人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

積極的に「交」わる

今週のお題「現時点での今年の漢字

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主婦の友社『イギリス、本物のくつろぎインテリアを訪ねて』から。

「またいつか」とか、「いつでも会える」はないと思う

 私が今どうしてもこれだと思うのは人と交流するの「交」という漢字。一口に人と言っても漠然としているが、私の場合は実家にいる兄嫁のミチコさんと密に繋がりたいと思う。考えてみると、今までは1年の内で会うのはお盆と正月のたった2回だけだった。お互いに大事な用事があるときしか連絡しなかった。それで何の支障もなかったのだが、予期せぬことが起きた。仲良しだった叔母が突然亡くなってしまったのだ。信じられないことに病院に入院した時に食道がんだと初めて知らされた。コロナだから見舞いにも行けなかったが、退院したら会えるだろうとばかり思っていた。だが実際には会うことは叶わなかった。

 見舞いに行けないので、叔母とはメールのやり取りをした。メールの文面からは元気そうな?気配が漂っていたので安心していた。でも本当のところは誰にも会えず、病院内をうろつくこともできず、孤独で頭がどうかなってしまいそうだったのではないか。普段から句帳を手元に置いて俳句を作っている叔母なのに、ひたすら夏目漱石の文庫本を読んでいた。当時伊集院静さんの『ミチクサ先生』が日経新聞に連載されていたが、病院では新聞は手に入らないと嘆いていた。あの気丈な叔母でさえも病院のベッドにくぎ付けにされていたら、精神的に弱くなってしまうのだから恐ろしい。

 コロナ患者のために病室を空ける必要があったらしく、叔母は病院から追い出された。それでも本人は家に帰ってこられたので喜んでいた。「今日は朝から気分がよくて、食べ物もおいしく食べられました」とメールをくれた。でも数日後には「胸が苦しい!」と叫んで家族を慌てさせた。救急車で病院に運ばれた叔母は、症状が落ち着いたらまた家に戻ってこられると疑わなかっただろう。でもその後すぐに病院から「亡くなりました」との電話があったという。その話を聞いて、叔母が家に帰ったときになぜすぐに会いに行かなかったのだろうと悔やんだ。

 あの時メールで私たち3人はお盆に会う約束をした。叔母が「町一番の店で鰻を食べよう」とまで言うので、そんなに食欲があるなら心配ないと思っていた。それだけに、また会えると信じていたのに、あまりにもあっけなく叔母は逝ってしまった。ミチコさんと私は叔母に会う機会を逃し、最後に顔を見ることもできなくて後悔だけが残った。”チャンスの頭は禿げ頭”なのだと誰かが言っていたが、その時が大事な時なのだと気付けなかったのだ。だから「いつかまた会えるだろう」などと簡単に考えていたら「いつか」は永遠に来ないのだと肝に銘じる必要がある。だから私は自分にとって大事な人であるミチコさんと繋がっていたいと思う。高校生の頃から母親代わりで何でも我儘が言えて、唯一甘えられる人だった。

 もちろん煩雑には会いに行けないが、たわいもないことでもメッセージを送り合う。「朝起きたらびっくり、雪が10cmほど積もっています」とか「そちらは地震、大丈夫ですか」だのと叔母の葬儀以来、メールのやり取りは煩雑になった。二人共携帯の契約を話し放題にしたので、料金を気にすることなくいつでも通話できるのが嬉しい。

 私は今ある事を計画している。それはミチコさんが大好きなチェコの画家ミュシャの美術館に行くことで、その美術館が堺市にあることは新聞の記事で知った。ただミチコさんの家からも私の住んでいる地域からも遠い場所にある。でも新幹線を使えば日帰りは可能だ。ミチコさんの家には犬1匹と猫2匹がいるので泊まることは問題外だから。ミチコさんにそれとなく話したら、「ええ~、そんな遠い所に!」と驚いていた。口コミによると、ミュシャの故郷であるチェコプラハにも美術館があるのだが、堺の方が収蔵品はずうっと多いらしい。ミュシャのファンなら十分満足できるのでお勧めだと多くの人が感想を述べていた。

 行きたい場所が遠くても、行きたいなら行けばいい、たとえその場所に行って見て落胆したとしても、それでも行かないよりはましだと思う。後で死ぬ間際に、「あそこにいっておけばよかったなあ」と後悔するよりはずうっといい。だからこそミチコさんを連れて行ってあげたいと思う。

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