人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

遠い花火のあの頃

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▲中国の河北省のお祭りで披露される伝統舞踊。NHKまいにち中国語テキスト2月号から。

そう言えば、夏なのに花火を忘れていた

 昨日の朝日新聞に載っていた益田ミリさんのエッセイのタイトルは「花火がしたいなぁ」でした。益田さんは今堪らなく花火がしたいそうで、最後に花火をしたのはいつだったかわからないそうです。そんなつぶやきを聞いたら、私もすっかり花火のことを忘れていることに気が付きました。花火かぁ、大人になってからは「花火がしたいなあ」なんて思ったことなどなかった気がします。確かに子供の頃は面白がって、ドキドキしながら暗闇の中の炎をじっと見つめていました。特に線香花火は小さな炎で勢いはないのですが、他の花火と違ってゆっくり楽しめるのが好きでした。パチパチと儚げに輝きを放ち、消えてしまうとなんだか寂しい気持ちになったものです。棒の先に火薬が塗ってある花火もあって、シュルシュルと美しい青い光が出て綺麗!と感動したら、一瞬にして終わってしまいました。それでも、あるだけの花火を次々にやって、無くなったらお開きで、その後はスイカを食べました。

 あの頃田舎に住んでいたので、街灯もなく真っ暗闇の世界で花火をしていました。いつも家の前の道路にろうそくを立てて、水の入ったバケツを用意してから花火を始めました。子供の時は思いもしなかったのですが、さぞかし幻想的な光景だったことでしょう。いつもとは違った世界を体験できるのですから、子供にとっては魅力的なイベントです。ちょうど県境に住んでいたので、大きな川が近くて、毎年夏になるとそこでも花火大会はありました。でもいつでもできる家でやる花火の方がずっと好きでした。夏休みと花火はセットのようなもので、子供にとっては夏の風物詩でした。

 最近はコロナ禍でおうち時間が増えたせいで、また花火が売れているとテレビや新聞で話題になっています。でも私の周りはそんな気配は全くなしで、辺りが暗くなってもご近所で花火の音は聞いたことがありません。何軒かお子さんがいるお宅はあるのですが、花火が人気と言われても実感がありません。考えてみれば、田舎と違って花火をやる場所がないではありませんか。街中に公園はいくつかありますが、禁止事項が多すぎます。注意書きをよく読んでみると、犬を入れてはダメ。キャッチボールダメ。花火もダメ、とこれでは何もできません。おまけに遊具もなくなってしまって、ただの空き地と化してしまっているところもあります。

 花火で思い出したのは、同い年のいとこの男の子でいつも一緒に遊んでいました。あれから逢う機会はありませんでしたが、二人で仲良く並んで写っている写真は今でも手元にあります。大人になって親戚の法事などに行っても会えなかったのは、彼が外国で仕事をしていたからでした。今では当時どんな話をしたのか何ひとつ覚えていません。きっと二人で花火の青白い光を一心に見つめていたはずです。すぐに消えてしまう幻のような光を宝物のように見つめながら、その一瞬一瞬を楽しんでいたのです。すぐに消えてしまうのにそれでもまた見たくてやりたくなってしまう、そんな魔法が花火にはありました。

 子供は皆花火が好きだと思ったら、以前田舎に遊びに行ってそうでもないことを知りました。親戚の男の子が他の子たちが花火をやろうと騒いでいるのに、その子だけは家に帰ろうとしていたからです。せっかくこれから花火をやるのに「なぜ帰るのか、まさかやりたくないわけがない」などと勝手に思っていたら、花火が怖いだなんて。そうか、そんな子もいるのかと不思議でしかありませんでしたが、考えてみると、あれは火です。炎ですべてを焼き尽くしてしまう火で、危ないものです。火傷をしたり、まかり間違ったら火事になることだってあるのでした。花火は綺麗で面白い物としか思わなかった子供の頃、怖いだなんて気持ちはこれっぽっちもありませんでした。今にして思うと、男の子が花火を怖がっていた気持ちがよくわかる気がするのでした。

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