人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

「ひとでなし」に仰天

冷蔵庫で冷やした乾電池をシャツの中に・・・

 昨日、新聞の連載小説を読んでいて、思わず椅子から転げ落ちそうになった。思いもかけない展開、いや、ここでその話題か!?とまさかの不意打ちを食らって呆然としてしまった。その小説は現在、中日新聞東京新聞の2紙で連載されている星野智幸さんの『ひとでなし』で、別に熱心に読んでいるわけでもなかった。毎朝の日課で、サラッと斜め読みする、その程度だった。そんな訳で、あらすじを一通りは分かってはいるが、文章を真面目に、深く読むよう熱心な読者でもない。

 だが、昨日いつものように読み飛ばそうとすると、なんだかいつもと様子が違う、まあ、本当のところはその前日の回からなんだか様子がおかしいと感じていた。今まで聞いたことも、見たこともなかったが、乾電池をシャツの中に入れると冷たくて気持ちがいいと書いてあった。この小説の主人公である小学生の男の子イッキは友達からいたずらされる。暑い夏の日に、冷蔵庫で冷たく冷やした電池をTシャツの中に入れられて、最初は嫌がっていたが、だんだん気持ちよくなったのだ。

 その気持ちよさに味を占めたイッキは、自然とパンツにまで乾電池を入れるようになった。冷たくて気持ちいいので、自分の”うりぼう”を揉み始めた。私が以前聞いたところによると、うりぼうはたしかイノシシの子供のことだ。だが、ここでのうりぼうは何を指すのかは明らかだ。その場面が前日の回で、昨日はもっとそれがエスカレートした描写になっていた。「そのうりぼうはしゃっくりをして、その後、白い痰を吐いた。そうなるとそれはうりぼうではなくて、もはやイノシシだ」とあったので、何やら物凄く生々しい、途端に気持ちが悪くなった。作者は少年の性の目覚めを書いているのは理解出来るが、当方は朝ごはんを食べながらそれを読んでいる。思わず、箸を持つ手が止まってしまった。

 昨日の回はほとんどうりぼうが痰を吐く話で嫌気がさした。こんな場面が本当に必要なのだろうか。断っておくが、連載が始まった当初はごくごく普通、いや面白そうな小説だと思った。「嫌な気持ちは何もかもノートにぶちまけて、言葉の部屋に閉じ込めなさい」、これが小説の書き出しで、イッキが先生から言われた言葉だ。自分の負の感情を心に閉じ込めたままでいたら、辛くて押し潰されてしまう。だからそうならないように先生はイッキに”架空日記”を書くように勧めた。

 イッキはさっそく実行に移すが、ある時不思議なことが起きていることに気づく。それは、過去の日記を読み返してみたら、自分が書いたとは到底思えない内容の記述があった。自分はこれまで外国に住んだことなどないのに、アメリカのどかな田舎町での楽しい日々が書かれていた。不思議に思って、先生にどういうことなのか、なぜこんなことが起こるのかを尋ねてみた。すると、先生はきっともうひとりのイッキ、つまり裏のイッキが書いたのだろうと答えた。

 裏イッキが登場したことにより、物語はパラレルワールドのごとく展開しだした。昨日で連載はまだ 20回目だが、やはり、この作者の小説は訳が分からない。星野さんの小説を面と向かって読むのは初めてのことで、正直いって、物事に関しての深い思考力に驚かされることもあった。こちらの洞察力が貧しいのか、何が何やら到底理解できない場面も多い。そんなことを思っていたら、いきなり、うりぼうが痰を吐く話が出て来た。それで茫然自失したと言うわけだ。この場面に違和感を抱くのは当方が女性だからかもしれないが、残念ながら、当人の気持ちを想像することすらできない。これは根本的な問題で、感情移入できないのは仕方のない話なのだ。かと言って、話題が生々しすぎて、自分が親しい誰かに聞くわけにもいかない。

 いずれにしても、明日から、いや今日からまた『ひとでなし』と付き合っていくことに変わりはない。連載当時からすべてスクラップして取ってあるので、後からいつでも小説の謎を探ることが出来る。これからの展開が怖くもあり、楽しみでもあるというような複雑な心境だ。

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