人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

短歌から女の叫びが聞こえる

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▲セーヌ河畔から見たルーブル美術館NHKまいにちフランス語テキストから。

たかが献立、されど献立

 先日の日曜日の朝日歌壇を見ていたら、ふと目に留まったのは「おたんこなす」という言葉でした。折も折、今はなすが旬の野菜で、スーパーの店頭にデ~ンと居座っています。堂々としていながらも、お客さんに「今日はナスのおひたしや、肉とピーマンと一緒にみそ炒めにしてはどうですか」などとアピールしているかのように見えます。よく見てみると、このユーモラスな「おたんこなす」という言葉は次のような短歌の一部でした。

 こんだては おたんこなすの しぎ焼きよ なんて言わなきゃ やってられない

(作者は新潟市の太田千鶴子さん)

 選者の評は「来る日も来る日も食事の支度に追われ、思わず漏れた主婦の嘆き」とあります。そうは言ってもこの選者は男性なので、作者の心の中にある悩みの本質は本当のところはわかるわけもないのです。同情はしてくれているのですが、「毎日大変だね」ぐらいなもので、同じ立場の女性たちの「その気持ち、わかるわ~」には到底及びません。ここでの「おたんこなす」は自分の大変さなんて、これっぽちもわかろうとしない家族全員へのいらだちなのかもしれません。妻なのだから、母なのだから、女なのだから、食事の献立を考えるのは当たり前、やって当たり前なのだから、感謝なんてするわけないのです。

 今までやらなきゃ、自分の仕事なのだからと家族のためにやって来たけど、人間なのだから腹も立つこともあります。いつもなら何も考えず身体が自然と動くのに、今日はなんだかブレーキがかかったみたいに気持ちが乗らない、やる気がしないのです。でも夕食の支度は家族のため、いいえ、自分のためにもついでにしなきゃ、お腹が空いて死んでしまう。なんてことはないけど、人間は空腹だと気持ちがすさむから、とりあえずお腹を満たす方が先決だと思うのです。怒りが抑えられず、腹が立つけどとりあえずは夕食の支度が今は優先だと考えて、「おたんこなすのしぎやきよ」となったのです。野菜のナスを「おたんこなす」と掛け合わせたのはなかなかうまいと拍手したい気分です。

 最後に「やってられない」とあるのは、家族に対する怒りというよりも、夕食の献立に迷った挙句の苛立ちなのかもしれません。たぶんこの短歌の作者は日頃から献立を決めるのに悩んでいて、いいえ、この方だけでないと思います、一握りの料理が得意な方を除いて。私などもそうなのですが、献立というのはワンパターンになりがちです。あれこれと考えるのが嫌なので、そんなくだらない?ことで悩むのが情けなくて、要するに、今新聞でよく見つけるワードの思考停止なのです。いくら真面目人間でもたまには一息つきたいときもあるでしょう。「なんだか今日はサボりたい」と感じて、夕食の献立、なんて考えたくないと思っていたら、スーパーに立ち寄ると、店頭にはナスが山積みしてありました。

 昔から”秋ナスは嫁に食わすな”などというではありませんか。この言葉の意味は諸説あるようですが、そうだ、うちの「おたんこなす」たちにナスを食べさせようと思いました。今いる場所がスーパーではなくもしも八百屋なら、店のおじさんやおばさんに美味しい食べ方を聞けるのになあ。目の前に大勢いるナスが答えてくれるわけもありません。それでレシピは当然自分が作り慣れた、「しぎ焼きよ」となるのでした。実を言うと、しぎ焼きって何かわからなかったので、さっき検索して調べました。ナスを油で炒めて、砂糖やみりんを加えた味噌を入れて炒めて終わりの、ごくごく簡単な料理でした。なるほど、おたんこなすたちに食べさせるのですから、さっさと手早く済ませたいのです。自分の大事な時間をこれ以上奪われたくない、そんな気持ちも働いているのかもしれません。

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