人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

89歳で毎朝英訳をする方とはどんな人?

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英訳1万日を目指して

 昨日の朝日新聞の朝刊に掲載されている「ひととき」を読んだら、眠気がすっかり吹き飛んでしまいました。「ひととき」には読者からの日常の何気ない気づきや誰かに聞いて欲しいことなどが寄せられます。いつものように、さて今日は何かなあと何気なく目をやると、そこには「英訳1万日を目指して」とありました。思わず、なんだこりゃです。よく読んでみると、この方はこの「ひととき」欄の記事を毎日英訳されているそうなのです。そして、なんと今日は8135日目を英訳した。ノートを作ってすべて書き留めているらしく、288冊目だそうです。第1冊目を使い始めたのは1997年4月16日で、この人は今89歳なので、かれこれ23年も続けておられるのです。これはスゴイ、よくできるなあと思い、もう脱帽するしかありません。

英語力の低下を食い止めるため

 では、なぜ英訳を毎日続けるのか。どうしてそんな課題を自分に与えるのか。それは「ひととき」の英訳で基礎的英語力の低下を食い止めたいからなのです。確かに言葉は使わなくなれば、すぐに忘れてしまうのです。以前日本に帰る飛行機の中で酔っぱらった日本人が私に話しかけてきました。その人はフィンランドに住んでいてビジネスで日本に来る途中でした。でも普段は日本語をほとんど使う必要がないらしく、時々言葉を探して話が中断し、思いだそうとして頭を抱えてしまうのです。どうやら日本語を忘れかけているようです。彼はどこからどう見ても日本人なのに、話がややこしくなると日本語が出てこないのです。

 彼のように大抵の人はそれをわかっていながらも、忘れない努力を怠ってしまい、気が付いときにはもう遅いのです。言うは易く行うは難しで、鉄の意志がなければ、実行はあり得ないのです。その点、この老婦人の方は、お名前からすると女性のようなのですが、世間で言われるような「おばあちゃん」ではありません。いつもの散歩コースにあるデイサービスに居るような普通の老人とは一線を画しているのです。「おばあちゃん」なんて呼んだら、失礼にあたるかもしれません。それにしても、自分の身内でもない、見知らぬ老婦人を「おばあちゃん」という名前で呼ぶことは、控えた方がよいのではと最近思うのです。気にしない人はそれでいいのですが、「私はあなたのお祖母ちゃんではありません」と屈辱だと感じる人もいるはずです。そうでなくても、「夫婦別性」の是非が問われる時代になったのですから。

朝の静寂の中で英訳を

 なんだか話が横道に逸れてしまったようですが、話を元に戻すと、この老婦人は毎朝4時か5時ごろ起きるそうです。89歳にして家族の朝食と弁当を用意した後、新聞を読んで英訳をするのが日課です。「ひととき」を読んで、いろんな人の人生を垣間見て喜んだり涙したりする。英訳を終えた頃にやっと窓の外が明るくなってくる。あくまで想像なのですが、そのころにはきっと家族の人達が起きて来て、今までの静けさは一瞬にして日常の喧噪に変わるのでしょう。だからこそ、早朝の時間は老婦人にとっては一番の楽しみで、かつ集中できる至福の時なのです。作家の五木寛之さんは、「昼間は行動の時間で夜は思索の時間」と表現し、夜の静寂は物を書く人間にとっては不可欠なものだと言っています。静けさは人に想像力を促してくれ、心に平安を与えてくれる気がします。

 それにしても、この老婦人の目標は一万日で、ざっと計算すると、あと6年近く生きて英訳する必要があるとか。そのために毎日を生きる!そんな89歳の大先輩、見たことありますか。若輩者の私などはこの方の投稿を読んで、「しっかりしなさいよ」と弱気になっている自分に活を入れられた思いです。

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