人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

実家の兄を想う

考えても仕方がない、だけど気になる

 隣町に住む知人は、東北の実家からりんごが送られてくると、必ず我が家にお裾分けをしてくれる。そのりんごは完熟で蜜がたっぷり、頬っぺたが落ちそうなくらい美味しい。少し傷があったり、人間で言うとしみがあったりして、見かけは悪いが、りんごそのものの味はスーパーに並んでいる物とは一線を画している。毎年兄はりんごと一緒に実家で採れた米も送ってくれるのに、去年はなぜか段ボール箱の中に米は入っていなかった。なぜなのだろう、どうかしたのだろうか、と知人は心配になって電話をして聞いてみた。

 すると、兄は「足が痛くて、足の具合が悪くて、稲の成長にまで気が回らなかった」と嘆いた。田んぼの草取りをさぼったせいで、稲の発育が悪くていつものようには収穫できなかった。「去年は田んぼの世話をサボったせいで失敗した。でも今年は真面目にやるから期待していいぞ」と知人に宣言した。そもそも、兄の足が痛いのにはちゃんとした理由があった。兄は今は退職して年金暮らしだが、以前は運送会社に勤めていた。田舎には消防団と言うものがあって、ボランティアの消防団員もしていた。火事が起きれば、酒を飲んでいようがいまいが、とにかく車で駆けつけるのが決まりだった。

 ある日の夕方、兄が家で晩酌をしていると、消防署から無線で呼び出しがかかった。普通なら、”飲んだら乗るな”なのだが、その時は緊急事態で、それに兄は消防団員だ。だから、躊躇することなく車を運転し、消防署に向かった。ところが、途中で兄は事故を起こしてしまった。おそらく酔っぱらっていたせいで、運転を誤って電柱に激突してしまった。兄も車も無傷では済まなかったが、あのビクともしないような電柱もケガをした。ケガをしたと言っても、まさか壊れるわけもなく、車とぶつかった衝撃でぐにゃりと曲がってしまったのだ。その場合は電柱を取り替えなければならないらしい。その電柱の値段がなんと百万円を超えると言うから驚くしかない。

 兄は当然何らかの保障があるものと思っていた。だが、病院に見舞いに来た消防団の人から「大変申し訳ないけど、電柱のお金は個人の負担になる」と聞かされた。消防団からの見舞金ではとうてい支払える金額ではなかった。「何とかならないのですか」と畳みかけても、「規則ですからどうにもなりません」と言うばかり。「そんなことなら、俺はもう消防団を辞める!冗談じゃない!もうやってられない!」と兄は激怒した。地元のためになれば、少しでも貢献できればとの思いでやって来たのに、一瞬にして裏切られてショックを受けたのだ。

 幸運にも兄は足をケガしただけで、2ヵ月ほどの入院で済んだ。だが、交通事故の後遺症はそんなに簡単には治るわけではないらしく、日常生活にも影響を及ぼす。兄には今年40歳になる独身の長男がいて、「立派な後継ぎなのだから何も心配することはない」と思ったら、現実はそううまくはいかないらしい。親の背中を見て子供は育つのが当たり前のはずだが、兄は長男に田植えや稲刈りを手伝わせていないらしい。すべて自分たち、つまり親戚や隣の県に住む弟の手を借りて済ませていた。「兄は子供を自由にさせ過ぎたんだ。小さい頃は厳しくしつけていたのに、成長するにつれて放任するようになった」と知人は指摘する。兄は自分の子供の悪口を一切言わなかった。それどころか知人に「あの子はしっかりしていて、心配いらない」と褒めていた。

 だが、新しい家を建ててくれたのはいいけれど、両親のためではなく、自分たち(長男と長女)が住むための家だということは間違いない。「兄はどこかで間違えたんだ。兄の子育ては失敗だった」と言う知人の顔は曇っている。長男はれっきとした社会人だが、一度車で駅まで送ってもらった時に気付いたことがあった。無口だが話しかけると口を聞いてくれて、YESかNOかの質問には答えてくれた。でも、それ以外は聞こえないふりをして、会話にはならなかった。

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