人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

お墓もデジタルでモニターの時代へ

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お墓もディスプレイの時代へ

今年定年になった知人がお墓を買った話を聞いて時代の流れを感じました。知人は田舎にあるお墓に入ろうと以前は思っていたのですが、兄の息子の代になればそうもいかないそうなのです。退職金が入ったので今回お墓を買うことにしました。自分が死んだときに入るお墓がないのが心配になったからです。現代でお墓を買うというと、韓国ドラマでよく見るようなコインロッカー式のコンパクトなお墓が並んでいる場面を想像します。でも知人の場合はモニター画面に故人の位牌や写真が表示されるというものです。コンピューターで管理するので、故人の生前の映像も保存できるし、生前の声なども聴けるのです。思い出の写真もすべて見られますし、お参りするときの音楽まで指定できるのです。この納骨堂に来ればいつでも故人に再会できる、そんなふうに錯覚してしまいそうなサービスです。要するにお墓のスペースは必要なくて、ただ情報で管理すればいいわけです。ただ、お骨は係の人に頼めばいつでも見せてくれるそうです。だから、お墓を買ったというよりは、骨を預けるところができて安心したというのが本音でしょう。お骨を管理してくれる場所を確保することが出来て満足のようですが、現実には「お墓」の形はないわけです。その寺は浄土真宗らしいのですが、信徒にならないで68万円で購入したようです。信徒にならないというのは、葬式をその寺で行う契約をしないということです。自分の葬式は自分で出来ないので息子さんに委ねることになりますが、その場合自由な形式で出来るようにと配慮したのです。ちなみに、信徒になると20万円安いそうなのですが、その場合は必ずその寺で一般葬をしなければならないのです。知人はまだ60歳なので亡くなるのは当分先の話でしょうから、時代の流れで葬儀がどうなっているのかはわかりません。

海洋散骨を肯定する人が半数近くに

近頃は「小さいお葬式」のように一般葬をやらない傾向があるようで、「直葬」と言って通夜と告別式を行わず、火葬のみを行います。昔から行われてきた世間体を重んじ、お金をかけてやる葬式に価値を見出せなくなっているのだと思われます。田舎は近所付き合いを重んじて昔ながらの葬式をやりますが、話を聞いてみるとやはり負担が重いようです。それから最近では人それぞれ多様な価値観があり、「もう墓はいらない」と考える人が多くなってきているようです。自分の骨は自然に返したいと思う人がいても全然可笑しくはないでしょう。私の周りでも「散骨許可証」を申請している人もいますし、海洋散骨を希望する人のために散骨を取り扱う業者も出始めています。まだ一般的ではないにしても、日本では法律的には海洋散骨は何の問題もないようです。ただ、「海洋散骨は高いのでは」という疑問があることも確かですが、ネットで調べてみると2~3取り扱う会社もあるようなので資料を請求すれば実態がわかります。いずれにしても、自分が死んだ後自分の骨をどうして欲しいのか、日頃から家族に伝えておく、できれば書面で自分の意志を示すことが大切だと思います。

 

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