人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

進んでいった先に見えてくるもの

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと

どんな景色が見えるかを楽しみたい

 例年にない強烈な寒さを経験して、早くも弱音を吐いている。去年からトラブル続きの歯の悩みは年越しをして、新年早々右頬が腫れあがった。予約が取れないところを歯医者の先生に泣きついて、何とか無理矢理割り込んで診てもらう。抗生物質を3日間飲んで、腫れが引くのを待つしかないが、私はわざと気にしないふりをした。それは惨めな自分を直視したくないから、認めたくないからだった。

 それで何か歯のトラブルから気をそらす方法はないものかと考えた。そしたらまさにこれ以上ない方法を見つけた。何かに熱中し、まるでそんなことなど忘れたふりをすることで現実から逃避しようと考えた。まあ、実際自分が黙ってさえいれば、周りの誰も私のことなど気にもかけないのだが。歯の痛みはあくまでも個人的なもので、他人にはわかるはずもないのだ。既述したように、去年の年末の朝の情報番組での星占いのメッセージに私は柄にもなく触発されてしまった。”来年のために今日からできることを探して”というアドバイスが、その日その日を生きるのに精いっぱいの私にはなぜか身に染みた。

 「来年のために生きる」だなんてことは、考えたこともなかったからだ。毎日の日課を滞りなくこなす、それしか生きる道は無いと思っていた。「来年」のことを考えて何かのために準備をする、そんな発想は到底できなかった。だが、正直言って、日課をこなして生きるのはあとどれくらいなのかとふと思うこともあった。ふと湧きあがる素朴な疑問を「こんなこと、考えても仕方ないか」とすぐに打ち消した。進んでも進んでも堂々巡りの出口がない無間地獄に居るようにも感じたが、考えること自体が無意味だった。今いる場所から脱出することなど不可能だからだ。今の状態を”我慢”と捉えたら、とてもやってはいけないので、なすが儘で、目の前の事実を受け入れようと努めてきた。

 そんな私に星占いのメッセージは予想もつかないような一筋の希望をくれた。「来年のために」は私を突き動かし、わずかながら一歩踏み出すことができた。その小さな一歩とは3年もの間、見向きもしなかったNHK語学講座の『英会話』を聞くことだった。海外旅行に行けないのだから必要ないかと納得したら、やる気はどん底に落ちていた。仕事で使うこともないので、日常生活では英語無しでも全く困ることはない。ただ、自分の世界が狭まるだけのことで、それも今のコロナ禍にあっては仕方のないことで済ませられた。

 だが最近では新聞の投稿欄に旅の便りが載るようになった。先日もウズベキスタンに行ってきたという高齢女性の楽しそうな体験談に私の心は浮きたった。一瞬、「私も」と口から出そうになったが、「いやいや、まだまだ」と流行る気持ちを押し殺した。あれから私は最初は果たして続くのかと半信半疑だった英語の勉強を毎日欠かさずやっている。なぜ続けられるのかと言うと、それは楽しいからで、今まで知らなかったことが分かるようになるのは何より嬉しいことだからだ。以前は嫌々やっていて、聞くだけで済ませていたのを、今回は放送をすべてディクテーションして、書き取っている。だから自分が聞き取れなかったところがわかって、弱い音は消えてはっきり聞こえないことを確認することができる。

  英語の勉強を再開したら、どんどん面白くなっていって、その先に浮かんだのはやは「いずれ近いうちにどこかへ」という思いだった。と言っても、世の中はまだそういう流れにはなくて、そのせいで自分もまだ何も具体的なことを考えられないでいる。私の中では一番大事なのは、まず行きたいと言う気持ちで、それがあれば、その気持ちで具体的にあれやこれやと準備して行けば、旅行は実現できると信じている。だが、今の段階では行きたいと言う気持ちは今一つ高まってはいないし、行きたい場所さえおぼつかいない。それでも今の私は純粋に英語の勉強が楽しいので、具体的な旅行の計画がなくてもやる気を失うことはない。以前の私とは違って、人参が目の前にぶら下がっていなくても、勉強を止めようとは思わないのだ。それどころか、以前やっていたフランス語やスペイン語もなんだか気になる今日この頃である。

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