人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

好きでする自由研究

今週のお題「自由研究」

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▲去年の今頃のイチジク。朝見つけたと思ったら、夕方には無くなっていてびっくりしました。一方、今年は驚くほど無数の実をつけていて、それだからか逆になかなか果実が赤みを帯びてきません。さて、これからどうなるのか楽しみです。

なぜか気になって観察していたら、これって自由研究?

 昨日の朝日新聞の4コマ漫画「ののちゃん」は偶然にも自由研究のネタでした。ののちゃんが幼馴染のキクチ食堂の息子のキクチくんの家の塀に昇って覗き見をしています。自由研究が終わっているかどうか確かめるためでした。真面目なキクチ君は「朝顔の観察なら終わってるよ」と涼しい顔で言うのですが、ののちゃんが何も言わないので逆に不安になります。でも、お母さんのマツコさんに圧をかけられて、「ちょうだい!」とやはりいつものののちゃんに戻りました。どうやら、いつもキクチ君の自由研究を利用しているらしく、私にも「そんな友だちがいたらなあ!」と羨ましくなりまし考えてみると、朝顔の観察は一番簡単そうに見えますが、早起きしなければできません。せっかくの休みなので毎日ゆっくりと寝ていると、朝顔はもううなだれています。夏の暑さに堪らずに萎れてしまうのですから早起きは必須で、なかなか強い意志がないと続かないのです。

 さて、大人になって夏休みの自由研究の悩みからは解放されました。それなのに休みの日でも早起きをして家の周りにある植物の自然観察をしています。なぜそうなってしまったのか、それはコロナウイルス感染症の流行が直接の原因です。自分の生活に気晴らしを取り入れて気分転換をするためでした。できるだけ人波を避けようと、皆が起きてこない早朝を選んで歩いていたら、今までは見向きもしなかった植物が気になりだしたのです。人間たちがスッタモンダしているのにも関わらず、彼らはそんなことにはお構いなしです。「何があっても必ず朝は来る」とばかりに桜の花は咲き、ツツジも紫陽花もお約束通りに美しい姿を見せてくれます。人間の思惑とは関係なく自然はありのままに存在する、そう思ったら自然の偉大さを実感せずにはいられないのです。

 

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▲今年のイチジクは実が大きくはちきれんばかりになっているのに、外見は青いままです。でも果実の先端が少し赤みを帯びて来たかと思ったら、このとおり鳥が食べに来ていました。まだ熟していないのに思っていたのに、それなりに美味しいから鳥が寄って来るようです。あたり一面にイチジク特有のにおいが立ち込めていますが、まだ甘い匂いなどカケラもないのに不思議です。

 実を言うと、私は少し心配だったのです。去年と比べて圧倒的に実の数が多いのに、梅雨に入ってしまってから日照時間が極端に少なくなってしまったからです。それからは雨の日が続いたので、せっかくの実がこのまま腐ってしまうのではと心配でした。でも意外に早く梅雨が明けてくれて、太陽の光が燦燦とイチジクに降り注ぐようになりました。でもなかなか冒頭の写真のような外見にはなってはくれません。毎朝必ず見に行って、ある程度の大きさのイチジクには「早く赤くなって!」と呼びかけます。他の小さなイチジクたちには「どんどん大きくなれ!」と声援を送るのが私の日課になりました。

 最近、散歩をしていてある発見をしました。それは家庭菜園などという立派なものを作らなくても、トマトはちゃんとできるのだということです。スーパーに行く道なりにあるアパートの階段の下に置いてあるプランターにトマトが生っていたのです。最初それは何なのかわかりませんでしたが、すぐに実がついてその実はすくすくと育って大きくなりました。その実が一つではなくて、3,4個あって赤く熟すのは時間の問題です。ちょうど日当たりがいい場所なので、ゼラニュームなどの他の鉢もたくさん並んでいます。今朝気になって見てみたら、対になって2つあるうちの片方は誰かがもぎ取ったのか無くなっていました。それで今は残っている方の赤く熟したトマトが誘うように道行く人を眺めているのです。

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