人生は旅

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ヒースロー空港でテロ未遂事件が起きた日

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

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▲アルゼンチンとブラジルにまたがるイグアスの滝NHKまいにちスペイン語6月号から。

日本に帰国して初めて、真相を知って仰天

 私が今まで生きてきた中で、最も忘れらない日は2006年の8月11日です。その日はロンドンのヒースロー空港で航空機爆破未遂事件が起きた日です。犯人たちは手荷物として液体を持ち込んで、機内で爆弾を作ろうとしていたらしいのです。それを危機一髪のところで未然に防いだのでした。と言っても、あの日私はヒースロー空港に居たわけではなく、ウィーンのシュベヒャート空港でオーストリア航空の日本行きの便に乗る予定でした。あの日、ウィーン市内で空港行きのバスに乗り込んで、いつものように空港内に入ろうとしました。でも入り口には大勢の人が待っていて、どうやら足止めを食っているようでした。何か事件が起きたようで、物々しい警戒態勢が敷かれていて、警官が警察犬を連れて懸命に何かを捜しているようでした。いったい何が起きたのか、誰かに聞こうにも誰に聞いたらいいいかわからず、途方に暮れていると、近くから日本語が聞こえました。それは3~4人のスーツを着たビジネスマンらしき人たちで、これからどうなるのだろうなどと話をしていたのでした。

 この状況で日本語が聞こえるのは実にありがたくて、思わず日本に居るときのような気軽さで聞いてしまいました。「いったい何があったのですか?」すると、ひとりの男性が「なんか爆弾を捜しているらしいですよ」と言うので仰天してしまいました。それから、私の頭に浮かんだのは、「もし帰りの飛行機に乗れなかったら、どうしよう?」で、これから先の心配が次々と押し寄せてきたのです。幸いにも飛行機の出発時間にはまだ3時間ほど余裕がありました。地球の歩き方ガイドブックに書いてあった通りにできるだけ早めに空港に到着することを心がけていたからです。あの状況で出来るのはじっと待つことだけでした。相当長く待たされることも覚悟したのですが、しばらくすると入口のドアが開けられました。

   あの時は夢にも思わなかったのですが、同じ頃にロンドンでの空港では大変な事態になるところだったのです。成田に到着して初めて事件のことを知って衝撃を受けました。あのウィーンの空港での厳戒態勢はヒースローでの未遂事件の余波のせいだったのです。あの日以来、機内にはペットボトルの飲み物が持ち込めなくなりました。液体は透明なビニール袋に入る分だけ可能で、化粧品の口紅などのゲル状の物もダメになりました。最初は不便で面倒でしたが、命を守ることを考えたら何でもないことです。あの日以来大きな事故は起こっていませんし、私たちは安心して機内で過ごせているのですから。

 個人的には、あの日とセットで思い出すのは、ウィーンの震えるような寒さと世界水泳です。ウィーンの冬が凍えるように寒いのは誰でも想像がつきますが、真夏の8月上旬にストーブが欲しくなるほど寒いとは想定外でした。ホテルの部屋には扇風機が置いてありましたが、全くの役立たずで邪魔でしかありませんでした。部屋で暖かい飲み物をいくら飲んでも身体は温まりません。眠るときは部屋のタンスの棚にしまってある毛布を引きずり出し、丸まって寝ましたがそれでも寒いままでした。

 そんな寒さに震えながらもテレビで見ていたのは世界水泳で、火傷しそうなくらいの暑さのバルセロナで開催されていました。オーストラリアのイアン・ソープアメリカのマイケル・フェルプス、この二人のスターから目が離せませんでした。ワクワクしながら見ていましたが、この時フェルプスはまだ17歳の新星でした。出る種目すべてで金メダルを獲得して、彼は”怪物”と言われるようになりました。結果がすべての世界なのですから金メダルをとることは最高の幸せのはずです。ところが、最近の新聞のスポーツ欄を見ると、「フェルプスは五輪が終わるたびに精神的に不安定になって、飲酒運転で逮捕されたこともある」との衝撃的な事実が載っていました。そう言えば、先日のコラムでプロのトレイルランナーの鏑木毅さんも指摘していました。「鋼の肉体に強い精神が宿る」というのは幻想に過ぎないのだと。

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