辛すぎます。たとえ、その泣き声の主が可愛い自分の孫であっても、「いい加減にやめてくれ」と叫びたくなるのです。田中さんは翌朝仕事があるのにも関わらず、夜中に子供をあやす娘に付き合いました。でも夫は我慢しきれず「子供をあまり泣かせるな」と娘を一喝してしまいました。そしたら、娘は田中さんには到底信じられないことを主張したのです。病院の先生からの指示に従っているだけで、文句を言われても態度を改める気はないというのです。

 先生から教えられた授乳法は、母乳が出なくても、まずは赤ん坊に乳首を吸わせてみるやり方。乳が出ないと当然赤ん坊は泣くのですが、泣いても構わずその方法を試していれば、必ずいつか乳は出るようになるというのです。出産してすぐに母乳が出た田中さんにとっては青天の霹靂でした。子供を散々泣かせて、乳房マッサージも何もせず、子供の吸う力だけにお任せのやり方はどう考えても理解できませんでした。ところが、娘の夫が言うには、自分の姉もそのやり方で母乳が出るようになったというのです。それで田中さんもネットで調べたり、本屋で専門書を読み漁るうちに、今の育児法は昔とは違うのだとわかったのです。時代と共に育児法は変わるという現実、それは田中さんにとって目から鱗でした。

 自分の古い考え方を反省した田中さんでしたが、また問題が起こりました。父親から文句を言われて「冗談じゃない」と激怒した娘が家に帰りたいと言い出したのです。娘婿が今家に帰っても一人ではどうしようもないと宥めるのですが、パニックになっているので話を聞こうとしないのです。田中さんも娘と話し合おうとするのですが、あの時の娘は自分がよく知っているはずの娘ではありませんでした。何を言っても箸にも棒にも掛からない事態とはあのことです。血を分けた娘なのにまるで他人のように思えて、情けなくて無力感さえ感じました。仕方なく、これからどうするのか、娘について娘婿とカフェで話しあうことになりました。娘との絆は固いと信じていたのに裏切られたように感じて意気消沈していた田中さん、今もその姿が思い浮かびます。

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