人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

フランス語を始めてみたら

想像以上に楽しいことに目から鱗

 おっかなびっくりの弱腰で、海外旅行を思いついてから2週間が過ぎた。3年にも及ぶコロナ禍のせいで、本当に行ってもいいんだろうか、などと自分の行動に半ば半信半疑だった。だが、予期せぬホテル事情に脅かされて、とりあえず、良さそうなホテルを予約することを余儀なくされた。考えてみると、飛行機の予約もまだなのに、ホテルの予約だなんて、順番が逆で、一体全体どうなっているのだろう。最初からなんだか不穏な雰囲気の旅行準備だと訝しく思っていたら、何のことはないホテル選びで躓いた。

 これ以上、問題は御免なので、生まれて初めて、すべてのホテルの予約確認書を最後まで読んでみた。今のところ何の問題もないようだが、念には念を入れるに越したことはない。ふと思ったのだが、予約の時にこちらの到着時間をやたら知りたがるようなホテルは少し問題があるのではないか。そもそもホテルのフロントはいつでも空いているのが常識で、チェツクインの時間はすでに知らせてあるので、時間外であれば荷物を預かればいいだけのことだ。やっとのことで、パリのホテルを予約することができた私は大事なことを忘れていた。それは言葉のことで、フランス語を何とかしなければならなかった。いくら何でも現地に行ったら、空港やホテルはともかく、街中では英語だけで何とかなるとは思えない。

 恥ずかしい話だが、今の私は昔勉強したフランス語をきれいさっぱり忘れてしまっている。毎月NHKのラジオテキストだけは買っていて、番組を録音もしているのに、録りっぱなしでろくすっぽ放送は聞いていない。そんな体たらくのダメダメな私が、パリの街に放り出されたら、どうなるかは目に見えている。自分の姿をシュミレーションしてみたら不安がどっと押し寄せて来た。せめてフランス語の基本のきである決まり文句でも暗記しておいた方がよさそうだ、と思うのが普通だが、不思議なことに今回はそうはならなかった。それどころか、速攻で役に立つとは思えない、基本の動詞の活用形から覚えて、文を作れるところまでやろうと考えた。

 これまで長く放送を聞き?、テキストを買い続けているからわかるのだが、講座にはそれぞれ特徴と言うべきものがあって、講師によって目指すものが違う。小難しい文法は脇に置いておいて、とにかく話せるのを目指す講座もあれば、文法の習得を最大の目標にしている講座もあった。また中にはとにかく番組を聞いていて楽しいと思えるような講座もあるにはある。さて、個性豊かな講師ぞろいの講座の中から、私が選んだのは2020年のフランス語講座入門編の大塚陽子先生の「マナと暮らすカンパーニュ」だった。2020年4月と言えば、忘れもしない、コロナ禍で初めて緊急事態宣言が出された時期だ。テキストもその影響か、変則的になっていて、前期も後期も同じ講座が放送されていた。

 早速、テキストの4月号から復習を始めたが、なにぶん入門編と言うこともあって、当然ペースは速い。5月号まで順調に進んで、巻末にあるまとめの練習問題を一通りやり終えた。次は6月号だが、何たることか、肝心のテキストがない。当時はたいしてやる気もなかった私は、テキストを買うのを忘れていたらしい。せっかくやる気をだそうとしているのに、ここで失速したら元も子もない。仕方がないので、音源だけで何とかするか、となった。要するに、1月からずうっと耳だけで勉強しているNHKのラジオ英会話と同様のことをやろうと考えた。

 テキストはないので、耳だけに頼るしかない。それに入門編だから、昔取った杵柄で何とかなるのではないかと楽観していた。講座を録音した音源を聞いてみると、簡単な文なのに、いったい何のことを言っているのかさっぱりわからない。こんなとき、テキストがあったらすぐにわかるのにと不毛な考えがどうしても浮かんでしまう。だが、よく考えてみると、見てわかるより、耳で聞いてわかる方がずうっと役に立つ。いや、役に立つと言うよりは、自分にとって喜びが大きいと言える。「では、文の意味を見てみしょう」という大塚先生の説明を聞いて、やっとのことで単語が思い浮かび、そうだったのかと納得する。過去の遥かなフランス語の記憶が蘇ってきて、なんだか新鮮な気持ちになる。正直言って、物凄く嬉しくて、豊かな気持ちになれた気がする。こんな気持ちにさせられたのは、テキストを買い忘れたおかげで、目から鱗というしかない。

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