人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

叫ぶことを忘れていた

今週のお題「叫びたい!」

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ピレネー山脈の断崖をスリル満点に走るトロッコ列車NHKまいにちフランス語テキストから。

叫びたい!という気持ちを忘れていたので、新鮮で

 若い頃はたしかに誰かに自分の気持ちを伝えたくて、叫んだこともありました。でも叫んだからと言って、相手がその情熱をすべて受け取ってくれるとは限らないのだと知りました。単なる自己満足に過ぎないし、自分の気持ちを吐き出してスッキリするのかと思いきや、返って自己嫌悪に陥って穴があったら入りたいくらいの惨めな気分になるのです。それくらいなら、誰にも聞かれない場所で叫んだらなら、その状況なら心の中にある重い荷物を下ろせるのではないか。そう考えてみたものの、そんな最適な場所は見つかりませんでした。だから、結局は、見たくないもの、考えたくもないことから目をそらす、つまり他のことに関心事を映すことが最適な対処法なのです。

 正直言って、もう長い間叫ぶことを忘れていました。叫んでいいですよ!と言われても、たぶん声が出ないでしょう。なぜなら、最近は人と話すことにさえ、なんだか気を遣う世の中になってしまったからです。人と直接会えないから、仕方なく電話で世間話をすることになります。当然ながら、相手が何を考えているかを判断する手段は声だけで、ついでに電話越しに聞こえて来る他の音もものすごく気になるのです。気分だけは相手と向かい合ってたわいもないことをべらべら喋っているのですが、電話を切った後なぜか疲れを感じてしまうのです。たった1時間ほどのおしゃべりで疲れるなんて考えられないことですが、まあ、もともと私は長電話が苦手でした。

 政府が緊急事態宣言を出していても、それでも私は県をまたいだ移動をして実家に帰りました。当然家の中でも、食事の時間以外はマスク越しの会話をしていました。マスクをつけての会話はやはり慣れなくて、普段の会話の半分も喋れませんでした。ただ、同じ部屋に居られることだけで満足するしかありませんでした。マスクをつけていると、相手の話声も聞き取りづらいので、自然と声が大きくなって変に力?がはいってしまいます。いつもなら軽妙なリズムで弾む会話も、何処かぎこちなくなりました。心にブレーキが掛かって、これくらいのことは言わなくてもまあいいかと言いたいことを飲み込んでしまうこともありました。その結果、話したいことが山ほどあったにも関わらず、家に帰ってひとりになったら欲求不満の嵐に襲われました。

 特に突然逝ってしまった叔母との時間はもう取り戻せはしないのです。だから私の場合は叫ぶ前に、まずは話す練習が必要です。人は長い間他人とまともに話していないと、声の出し方がわからなくなるのだと何かで読んだことがあります。コロナ下で圧倒的に人と話す機会が、その容量が減ってしまったわけですから、当然話す力も衰えているはずです。そんな状況を克服するために有効な方法は、毎日音読をすることだそうです。何も長い文章と格闘する必要はありません。短い文章でいいそうで、500字程度でよくて、例えば朝日新聞天声人語、日経の春秋、と言ったコラムがお勧めです。記事を音読することで、同時に世の中の変化も知ることができて一石二鳥なのです。

 そして、いつかまともに話す力を取り戻したら、次はようやく叫ぶ段階になります。心に降り積もった塵、お腹に溜まってしまった脂肪のような鬱屈とした負の感情を吐き出すのです。もし私が叫ぶ場所を選ぶとしたら、できることなら、冒頭の写真のような景色がいい場所がいいなあ、と思うのです。ピレネー山脈の標高2000mの高さの断崖から見下ろす景色は最高でしょうねえ。

mikonacolon