人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

消えてしまった公園

今週のお題「好きな公園」

人気があった公園が資料館建設のために消えた

 もう今ではそこに公園があったことさえ、忘れられてしまったようだ。でも以前は確かにそこに人が集まる場所としての公園はあった。その公園は決して広くはない、いや、むしろ敷地としては狭い方だった。入り口は市営住宅の建物の隣にあって、その建物に遮られて、公園全体は外からは見渡せなかった。だが、公園の前を通りかかると、生い茂る木々の下にあるベンチに必ず誰かが座って休んでいた。スーツを着た、たぶん営業マンなのだろう、携帯を見ながらボーっとしている様子の男性を見かけたこともあった。ちょっと一休みの場所として、この公園を利用しているのだ。彼らは皆ひとりで、それぞれ自分の世界に入り込んでいた。一体なぜ公園はこうも彼らに好かれるのだろうか。私が勝手に想像してみると、緑に囲まれた場所にベンチがあり、そこが一種の隠れ家のようになっていて、落ち着くのではないだろうか。

 それに夏はちょうどいい感じの木陰ができて、自然のクーラーを満喫できた。大人がくつろげる場所、そんなイメージがぴったりの公園だが、中に入ってみると、少し様子が違ってくる。ちょうど市営住宅の裏側にあたる場所に、子供の遊び場ができていた。砂場があって、ブランコがあって、鉄棒があって、小さい子供のための遊具もあった。外からは全く分からないが、そこには児童遊園がひっそりあった。一度、朝早く立ち寄ってみたら、中年の男性の姿が見えたので少し驚いた。いったい何をしているのかと思ったら、ゴルフの素振りだった。他人の目に触れず、自由にゴルフの練習ができるから重宝しているのだろう。私が急に現れたのであちらも面食らっているようだった。

 公園は何も昼間だけ利用するところではないらしい。それがわかったのは、もう日が暮れて辺りが暗くなったにも関わらず、公園の中に入って行くカップルを見かけたからだ。たまたま偶然遭遇しただけなのだが、夜の公園でデート!?だなんて、想像もしなかった。なんだかレトロな雰囲気でノスタルジーを感じてしまった。この公園は昼間は子供にとっての遊び場、大人にとってはくつろぎの場所、その上、日が落ちてからはカップルのための場所としての役割を担っていた。まさに一日中大活躍をしていた。

 だが、今では市営住宅は取り壊されて、入場料を取って運営する資料館が建てられた。その資料館はもう何年も前に議会で可決されてすでに建設が決まっていたが、とうとう工事が着工されることになった。その結果、公園はどうなったかというと、本来のあるべき姿は消えてしまった。鬱蒼としていた木々は撤去されて、すっきりとしたどこにでもあるような場所になってしまった。ベンチは無くなり、ただのガランとした通り道となり果てた。奥にあった子供の遊び場も撤去されてしまったので、もう子供は近づかなくなった。しかも資料館の敷地には門があるので、夕方には鍵がかかってしまうので誰も立ち入ることはできない。資料館ができてすぐに、様子を見に行ったのだが、その時は「面白くもなんともない所になってしまったなあ」と嘆きしか浮かばなかった。

 普通の感覚で言えば、公園は子供が遊ぶ場所との認識しかないかもしれない。だが、あの公園は文字通り、皆のために存在していた公園だった。皆に利用され、愛されていた公園だった。もっとも近所の公園はガランとして子供なんて一人も見かけなくなって久しい。現状はわからないが、今の子供は塾や習い事で忙しいらしく、公園で遊ぶよりはゲームで一息つくのだそうだ。それでも、最近は公園に子供が戻ってきたのではと錯覚しそうになってしまうことがある。たまに子供が遊んでいる姿を見かけることがあるからだ。コロナ禍で閉塞した空間にもう2年も暮らしているためなのか。だからふと忘れていたはずの公園のことを思い出したのだろうか、公園にでも行ってみるかと。

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