人生は旅

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発熱で死を予感したあの日

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

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▲チリのアタカマ砂漠の幻の花畑。NHKまいにちスペイン語8月号から。

親がすがる思いで試した民間療法に仰天して

 田舎で暮らしていた子供の頃、私は身体が弱くて、冬になるとよく風邪をひきました。風邪かなあと思うとすぐに咳が出て、なかなか収まりませんでした。村に唯一あった山田医院に行くと、いつも先生の診断は気管支炎でした。医院の玄関に掛かっている看板には先生の名前は日比野と書かれてありました。子供心になぜ「山田医院」なのか不思議に思っていました。風邪をひいて、先生に診てもらいに行ったら、診察室に通されたのに先生の姿がなかったこともありました。「どうなってるの?」と戸惑っていると、すぐにドアが開いて、隣の部屋から先生が出てきました。その時畳の部屋に布団が敷いてあるのがチラッと見えました。先生は黒縁眼鏡をかけて髭を生やした中年の男性で、いかにもお医者さんという風貌で怖そうに見えました。考えてみると、この時代は小児科専門のお医者さんなんていなかったのですから当然のことです。医院の看板にも内科、小児科と書かれていましたから。それに先生の発言は必要最低で、冗談を言うなんてありえないことでした。

 小学校の何年生だったか、まだ母が元気だった頃、風邪をひくと咳が出るのがいつののことだった私が突然熱を出したのです。親は医者に診せればすぐに良くなると信じていました。でも40度もの高熱が出て、解熱剤を飲んでも下がりませんでした。1週間経っても熱が一向に下がらないので、親は慌てました。堪らずにある行動に出ました。それはいわゆる巷で信じられている民間療法を試すことでした。効くと言われているすべてのことを娘のためにやりました。私が一番驚いたのは、親が魚屋から生のアジを買ってきて、三枚おろしにしたものを私の足に張り付けたことでした。足の裏に貼ると魚の肉が熱を吸い取ってくれるだなんて!魚の生臭い匂いが熱で意識が朦朧としている私の鼻先にぷーんと漂ってきました。最低最悪の気分なのに、それに追い打ちをかけてくるような悪臭に吐き気を催しました。それでも熱で動けないので、文句も言えず親にされるままでした。ところが、自分の足にヌメッとした感覚を感じた瞬間、何かヒヤリと冷たくていい気持ちになったのでした。

 「これは効くかもしれない」と一瞬思ったのですが、それは気休めでしかありませんでした。2週間近く朦朧として生きていると、子供ながら「自分の熱はもう下がらないのではないか」と思えてきました。親が必死になってありとあらゆる努力をしているのに効果がないことに、絶望していたのでした。ある日ふと、枕もとで心配そうにしている母親に「私このまま死ぬのかなあ」と言ってしまいました。どうやらそんなことは絶対言うべきではなかったようです。なぜなら母親は「そんなこと言わないで!」と涙をポロポロ流したからです。素直な気持ちを吐露したら、母親を泣かせてしまいました。母親の願いもむなしくそれからも私の熱は下がりませんでした。私の両足はいつしか魚の血でベトベトになったのに、身体の中の熱は引きませんでした。

 結局、肺炎になって町の大きな病院に入院することになりました。病室で点滴を受けていたら、少しずつ快方に向かっていきました。学校は1カ月近く休むことになり、クラスで目立ちたがり屋の子がお見舞いに来てくれました。後になって、親友たちは私のことを心配して遠慮していたのだと知りました。

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